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歴史上類を見ない『悪女』と称された侯爵令嬢は、婚約破棄を望む

作者: 在り処

 








「ヴェリック殿下。わたくし、アシュリー=ダムドア=ザマノは自らの非をここに認め、この身が殿下に相応しくないと判断し、今日を持って婚約を破棄されることを願いでます」




 ——王国の運命が国の重鎮達の知らぬところで、密かに動き出した日。


 後の歴史書に「アシュリーの大返し」と記さた事件は、その一言から始まった。


 専制君主制である王国の第四王子であったヴェリック=アズ=ダイダロスが主催する夜会で起きた、前代未聞の婚約破棄騒動。

 歴史学者達によって様々な切り口から研究が行われ、さらに多数の証言があったにも関わらず、その全貌は未だに解明されていない。


 そんな中にあって、しかし、私が人生をかけて研究した当日の出来事は、極めて史実に近いと確信し、ここにその内容を記すこととする。




 まずは、この騒動の主役である二人が、当時どのような人物とされていたかを述べねばならないだろう。



 ——ヴェリック=アズ=ダイダロス。


 ダイダロス王国の第四王子として生まれた彼は、当時の王立学校(貴族の子息や令嬢が通っていた学校)の首席であり、人となりを聞けば、誰もが善人と即答するほどの人物であった。

 自身の地位を鼻にかけず、貴賤の別なく平等に接した彼を悪く言う者は誰もいない。

 そんな彼には悩みを持つ者たちから相談が集まり、だが、どのような相談であっても優しく、時には厳しい意見を述べ、最善の答えを導き出したとされている。

 事実、聡明な彼に助けられた者は数知れず、彼の死後に発見された感謝の手紙は膨大な量を誇る。


 将来は公爵になることが決められており、さらにその外見も、やや垂れ目気味ではあるものの、顔立ちは端正であり、上背も高い。

 地位や容姿に加え、性格まで良いとなれば女性の心を動かさぬはずはなく……婚約者がいようとも、第二、第三夫人の座を狙う女性達から絶大な人気があったことだろう。

 もちろん女性に限らず、男性でも彼を崇めるほどに慕う者は多く、いわゆるカリスマ的存在であったことは、すでに幾つもの文献に記されている。



 そのヴェリック第四王子の婚約者が——アシュリー=ダムドア=ザマノ侯爵令嬢である。


 歴史上、類を見ない悪女とまで称される彼女であるが、そのイメージは後の創作娯楽書物である『悪魔の女』の影響が大きいだろう。

 もちろん誇張はあるものの、捻じ曲げられた人物像とまではいかず、王国の混乱に彼女が関与していたことは事実である。


 透き通るような白金色の髪に白い肌……また痩躯で儚げな印象を持つ彼女は、男性の庇護欲を掻き立てただろう。

 彼女より美しいとされる女性は王立学校の中にも数名いたようだが……しかし才色兼備は誰かと聞かれれば、皆がアシュリーだと答える——。

 つまり実際の彼女は、才能を持ちながらも勤勉であり……さらに礼儀作法においても次期公爵妃として申し分ないほど洗練されていたようだ。


 だが彼女には、黒い噂がいつもついて回った。

 もちろんそこには、ヴェリック第四王子の婚約者という立場ゆえの嫉妬もあっただろう。

 しかしそれを差し引いてなお、彼女の行動には疑問が残るものが多い。

 例えば彼女の特徴の一つを表す言葉として挙げられる八方美人。

 ヴェリック第四王子と同じく誰にでも優しく接していたとされていたが、それが男性中心ともなれば勘違いする者も多い。

 誰もが羨む婚約者がいるにもかかわらずのその振る舞いに、女性達の多くが顔をしかめ——端的に言えば嫌っていたとされている。




 ——そろそろ本題に入ろう。


「アシュリーの大返し」が行われたのは、王立学校に隣り合って立つ、王家の所有する別邸の大広間であった。


 その日、卒業まで1年を切ったヴェリック第四王子は、王立学校に通う貴族、商家、豪農の子女たちを集め、盛大な夜会を開いた。

 その数は、なんと200名とも300名とも言われている。

 学生の身で、有力貴族の夜会に匹敵する数を集めたヴェリック第四王子の人望が伺える。


 当時の夜会と言えば、楽団が奏でる音楽に合わせ、ペアを組んだ男女が踊る舞踏会が主流であった。

 第四王子主催とはいえ、礼儀作法にうるさい年長者のいない若者だけの舞踏会は堅苦しさもなく……各々が、思い思いに自由な踊りを楽しんでいたに違いない。


 やがて楽曲が落ち着いたものに切り替われば、飲み物や果物といった軽い飲食物が用意され、夜会は穏やかな歓談の時間へと移行する。

 そこかしこから、絶え間なく気負いの無い笑い声があがるさまは、まさに皆で共有する至福の時間だったのだろう。


 目を閉じれば——私の脳裏には、そんな当時の華やかな情景が思い浮かぶ……。







 ————————


 ——————


 ————


 ——






 主催者(ホスト)であるヴェリックが一段高い壇上にあがると、楽団の音楽は空気に溶けていくように鳴りを潜める。


 次いで、ヴェリックが軽く片手を上げれば……皆の視線が彼に集中した。


「皆、今夜は参加してくれてありがとう。僕が王立学校にいるのもあと1年。これからは卒業を見据えて忙しくなり、こうした会を開くのも困難になってくるだろう。だからこそ、皆と一緒にいられた今日のこの時間は、僕にとってかけがえのないものとして……ずっと心に在り続けるだろう。——アシュリー、こっちにおいで」


 ヴェリックが婚約者を壇上に呼ぶと、温かい拍手が広間に広がっていく。

 心に思うところがある女性であっても……合わせて控えめながらも手を打ち鳴らす。


「今さら説明もいらないだろうけど、僕は卒業と同時にアシュリーと結婚する。だが、僕たちはまだ若く拙い。皆の協力無しでは立ち行かないような事態に遭遇することも出てくるだろう。——その時は助けてくれるかい?」


 身分の壁を感じさせない言葉に、周りからは応援の言葉が飛び交った。


「ありがとう。みんな、ありがとう。僕たちはとても良い友人に恵まれたね」


 そう微笑むヴェリックが、隣に立つ婚約者に視線を向けるが、その顔は何故か強張っていた。

 いつも笑顔を絶やさないはずのアシュリーは、思い詰めた顔で……何かを堪えるように下唇を噛み締めている。

 ヴェリックは「大丈夫かい? 体調が悪いならすぐに医者を呼ぶから。歩けるかい?」とアシュリーの体調に気を配るように耳元で囁いた。


 だが返事はなく……アシュリーは覚悟を決めたように大きく息を吐くと、改めてヴェリックに向かい合い、口を開く。


「殿下……聞いて下さい。わたくしはそこにいるカートス侯爵家令嬢、ツェルミア子爵家令嬢に度重なる非礼を行って来ました。時には彼女達の所有物を隠し、時には彼女達が怪我を負うような……人の道から外れた仕打ちを行なってきたのです」


 突然のアシュリーの告白に広間の雰囲気は一変し、ざわめきが広がる。

 ヴェリックは信じられないと言わんばかりの様相でアシュリーの肩に手を伸ばしかけ……そのまま拳を握るように下ろした。


「アシュリー」


 問いかけるような……しかし、呟きのような呼びかけ。


「ヴェリック殿下。わたくし、アシュリー=ダムドア=ザマノは自らの非を認め、この身が殿下に相応しくないと判断し、今日を持って婚約を破棄されることを願いでます」


「アシュリー……何かの余興なのかい?」


 アシュリーは無言のまま、二人の女性に視線を移した。

 その女性達は一歩進み出、ヴェリックに対し一礼をすると語り出す。


「畏れながらヴェリック殿下、事実でございます。私、スロモロフ=ベストア=カートスは幾度となく物を盗まれたばかりか……あまつさえこのような傷を負いました」


 カートス令嬢が自身の腕の袖を捲り上げると、前腕には確かな青痣が浮かび上がっている。

 続いてツェルミア令嬢もアシュリーからの被害を訴え、恥ずかしげにスカートの裾を持ち上げれば、太ももには同じく青痣が見てとれた。


 当事者二人の訴えに、ヴェリックは暗い面持ちで……声を微かに震わせながら問いかけた。


「アシュリー。理由があるんじゃないのかい? 僕の知る君では、とてもそんなことが出来るとは……思えないよ」


「殿下。わたくしは見たのです。殿下とそのお二人が仲良く話している姿を……」


「それがただの他愛のない雑談であると、君なら理解したはずだ。僕は神に誓って、やましい事はしていないと宣言しよう」


「分かっております。——ですが分かっていても、わたくしの嫉妬の心は膨れ上がり……気がつけばお二人に害をなしていたのです。そのような女は殿下に相応しくありません。これ以上わたくしの抑えの効かない嫉妬が、他の方に危害を及ぼす前に、婚約を……破棄して頂きたく……どうか、お願いいたします」


 頬を伝う涙が床に落ちると共に、アシュリーは深く頭を下げた。

 一方でヴェリックは目を閉じると、拳に力を入れて天を仰ぐ。


 周りの者達は……ただ息をつめて成り行きを見守っていた。


 内心でアシュリーを嘲笑う者。

 空いた『席』にどうやって入り込むか考える者。

 一同の胸の内に様々な思惑が渦巻く中……ヴェリックは優しくアシュリーの肩に手を置いた。


「気持ちは分かった。だが、これは僕の不徳とするところもあるだろう。そのような感情を……アシュリーに抱かせていたなんて……気が付きもしなかった。すまない、アシュリー。婚約破棄は……しない。僕も君の罪を共に背負おう」


 その言葉に、広間にいる女性の多くは驚愕の表情を浮かべていた。

 女性の肌に傷をつけたのだ——許されるはずがない。

 いくらヴェリックが優しいとはいえ、婚約破棄は妥当であろうと。


 特にカートス令嬢とツェルミア令嬢といえば、人前で晒してはいけない表情だった。

 何せ自分が消えた後釜におさまるのはどちらかだと——()()()()()本人から言われていたのだから。


 アシュリーもまた心の内で舌を打った。

 出来るだけ被害を抑えるために公の場ではなく、若い者が主体の夜会を選んだ失敗。

 貴族の体裁を気にする年長者がいたのならば、例えヴェリックが許そうとも糾弾したであろう。もちろん、自分の娘をその座に押し込むために。


 そもそもヴェリックの優しさを知りながらも、ここまで寛大に受け止められるという誤算。

 普通の女性であれば、その愛に咽び泣くのかもしれない。


 だがアシュリーは違う。

 婚約破棄をされるために狙いを定めた令嬢に声をかけ、舞台を作り上げた黒幕なのだから。

 だが、どれだけ令嬢を送り込んでもヴェリックは浮ついた言動一つ見せなかった。

 カートス令嬢にしても、ツェルミア令嬢にしても、どうにか強引にそう見える場を作れたに過ぎない。


 アシュリーは憎々しげともとれるその表情を抑えられず、頭を上げることが出来なかった。

 ヴェリックはさらに言葉を続ける。


「僕はただ綺麗だとか、優しいだけのつまらない女性に興味はないよ。アシュリーだけが、きっと僕を満たしてくれる」


 あれ? と、幾人かが心の中で首を傾げた。

 全ての人に優しく接するヴェリックにしては、ヤケに言葉に棘があると。

 いや、それも婚約者に対する慰めなのだと解釈されたが。


 ようやく心を落ち着かせたアシュリーは、目に力を入れ……さらに涙を溜めると、苦悶の表情で頭を上げた。


「……殿下。殿下のお気持ち嬉しく思います。ですが、それだけでは無いのです。わたくしは他にも過ちを……犯したのです。殿下のお心が離れたと感じたわたくしは……マウディア様に相談し……そのうちに心惹かれて……」


 この場に冷静に判断できる者がいれば、次々と悪事を吐露するアシュリーに疑問を呈していただろう。

 罪の意識に苛んだ告白ともとれるが、なんの得もない以上、ほかの思惑があるのだと。


 だがすでに、広間はアシュリーが悪者になって欲しいとの願望に包まれており、さらなる過ちを話す彼女を悪役令嬢へと仕立て上げていた。

 もちろん……それはアシュリーにとっては望むところであり、喜んでその汚名を被るつもりである。




 ——アシュリーは退屈が嫌いな人間だった。

 おおよそ人が思う何倍も嫌いだった。

 ヴェリックという人物を嫌っていたわけではない。

 容姿も好みの範囲に入っていたし、何よりも人から羨ましがられるような未来が確定しているわけで、その優越感は中々に心地の良いものだった。


 だが、安定した未来などいらなかった。

 人の良いヴェリックと結婚すれば幸せな日々が続くだろう。

 ……そう考えるだけでアシュリーは吐き気がした。

 平穏な毎日など彼女は望んでいない。

 彼女の内にあるのは自身の人生がどれだけ刺激に満ちているかどうかだから。


 一時はヴェリックを影から操り、国を動かそうかとも思った。

 だが、ヴェリックは優しくはあるが愚かではない。

 むしろ自分では勝ち目のないほどに優秀だ。

 それはそれでヴェリックとの対立は面白そうではあるが、負けが確定しているのならば……やはり退屈に過ぎない。


 そこでアシュリーは婚約破棄に踏み切った。

 家の都合などどうでもいい。

 汚名などもどうでもいい。

 負を背負おうとも、そこから新しい人生を歩む方が何倍も刺激的だと。


 策はいくつも用意してある。

 その2番目の策がマウディア伯爵子息であった。

 真面目以外の取り柄が無さそうな彼は、彼女の思惑など露も知らぬまま罠に引っかかってしまう。


 アシュリーの肩に置かれたヴェリックの手は震えていた。

 広間にいる何人かは悲しみを共感し涙を落とすほどに、その動揺が見てとれる。


「もう……アシュリーの心には僕がいないと。そういう意味かい?」


 アシュリーは答えず再び頭を下げた。

 マウディア伯爵子息もまた、壇上に近づき跪くと頭を下げる。


 ここまでくればもう言い逃れはない。

 ヴェリックを裏切った二人には怒りと軽蔑の眼差しが集まり……誰かが口火を切れば、いつ暴動が起きてもおかしくない状況だった。

 不意にアシュリーの肩から手が下される。


「ふふっ、ふははははっ」


 あまりにも場にそぐわない愉快な笑い声が広間に響き渡る。

 ——笑い声の主は悲劇の主人公たるヴェリックであった。


 誰もがショックのあまりヴェリックがおかしくなったのだと……そう、感じていた。

 混じり気のない笑い声で、頭を上げたアシュリーが見たのは、今までにない愉悦の顔を見せるヴェリックだ。


「はははは。それで、君たちは肌を重ねたかい?」


 とても嬉しそうにヴェリックが問いかけると、その場の全員が自分の目と耳を疑う。

 そんな卑猥な質問が、善人であるヴェリックの口から飛び出したのだから。


「——い、いえ」


 そう答えたのは、額から汗を落とすマウディア伯爵子息だ。

 事実として彼は肌を重ねるどころか、口づけさえもしていない。

 アシュリーが『ケジメをつけた時に……その時までは』と頑なに断っていたからだ。


「だろうね。アシュリーがこの程度のことで切り札を切るわけがない。もし切っていたら……興醒めもいいところだ」


 その呟きを真っ先に理解したのは、他でもないアシュリーである。

 なにしろ自分の心の内を読まれたのだから。


 アシュリーは確かに優れた人物であるし、自身もそう評価している。

 だが、女であるアシュリーには武器が少ない。

 ゆえに処女であることは、馬鹿な男達に対する最大の武器であり、それを当て馬であるマウディア伯爵子息に切るつもりなど毛頭なかった。


「まぁ、いい。君がどうしても婚約破棄を望むのなら……僕は受け入れてもいいよ」


 ついにヴェリックが折れた……とはアシュリーは思わない。

 むしろ自分と似た何かを醸し出すヴェリックを分析していた。


「——その代わり死罪だけどね?」


 マウディア伯爵子息はゴクリと唾を飲み込み、アシュリーは予想外の言葉に一瞬……眉をひそめた。


「死罪……ですか?」


「うん。あの世で結ばれるってのも愛に溢れていていいんじゃないかな? なんなら牢屋ではあるけど二人だけの時間も作ってあげるし、それを題材に僕が物語を作り、王都の劇場で披露してもいいくらいだ」


 場の空気に皆が飲まれている中、ヴェリックは右手の親指でアシュリーの首を切る仕草をした。


 アシュリーの狙いどころは国外追放。

 そのための策も用意してある。

 だが善人と呼ばれるヴェリックが……もっとも重い罰であろう死罪を言い渡す展開は予想していなかった。

 そんな事を言い出すであろう貴族への対策として、婚約破棄の場をこの夜会にしたのだから。


 だから……彼女は用意していた策を全て捨てた。

 別に投げやりになった訳ではない。

 自分が分析したヴェリックの——おそらくは自分に似た本質に賭けることにした。

 故にアシュリーは……笑みを浮かべる。


「殿下。死罪は嫌です」


「だろうね。アシュリー的には国外追放ぐらいが狙い目だったかな? 多分ここにいる帝国や共和国の方には、身に覚えがある人がいるんじゃない?」


 ヴェリックの発言に幾人かが顔を逸らした。

 彼らは留学生として王立学校に来ていた帝国や共和国の貴族であり、アシュリーが国外追放となった場合の身請けを約束していた面々である。


「一応、修道院送りのことも考えて、教団の方にもお声がけしてありますよ」


 開き直ったアシュリーの言葉に、教団幹部の子息達も顔を背ける。


「へぇ。流石はアシュリー。抜け目がないと言いたいけど……まだ詰めが甘いかな? 彼らでは君の退()()は埋められない。君を満足させる度量など持ち合わせていないからね。少し楽観的すぎるかな?」


 その言葉でアシュリーは確信した。

 この男は全てを分かっていると。

 その上で楽しんでいる——自分と同種の人間なんだと。


 思い返せば自分よりも美しいとされる令嬢を、保護欲のそそる令嬢を、上手く丸め込んで何度送ったことか。

 だが全てにおいて、手応えが無かった。


 女性に興味がないか、本当に誠実な男性なのかと思っていたが……彼がアシュリーの行動を楽しんでいただけだと考えれば、納得がいく。


「ふふふふっ」


「うふふふっ」


 今のやりとりの何が面白いのか……周りの者達は分かっていない。

 ただ、二人の中で何かが通じ合ったと感じることができただけだ。



「で、婚約破棄はどうするんだい?」


 ヴェリックはとても嬉しそうに、手のひらを上に向けてアシュリーに差し出した。


「どうやらわたくしの望むものは、目の前にあったみたいです。殿下が許して頂けるのならば……わたくしは婚約破棄の願い出を破棄致します」


「うん。第四王子の名において、認めよう」


 アシュリーは差し出された手に、まるで未来を掴むように手を重ねる。


 急変する事態に追いつけず、周りの者たちは呆気にとられていた。

 舞台中央にいる二人の思惑を悟れるものなど、まだ誰もいない。


「僕の伴侶はアシュリー以外に務まらないさ。もっとも、お互いに()()()()()には十分に気をつけないといけないね」


「うふふふっ。殿下がわたくしが望む姿である限り、()()までお付き合いしますわ」


 これは美談として拍手をするべきだろうか?

 誰もが困惑し、誰もが言葉を失っていた。

 ——ヴェリックの……あの善人の本性が決して善では無いと気付き……悪女であろうアシュリーがその座を揺るがないものにしたと感じて。


 ある者はこう思う。


 ——毒を持って毒を制する


 ある意味お似合いの二人なのだと。


 皆が唖然とする中、ヴェリックは会場内を見渡した。


「ここに僕は一生の伴侶としてアシュリーを迎えることを再び誓う。しかしながら、これから進む道は困難を極めるだろう。皆には協力を願う時もあるが、よろしく頼む!」


 まばらに起きた拍手は、やがてつられるように広間に広がっていく。

 他の者にとっては演劇でも見ていた気分だが、なんだか上手くおさまった気にさせられていた。

 もちろん当て馬にされたカートス令嬢や、ツェルミア令嬢、マウディア伯爵子息は、口を開けたまま虚な表情のままだが。


 ヴェリックはアシュリーと繋いだ手を上にあげて拍手に応えると、ゆっくりと伴侶となる彼女の細い腰に手をまわした。


「アシュリー、聞いてくれるかい?」


「はい。殿下なんでしょう?」


「これは君への愛の誓いだと思って欲しい。僕の兄上達はとても優秀なお方だ。ここ100年ほど続いている王国の停滞も……きっと上手く維持するだろう」


「はい。わたくしもそう思います」


「でも——それって()()()()()よね?」


「——はい!」


 いち早くこの会話の意味を察した者は、これ以上聞くことは己の害となると判断し、足早に会場を後にしようとする。

 だが、そのような聡い者ほど……二人にとっては大好物であった。


「あら? ベンゲイル様、ドストコル様、それにウィンドメア様お帰りですか?」


 アシュリーの言葉に、会場を出ようとしていた者達の足が急停止する。

 彼らは「まさか」と口にするが、その顔は青ざめていた。

 この二人がこのあと口にするだろう言葉が、思い過ごしであって欲しいと切実に願いながら。


「ははっ。ベンゲイルも、ドストコルも、ウィンドメアも帰るはずが無いじゃないか。彼らは僕に秘密を打ち明けるような大事な友人なんだからね。さて、僕ヴェリック=アズ=ダイダロスはアシュリー=ダムドア=ザマノに愛を誓い——ここに宣言する!」


 ヴェリックは一呼吸を置いて、とても澄み切った声を張り上げた。


「必ずや次期国王の座に座り、王国の繁栄を実現させよう!」


 ここでようやく大半の者が気付いた。

 どこまでが用意されていた台本で、どれがアドリブかは分からない。だが、自分達が王国をひっくり返す共犯者として呼ばれ、巻き込まれていると。

 ヴェリックやアシュリーが、今日ここに誰が来ているかを把握していないはずがない。

 そして何より二人はここにいる人間の膨大な情報(秘密)を保有していた。

 何故ヴェリックに相談し、あまつさえ弱みのような秘め事を話してしまったのだろう。

 何故アシュリーに取り入るため、どれだけの情報を話してしまったのだろう。

 あらゆる者達が後悔しても後の祭りだ。



 これは夢だと思考を手放す者がいる。

 毒を持って毒を制するではない——これは混ぜてはいけない毒だったと嘆く者がいる。



 だが周りの状況など構いなく、ヴェリックとアシュリーはとても幸せそうに微笑み合うのだった。










 ——



 ————



 ——————



 ————————






 私個人の解釈もあるかもしれないが、あらゆる文献と照らし合わせた「アシュリーの大返し」はこのような出来事だったと思われる。


 ——しかし、何故これほどの当事者がいながら、正確な史実が資料として残されていないのか?


 それは夜会から10年後……第48代国王に、ヴェリック=アズ=ダイダロスが即位した後に、ようやく「アシュリーの大返し」が歴史の表に姿を現したからだ。

 それほどまでに情報は秘匿され、彼らの結束は一枚岩だった証明でもある。



 ヴェリック国王が即位後、王国は動乱の時代を迎えるが、繁栄を極めたのもヴェリック国王時代でもある。


 歴史学者の中でも、彼の評価は未だに【名王】と【悪王】の二つに割れているが……私としてはヴェリック国王も、アシュリー王妃も、善悪ではない基準で生きたと考えている。

 悪女とされるアシュリー王妃がヴェリック国王を歪ませたのではなく、二人が共に人とは違う価値観だったと、私は結論付ける。


 ——そういえば、二人の逸話の中に面白いものがあった。


 ヴェリック国王とアシュリー王妃は、夫婦でありながら何度も対立している。

 中でも内乱に及びそうになったほどに、熾烈を極めたと記された文献の一節だ。

 負けた王妃をヴェリック国王は笑顔で迎え入れ、愛おしそうに抱きしめると、『やはり君こそが——僕の望む理想の妻だね』と囁いたと記されている。

 それを示すようにヴェリック国王は国王としては珍しく第二夫人や妾を作らず、生涯アシュリー王妃だけを隣に置いていた。

 アシュリー王妃もまた、生涯ヴェリック国王に寄り添ったとされている。


 ……常人には理解できない絆が二人にはあったのかもしれない。


 もっとも、「あの婚約破棄がなされていたら」とされる仮説の歴史書物が、彼らの死後に売れに売れたと——最後に記しておこう。





 歴史学者

 サン=マルコス=デ・アリカ










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[良い点] そもそもが価値観のズレた、才のある者同士……。 先にも言いましたように、面白かったですよ。 [一言] ……だから、見直しはちゃんとしましょーねって言ったじゃないですかー。(笑)
[一言] 傍から見てる分には楽しいですけど、巻き込まれた側は堪ったものではありませんね!ww
[一言] なかなかのハッピーエンドですね! 面白かったです!
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