42回目 加害者はどこまでも加害者であり続ける
なにせ、問題を起こす者達が揃ってる。
しかも、我を通す。
自分のことだけ考える。
その一例が、遺書だ。
書かせて残した遺書から様々な問題が起こる。
それを見た親などは、やらかした我が子を糾弾…………すればまだ救いがあるのだが。
そんな事をする者はいない。
それどころか、被害者のところに駆け込んで怒鳴り込む。
せめて、我が子がやらかした事をあやまるというならまだ分かるが。
「どうするつもりだ!」
本当に怒鳴り込むのだからどうしようもない。
「お前らのガキのせいで、うちの子供がこんな風になったんだぞ」
などとのたまう。
被害者の親が、ではない。
加害者の親がだ。
なぜ、どうして、と普通の人間なら思うだろう。
だが、怒鳴り込んだ被害者の親は、更にまくしたてていく。
「お前のガキが騒ぐからこんな風になるんだ!」
要約すればこんな事になる。
被害者の子供が大人しく何もしてれば良かった。
そうすれば、加害者の子供が死なずに済んだ。
それなのに、我が子である加害者が死んだのは、被害者のせいだ…………といのだ。
こういった事を本気で口にする。
自分と自分に連なる者達が正しい。
他が間違ってる。
そういった思考しかしない。
そんな者達を放置して生かしていくわけにはいかない。
どうせ反省などしない。
成長して変わる事もない。
仮に変わったとして、それが免罪符になる事もない。
やらかした事が消え去るわけではないのだから。
謝罪に反省なんてものは、悪党の免罪符である。
それだけであらゆる悪事が帳消しになる。
被害者は泣き寝入りだ。
そうさせない為にも、やらかした者達は根絶やしにしなければならない。
起こった悲劇は取り戻せないが。
今後の悲劇は防げる。
悪事を働く者が消えれば、悪事は発生しなくなる。
当たり前で単純な事実である。
それをトシキは実現させていく。




