#99 フライト
「教授!!」
某所病院。理事長──誠は他の病人に手心を加える事無く、とある一室へ急いで駆け込む。そこには、様々な管に繋がれた少女がベッドの上で佇んでいた。
焦る誠を一瞥すると、読んでいた手元の本を閉じて、小さくため息を吐く。
「……なんすか。大人しくしてろって言ってたのマコト君の方じゃないすか。この身体まだ慣れてな──」
「スペースフライトが発生した……プログレッサーだ!」
力抜けた手のひらから、ポサっと本が落下する。少女は歯科医に歯を見せるかのように、あんぐりと開口すると、ベッドから転げ落ちる。繋がれていた管と機械も、ベッドからガッシャーンと落下し、辺り一面に散らばる。
「ふぁあああーっ!? どういう事っすか!? あ、ちょビックリして腕取れた……」
誠はベッドへと腰掛けると、額に手を当てて項垂れる。
「未来の我々の誰かがしくじった以外無いだろうな……」
「その歪みの元が、よりによってアタシらのとこへインバイトされたと……く、空前絶後の大ピンチじゃないすか……!」
「時空的な矛盾を修復するには、時間空間の非線形性と、それに伴うエネルギーの相互作用を慎重に調整しなければ。下手すれば地球全体がブラックホール化しかねん……タイムフローを再構築し、並行宇宙の過去と現在の一体性を回復させる必要がありそうだな。骨が折れるどころじゃないぞ」
「持ち合わせている量子論と相対論で解決できるんすかね……時間の反転、パラレルユニバース、及び多元宇宙に関する理論を用いる事が不可欠……未知の領域が数多くありますよ」
「やるしかないさ……口よりまずは手を動かさねければな。地下の帝国へ移動しようか──」
2人は学校へと向かい、教室棟の地下へと秘密のエレベーターで下っていく。光宙三大地下施設──時空間研究室……の更に地下。何重のパスコードを解除し、2人の指紋と角膜を同時に認証させなければ、開くことのない扉だ。2人は扉を開け、闇が広がる下へと降りていく。
恐らく、初めて来る人間は足が竦む事だろう。長い長いエレベーターを降りた先に広がっている光景──そこには、超巨大な空洞が存在していた。横の直径は数キロはあろう円柱状の空間。縦に至っては先が見えない。地球を突き抜けているのであはないか? そう思う程の、果てし無く続く底知れぬ闇が、漠然とした恐怖を与える。およそ人類が作ったとは思えないその、平たく無機質な空間。降りたすぐ手前にある、機械の触手が螺旋状に絡まって出来た不気味な橋は、1km程中央の浮遊する四角い建物へと向かって伸びている。薄暗い照明による景色の中、2人は歩を進める。
「ふう……年々この橋を渡るのが億劫になってしまうよ。年を重ねるごとに膝に来るね。コレ」
「もう何回目なんすかね。渡る為の輸送ドローンでも欲しいトコっすわー……」
「……教授。こんな事になって申し訳無いと思ってる」
「はー、ここ渡る時毎回言ってるっすよねソレ……お互い様だってずっと言ってるじゃないすか」
「……貴女に何万と頭を垂れても、私の罪は消えないものだ。私は貴女を……貴女の未来を──全てを奪ってしまったのだから。君が感受すべき幸福を……私は……」
「そんな事ないっすよ。罪にもアタシにもあるし、それに既に幸せですよ。アタシは」
「何? なんだか……前と随分違う言い方をするんだね。物腰が酷く柔らかいというか……」
「アタシはもう──あなたの息子から十分に幸せは受け取りましたからね。もう……1回で大満足ですよ。ユオンもシーナも、本当に幸せに過ごせたんですから」
「え?」
「……へ? な、なんかアタシ言いました?」
「……いや、何でもないよ」
2人はやがて橋の終わりへと辿り着く。正二十面体のような不思議な形をした建造物へと入っていく。
中に入ると、暗黒の一室はすぐに眩い白い空間へと変貌する。おびただしい数のホログラムが浮き上がり、2人を出迎える。
「……打開するためには、まずはアウラへのアクセスを制御し、過去への渡航を完全に封じなければならん。時間軸の特定の断片を切り離すような……外科医のような繊細な操作が必要だね。タイムフローの微妙なバランスを維持しながら、アウラへの干渉を抑制する……しかも、その操作が時空に与える影響を正確に予測することは難しい。困難を極めるな、これは」
「時空のバランスを乱す可能性も否定できませんからね。エネルギーの流れを制御して、並行世界との相互作用を調整することで、ルシィヌへの渡航を制限できるかもしれません。その為の転送装置っすか」
「ああ……ホテルに閉じ込めてある2人を呼ぼうか」
「うわー……思春期の男女にする事じゃないっすね」
「よし……ビンゴだ! 不幸中の幸いだ。ポチッとな」
誠が前触れも無く目の間のボタンを押す。すると、部屋全体が震え、けたたましい警報音が鳴り響く。部屋の窓から覗く空中に、蠢くように白い物体が形成されていく。それはやがて1つの家のように形を成すと、凄まじい蒸気が吹き上がる。立ち上る煙が収まると、誠がホログラムのマイクを握って、箱に向かって呼び掛ける。
「あーあー。聞こえるか佑樹。こちら父さん、こちら父さん。今お前がいる部屋ごとこちらへ転送した。大事ないか?」
「……」
「む? 返事がないな。モニター!」
誠が右手をかざすと、目の間にディスプレイが現れ、中の様子を映し出す。そこには、上裸のままベッドの上でうつ伏せで卒倒している佑樹と、息荒く地べたで体育座りをしている松家いた。
「これは……どういう状況かな」
「え!? 何この画面……理事長先生!? あ、や……違うのよ! 私が投げた枕が何故か金属で、当たったさ、さ、佐藤が勝手にベッドからおち……落ちて! それで介抱したら起きてビックリして馬乗りになって……! また私がトドメを刺して落ちてあの、あの!」
「うむ……よくわからないが……佑樹が気絶しているのはチャンスだな。いいかい未来の佑樹の友達。今すぐ自分と佑樹の服を脱がすんだ。下着も全部!」
「は!? ちょ、どういう事よ!?」
「この装置で時空を渡れるのは有機物のみだ。したがって衣服は転送出来ないんだよ。下手すると衣服が皮膚の下にめり込んで大変な事になるぞ。モニターは切っておくから。さあ早く!」
「う……わ、分かりましたよ……うぅ……なんて情けない作業なの……」
「あ、転送する時は、キチンと佑樹と肌を密着させるんだぞ」
「は、はあああぁぁーっ!?」
「でないと、2人のどちらかが宇宙空間や白亜紀などに飛ばされる可能性がある。年頃の女子生徒に頼むのは心が痛むが……命には変えられない。いいかい、しっかりと抱き抱えるように、ピッタリと密着するんだ。佑樹の意識が無い今がチャンスだぞ!」
「うがーっ! あーもう! 分かりましたよ! やればいいんでしょやれば! もうどうにでもなれ!」
スピーカー越しから、乙女の悲哀が混じった怒号が飛んでくる。続いてビリビリと、何故か服を破き散らかす音が聞こえてくる。
「……これでいいんでしょ! 早くお願いします!!」
準備完了の合図を受け取ると、2人は目を合わせ頷く。そして、眼前に設置された一際目立つ赤いボタンを同時に押下した。
「──起動ッ!」
『Aura One Mundus──』
『connect Chronics lucine──』
『Speace flight section25──』
『complete』
ホワン……という電子音が鳴り、ボタンは赤く点滅する。すると、箱はみるみるうちに光を帯びていき、ギュイイイインという耳を塞ぎたくなるような、激しい駆動音が響いた瞬間、真っ暗であった巨大空間の下方から光が収束し、辺り一面を青い光で照らす。まるで大地が揺れるような震動と爆音と共に、箱は消滅した。次の瞬く間には、まるでそこに元々何も無かったような静寂が訪れる。2人は目と耳を暫く塞いでいたが、ようやく戻った感覚を感受すると、ゆっくりと顔を見合わせる。
「いったか……?」
「さぁ、分かんねーっす……はやく確認せんと」
「にしても……何故いきなり起動したんだろうか。こちらが操作せずにスペースフライトが起こるなんて、あり得ないんだがね」
「うーん……そもそも未完成の部分っすからね。何者かの強い願いや干渉かもしくは……うーん。心辺りが……あるような……ないような。ま、いいや。とっとと次の工程に移りましょう。大変なのはこっからっすよ」
「うむ、そうだな……まずは時間軸の調整だ。帰還する日付と時刻を、ミリ単位で正確に合わせなければならん」
「あとは並行時空への干渉っすね。どれだけの時間をリンクさせられるか……そもそもリンクには膨大なリスクが──」
2人は慌ただしく、次の準備へと移行していく。たった2人だけで交わす議論の声が、巨大な空間で静かに響くのであった。




