3回目 気がつけばそこは、自分の部屋
「…………え?」
なんだ、と思った。
死んで地面に横たわり、意識を失っていった。
そうなっているはずである。
なのに、何故か目を覚ました。
「生きてるのか……?」
思わず呟く。
全身をくまなく撃ち抜かれたはずなのに。
運良く一命を取り留めたのか?
だとしたら、それが良かったのか悪かったのか。
トシキがやってきた事を考えれば、無罪はありえない。
どう転んでも死刑。
それは確定だ。
それだけの人間を殺してきた。
事情を考えても、裁判結果が覆る事は無い。
そう考えると憂鬱になる。
死にたいわけではないが、生きて鬱陶しい日々を送るのも嫌なものだ。
これならば、いっそ撃ち抜かれたまま死なせてもらった方がマシに思える。
(それなのに)
わざわざ裁判のために、手術でもして生かしておいたのか?
だとすればご苦労な事である。
ある意味、執念深いとすら思える。
ただでは死なさないという意思を感じる。
必ず裁判という儀式を経て、殺人罪にしてやると。
その為だけに、瀕死の人間を生き返らせたのならたいしたものだ。
尊敬はしないが、感心はする。
そう思って笑いたくなった。
だが、それもすぐに疑問にかわる。
目に入る景色が何かおかしい。
生き返らしたのならば病室か何かで目が覚めるはず。
しかし、起き上がったのはそういった場所ではない。
(これって)
見覚えがあった。
最近は使ってなかったが、人生の中で最もよく使っていた場所。
(俺の部屋か?)
子供の頃から寝起きした自分の部屋。
目を覚ましたのはそこだった。
(え、な、あれ?)
予想外の事に困惑する。
何で自分の部屋で目が覚めたのか?
理由がさっぱり分からない。
それに、部屋の様子がおかしい。
最後に見たときと今の状態が違う。
とっくに捨てたはずのアニメのポスターがはってある。
もう20年以上前に発売された漫画雑誌が積み上がっている。
使わなくなって久しいランドセルが置いてある。
朝日が差し込む部屋の中には、そういったものが散らばっていた。
どう考えても、昨日今日の状態の部屋ではない。
そもそも、トシキが実家の部屋を使っていたのは、もうかなり前になる。
就職と同時に一人暮らしを始めて、それ以来使っていない。
使わないうちに物置になっていた。
その部屋にトシキはいる。
どうなってるのか分かるわけがない。
なのだが。
「なんで?」
と思ったその瞬間に、頭の中に様々な情報が入ってきた。
『1992年 4月』
それは今この瞬間の日時である。
そうだと何故か確信した。
そう断定するだけの材料など何一つないのに。




