43回目 変わらないもの、少しずつ変えていく
活動を続けて、問題を片付けていく。
近隣の小学校や中学校、住宅地を処理していく。
おかげで死亡事例がやたらと多い地域になってしまった。
だが、町は全体的に平和になった。
問題を起こす人間がいない。
それだけで世の中は平穏になる。
無駄に足を引っ張る邪魔者がいない。
それだけで、円滑に物事が進むようになる。
まずは学校から隠蔽しなければならない事が消える。
暴行・障害・恐喝・脅迫・強姦などなど。
こうした事件が消えた事で、学校での問題が大幅に減る。
学校外の活動でも同じ事が起こる。
スポーツクラブや、習い事などの文化活動。
こういった場所でも問題が消える。
隣近所といったお付き合いに町内会など。
これらもおかしな問題が消えていく。
話をこじらせる人間がいない、余計な提案がない。
進まなかった様々な物事が進んでいく。
そして、必要の無い無駄が削られていく。
会社などでもそういった事が起こっていく。
加害者の親兄弟、そういった者達が住んでいた地域。
そこにいた者達が消えた事で、これらが会社に出勤する事はなくなった。
それだけで会社内の雰囲気が変わる。
邪魔者が消えて負担が減る。
仕事をおぼえない、失敗ばかり繰り返す、注意をしたら喧嘩をふっかけてくる。
そんな人間と一緒にいたい者などいない。
だが、法律もあって簡単に辞めさせる事も出来ない。
一緒にいる人間はたまったものではない。
そんな人間を抱えてるせいで、失敗の手当をする必要がある。
終わることなく失敗を生み出し、それを補う必要が出てくる。
余計な作業が次々に増える。
これが無くなるだけでも、仕事は簡単に回るようになっていく。
会社から一人か二人減ったくらいだ。
だが、その一人二人のおかげで、無駄な作業が消える。
しくじりを補う為にあてがわれていた人間が不要になる。
会社からすれば、数人分の人件費が浮くようなものだ。
「もっと早く消えてもらいたかったね」
あちこちでそんな声が上がっていく。
死んだことを嘆く者はいない。
死んだ人に酷いことを言ってはいけない……などという戯言などどこにもない。
生きてる間に散々迷惑をかけたのだ。
死んだ事を喜ぶのは当然である。
それを止める方がどうかしている。
それに、悪口を言ってるわけではない。
正当な評価をしてるだけである。
散々迷惑をかけられた者達が。
もんくを言う権利くらい当然持っている。
それを止める方がおかしい。
それでも加害者に肩入れする者もいる。
倫理・道徳に反すると。
さんざん倫理・道徳に反する事をしてきたのは加害者である。
それを糾弾しないでいる時点で、公平性などを失っている。
加害者に与する共犯者と言える。
そういう者は容赦なく糾弾されていく。
加害者の肩を持ってるのだ、それも当然だろう。
トシキもそうした者に容赦しない。
見つけ次第に潰していく。
生かしておいても邪魔になるだけだ。
「増えてくなあ……」
どんどんとやる事が増える。
少しずつ手をつけるしかない。
手間はかかるがやむをえない。




