#88 伸びた背丈
「ぶふぇえ!?」
「はい一本。まだまだ甘いな木柴」
「いってぇ〜……ちったあ手加減しろっての!」
面の頭頂部をさすりながら、竹刀の剣先を俺に向ける木柴。フッ、剣道で素人に負けるかよ。武道場での体育の時間、俺達A組は剣道に勤しんでいた。ペアになった木柴をボコボコにして楽しむ愉快な時間だ。木柴の反応速度は常人とは思えない程だったが、俺のスナップをきかせた竹刀には遠く及ばない。
おっと、自己紹介が遅れた……俺の名前は佐藤佑樹。華のセブンティーンだ。現在彼女募集中。そして、転校生の俺に入部を許してくれる部活も募集中だ。いや、新聞部と生徒会からは死ぬほど誘われてるんだけどさ。現に、今だって木柴から俺が2本取ったら新聞部入れって言われてるし。
「くっそ〜……勝てる気がしねえ。なんでお前そんな強いんだよ」
「お前の場合、竹刀に伸びろ竹刀! って言えばワンチャン伸びるんじゃね?」
「よーっし、伸びろ竹刀〜! って誰が孫悟空だ! 俺は悟空じゃなくて普通の猿だっての……誰が猿だオルァッ!!」
木柴が竹刀を地面に叩き付けた所で、授業終了のチャイムが鳴り響く。これで今日の授業は終了だ。放課後……どうすっかな。
「はぁ……佐藤、なんか食って帰るか?」
「あん? あー……そうだなあ」
「ちょっといいかな」
面を取った直後、横から俺を呼ぶ男の声が。見上げると、人の良さそうなジャージ姿の眼鏡男がこちらに手を振っていた。年若くは見えるが、OBにも見えない。40歳前後だろう。どこかで見たような気もするが……教師だろうか。
「……なんか用事か? 補習ならしっかりやれよ〜佐藤」
「身に覚えないっつーの……」
木柴は胴と垂れを外しながら、武道場を後にした。後から来た教師風の男は、申し訳なさそうに後ろ髪を掻いた。
「あ、ごめんね。取り込み中だったかな」
「いや、全然大丈夫ですよ。あの、あなたは……?」
「ありゃ? 僕の事覚えてないのか。まあ、10年以上前だし無理もないか……ほら」
男はそう言うと眼鏡を外し、前髪を上げてニコっと笑って見せる。俺はこの男に見覚えがあった。背筋が真っ直ぐとしている姿。強くて頼りになって、そしてとても優しかった人。今、思い出した。俺の失われていた10年前の記憶が一気に開花した。
「あーっ! もしかして『ヤマちゃん』先生か!?」
「あっははは。思い出してくれたか。そうだよ……君が小学生の頃所属してた剣道会の先生だよ。大きくなったな、佑樹君」
「なんだ老けたな先生! 白髪も増えたし、背も縮んだんじゃないか?」
「そりゃもう僕も40後半だからね……はは。君が大きくなっただけだよ」
ヤマちゃん先生──俺が小学生の頃の恩師だ。祖父に言われて始めた剣道を、続けるきっかけをくれた人。ちなみに……山田なのか山本なのか、何故ヤマちゃんと呼ばれるのかは永遠の謎だ。
元は俺の祖父の教え子だったらしく、かなり厳しい稽古を経験している。本人も指導資格を取った最初の頃は、祖父に似た厳しい指導を敷いていたが、子供達がどんどん辞めていってしまうのに対し、その指導法を徐々に改めていったんだとか。
剣道という徹底した礼儀作法があり、厳格なイメージがある武道を、現代の子にどうやって続けて貰えるか……先生はそこで、楽しく己を磨ける事が重要だと、とにかく『楽』の教えを説いた人だった。先生はとても優しく、稽古終わりに外食を奢ってくれたり、お菓子を持ってきて配ったり……とにかく子供達に好かれる人だった。今の技術があるのも祖父半分、この人半分だ。
剣道をそんな体たらくで教えるなと、頭の堅い他の剣道会の指導者に言われた事があったが、俺達はそれを実力で示し、何度も地区大会や全国大会で優勝をした。教えを押し付けるのではなく、自ら進んで掴ませる。大好きな先生の期待に応えるために……死ぬ気で稽古を積む。俺達『東照会』は伝説になった。あの頃は本当に楽しかったなあ。
「先生、なんでここに? この高校に用事でもあったのか?」
「ああ、まあね……通りがかった所を、竹刀の音が聞こえてきたから覗いて見たら、懐かしい顔があったからさ」
「面で隠れてるのにか?」
「はは、君の構えは小学生の頃から変わってないからね。一目見て分かったよ。それに、僕は今剣道部の部活動指導員として、この学校にいるからさ」
「そっか……って、へ!? 先生ウチの剣道部いるのかよ!?」
「うん、まあね……」
少しうつむき、苦笑を浮かべるヤマちゃん先生。そこで俺は思い出す。前に狗田と武道エリアを歩いていた時に聞いたもの。部は衰退し、弱小剣道部として名が知られている事に。
「小耳に挟んではいます。剣道部は衰退してるって。俺達を全国優勝へと導いた貴方が教えているのに、何故……」
「佑樹君……」
先生は俺の一言に拳を握り、改まった態度で向き直る。
「頼む佑樹君。剣道部に入部してくれ!」




