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移行中  作者: あ
松家 瀬那編
90/106

#90 心の鎖

 健康的な汗を流しながら、その短い髪を揺らす少女。松家は俺の前に立つと、懐から一枚の紙を取り出し、俺の胸に押し付ける。


「アンタが新入部員ね。さっき……顧問から聞いたわ。これが入部届け。受領印は押してあるから、署名して後日職員室届けて」

「え? あ、ああ……分かったよ」

「あとこれ、持って」

「何……ちょ、うぉわ!」


 松家は突然竹刀を投げてきた。俺は落とさないように必死にそれを掴んだ。竹刀投げんじゃねーよ……ったく。


「顧問に言われたのよ、剣道部の事情を話してやれって。早速だけど、打ち込み稽古付き合ってよ。このくらい出来るでしょ?」

「話が繋がってねー気がするんだが……」

「素振りしながらでも話せるわ。はい、さっさと構えて」


 マイペースな奴だな……俺は構え、松家と剣を交える。竹刀を打つ音を響かせながら、松家はポツポツと話を始める。


 剣道部の、その過去を──


 ────

 ──


 1年前の剣道部。竹刀打つ音が、うるさい程に鳴り合う武道場。30数名の部員達が互いに己を磨き、稽古に取り組んでいた。


「あと切り返し10往復、素振り100本で終いだ! 今日で3年の先輩らは稽古締めだ……先輩達が後引かねえ様、俺達は大丈夫だという事をしっかり見せ付けろ! へばってる姿見せんな、声出して行けよ!」

「「応ッ!!!」」


 汗臭い道場の中で、一際大きな声を出して励む生徒。他の部員を叱咤激励しながら竹刀を奮う姿は、誰の目にも止まるものだった。

 床を擦る音、竹刀の音、響く掛け声。そんな刀稽古の喧騒の中で、入り口で様子を見ていた数人の人物は、中心にいる生徒をじっと見据えていた。


「将来有望だな。あいつは」

「だな。1年の時から、前線で周りを引っ張ってってさ。アイツなら──康治郎なら、しっかり部長してくれそうだ」

「俺達3年も、安心して部を任せられるな……ヤマちゃん先生」

「そうか……君達3年は、今日で最後の稽古だったね。お疲れ様。今までよく頑張ってくれた。君達は自慢の教え子だよ」

「俺……大学行っても剣道続けっからさ! また顔出しに来るぜ。先生──」

「「ありがとうございました!」」


 袴姿の坊主の少年達は、ジャージ姿の男に深々とお礼をすると、道場にお辞儀し、この場を去っていった。ある者は涙ぐみ、ある者は満足げに上を見上げ、それぞれ3年分の想いを胸に、卒業していった。

 稽古終わりの放課後、中心にいた生徒達が、顧問の元へ駆け寄る。


「ヤマちゃん先生お疲れーっす!」

「たは〜疲れたぜ。真夏の面は地獄だな……耳が燃えるようだ」

「あれ? 先輩らもう帰っちゃったか!?」

「うん。皆しっかり康治郎達を見ていたよ。安心して卒業出来るってさ」

「んだよ……一言くらい挨拶したかったのに」

「ヤマちゃん先生〜! 今日どこいくんだ?」

「はは、そうだね。康治郎新部長を祝って……豪勢に焼き肉でもいくか!」

「ヒャッホー! 流石太っ腹だぜヤマちゃん先生!」

「行こうぜ行こうぜ!」


 ────

 ──


「にしても……康治郎がもう部長とはね。早いものだよ」

「お? ヤマちゃん先生それって──親バカってやつか?」

「はは、そうかもね。息子の成長を噛み締めるという意味では、感慨深いのは確かさ」

「ちょ、コイツらの前でそんな話すんなよっ」


 寂れた個人経営の焼肉屋で、男達の笑い声がこだまする。立ち上る煙が夜空に消える。残ったのは親子2人。顧問と教え子。次期部長である康治郎は、顧問ヤマちゃん先生の息子なのだ。


「……康。具合はどうだ?」

「あん? 夏の大会の怪我か? あんなの、ちょっとかすっただけ──」

「康治郎」


 息子の名を窘めるように呼ぶ。康治郎は一つため息を吐くと、ぎゅっと左胸を掴み、シャツにシワを作る。


「ああ……最近は発作も少なくなってる。病気の心配はしなくていい。はは、こんな姿アイツらに見せらんねーしな。それに、もうすぐ入ってくる妹──瀬那にもよ」

「そうか……けど、くれぐれも身体には気を付けてくれ。剣道のような運動でも康治郎の心臓は──」

「分かってるよ。ちゃんと体調管理してるから大丈夫さ」


 帰り道。父を見送り1人になった康治郎は、人気の無い公園にて、息荒く膝を突いてしまう。震える身体を必死に動かし、蛇口を捻って水を頭から被る。


「はぁ……はぁ……くそ!」


 康治郎は、自らの左胸を強く殴打する。その己が生まれた時から背負っているモノを恨むように。痣が出来ようとも、身体の事など気にする事も無く、怒りに任せて……ひたすら強く叩く。


「痛むな、痛むな……! ちくしょう!」


 康治郎の心臓を蝕む病──遺伝性の心疾患だ。早くに亡くなった祖母と似た病だった。家族で唯一康治郎だけが持って生まれてしまった。彼は呪われた身体だと、酷く自らを憎んでいた。

 治る見込みが無い訳ではない。治療をすればすぐにでも完治するであろう病なのだ。しかし、康治郎はそれを望まなかった。治したら剣道人生が終わると分かっていたから。治療後は心臓に負担がかかる為、一切の運動が出来なくなってしまう。剣道に全てを費やしていた康治郎にとって、それは死に等しいものだ。


「俺は……まだ終われない……!」


 フラフラとした千鳥足で帰路につく康治郎。心臓ボロボロになろうとも、止まること無く歩き続ける。たった一つの願いを叶える為に。

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