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移行中  作者: あ
甲斐田 信音編
82/106

#82 隔離された世界

 仮想現実世界、アースヘブンに囚われてから──5年の時が過ぎた。平和な日常の1コマ。フルッカス村近くの密林へ、俺達は食糧の調達に出掛けていた。


「っせーい! はい、一丁上がり。レアのカードを使うまでもないっすね。今日の晩御飯は、イモムシ大蛇の漆黒カレーで決まりっと」


 逞しくカードを振りかざす信音。片手には見るもおぞましい触手の生えたデカイ芋虫のような蛇が。うん……あまり直視したくないが、仕方あるまい。魔族の食事大体こういうヤツだし。それに──


「カレー!」


 甲高い声と共に、俺の背中に小さな衝撃。俺は慌ててそれを優しく受け止める。無邪気な笑顔で、きゃっきゃっと俺の腕の中で暴れている小さな怪獣。角の生えた魔族の男の子。そうだ、この子は──


「ぱーぱぁ!」

「ユオン……危ないから、下がってなさい」


 息子のユオンだ。まだまだ言葉を覚えたての2歳児。信音と俺の、夫婦の愛の結晶だ。目に入れても痛くない程に可愛い……そんな、最愛の息子だ。

 2年前、式を上げて子を作った時、俺達の身体はすぐに今までの力を取り戻した。今までの事が嘘だったかのように、ピタリとなくなったのだ。もうデバッグはされない。俺達は完全に異世界へ根を下ろした。


「ユオンも大きくなりましたね。子の成長は早いっすわ……よしよし」

「まま、すきー」

「あーん可愛い〜、ママもユオンの事大好きっすよぉ」


 アースヘブンの人類は少し特殊で、子を授かった女性は3ヶ月程で臨月になり、あまり腹を痛める事なく、数分で子を産める。デビルタイプと人間タイプの子の場合、半魔族のようになる事無く、完全な魔族か完全な人間が生まれる。ユオンは俺の遺伝子を強く継いでいるせいか、人間の特徴は残さずに、完全な魔族の子なのだ。


「しかし……やっぱり、デフォルトタイプの子じゃないっぽいですね。大きくなったからそれが顕著に現れてます」

「ん、どういう事だ?」

「ゲームだと子供の顔はある程度決められてるんです。でもユオンは、どれのタイプにも当てはまらない……完全に私達の遺伝子を継いでいますね」

「なるほど。それじゃあ……」

「はい。紛れもない私達の子供ですよ」


 ユオンの頭を撫でながら説明する信音。俺達の子供、か……俺が人の親になるとはな。改めて実感すると感慨無量だ。


「さー、まだまだ狩りますよ! 母は強しってトコを見せてやりますよ」

「信音……身重なんだぞお前。無理すんなって」

「だーいじょーぶっすよ。身体は動かした方が、子は強くなるんすから!」


 ちなみに、信音は現在2人目を妊娠中だ。あと1ヶ月で生まれる事だろう。あまり無理をしてほしくないが……こっちの世界じゃ妊婦は特殊なんだよなあ。激しく身体を動かした方がよかったりするし。けどやっぱり、ヒヤヒヤするのはどうしようもない。

 そんなこんなで帰宅し、俺達は家族揃って信音特製のカレーを口に運ぶ。見た目に反してかなり美味しい。流石に5年も経過すれば、あの悪夢のようなカレーのトラウマも払拭されていた。

 食後のまったりとした時間。外の星を眺めながら、膝に乗るユオンに言葉を教えている最中、信音がホログラムを片手に俺の隣へ座り込む。その顔はどこか神妙で、厳粛に口を真一文字に結んでいた。


「佑樹。ここ5年作業していて分かった事があります」

「ん……お前まだ続けてたのか」

「ええ。これをしとかないと……本当にこの世界の住人になってしまう気がしてね。自分が自分である為の気晴らしでもあるんです」

「うー、あかー」


 ホログラムを触ろうと宙を掴むユオン。本当の自分、か……現実世界の俺。異世界の俺。どっちが本当の俺か、たまに分からなくなるよ。ユオンを腕で包みながら、俺は信音の話に耳を傾けた。


「もしかしたらですけど……あと5年経っても、帰れないかもしれません」

「え……?」

「年々進行していく適応化。もしかして10年後、メンテナンスで落とされても覚醒しないのでは、と危惧していたんですが、この予測は当たりそうなんす。ゲームというか、現実世界や仮想現実も含めた、現世そのものから完全に切り離されている。今いる世界は、恐らく集合的無意識のような場所から都合よく形成され、宇宙法則の理からも外れた独立した別世界。ある意味じゃ本当の異世界っすね。それが今の状況です。飽くまで推測ですが……」

「どういう事だ……? 何言ってるか一つも分からんぞ!?」

「平たく言えば……ここにはもうAIは存在しない。この普遍化した世界では、外部からの干渉で目覚める事はないでしょう。それこそ永遠にね」

「じゃあなんだ……俺達は、現実世界じゃ死んでしまうのか!?」

「うーん……多分っすけど無事だと思いますよ。今言った通り、もうここは、実世界とは何ら関係の無い世界ですから。過去でも未来でも現在でも無い。カプセルに入っている22時前後から、時が進むことは永劫にないでしょう」

「なんだよそれ……じゃ今いる俺達は一体……?」


 俺は微かに震える手のひらを眺める。もう……帰れないのか? 17年間、佐藤佑樹として生きてきたあの世界には、2度と? 俺は……フルッカスのユーキとして生を終えるのか? だが……妙な気持ちだ。そもそも俺は、現実世界へ帰る気でいたのだろうか。家族と共に笑い合って過ごしてきた日々。この幸せを手放すというのか。


「ぱぱー」


 俺の手のひらを、ユオンがぎゅっと握る。無垢な眼で俺を見つめる息子。ダメだ……こんな小さな息子を残して、帰れる訳がない。残されたヤツはどうなってしまうってんだ。


「……佑樹。色々探せば、現実世界へ帰れる僅かな可能性があるかもしれません。ですが、この赤いホログラムもあと5年使えるかどうか……佑樹が望むのなら、今すぐにでもこれは破棄しますが。どうしますか」

「…………探すのは……止めないで欲しい」


 何故そう思ったのかは分からない。現実へ帰りたいという思いが僅かに残っていたのか……なんでだろうな。今、手段を放棄するのは、とても勿体ない気がしたんだ。答えを出すのは……まだ。


「……分かりました。これからも色々探してみます。すいませんね、ちょっと暗い話で」

「いいんだ。大事な事だ……話してくれてありがとな。これからの事、俺も自分で答えを見つけなきゃな。けど、今はまだ……お前達の父親でいさせてくれ」

「はい……」


 隣に座る信音を俺は抱き寄せる。今までは、現実世界へ帰れるかもしれないからという、漠然とした理由を掲げて生きてきた。だがそれが断たれるかもしれない……これから俺は、何を指標にこの世界で生きていくのだろう。

俺は両腕、そして信音のお腹にいるもうすぐやってくる家族に視線を移す。今の俺には守るべき者がいる。考えるのは後だ……でもいつまでも目を背けてはいられない。答えはすぐに──見つけなくては。

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