#77 道半ば
仮想現実世界、アースヘブンに囚われてから──1年の時が過ぎた。信音からそう告げられたのだ。現在もずっと、拠点を転々としながらゲームを進めている。生活面は、クエストで得た報酬金で衣食住を賄っている。俺達は電脳異世界へ順応し、共に暮らしていた。もう1年経っていたとはな……酒場で食べていた肉塊を頬張りながら、思わず驚嘆の声を上げてしまう。
「マジでか! もう1年経つのかよ。なんだかあっという間だな」
「ええ。本当に……あまりにも早いですね。時っつーのは」
信音は今も尚、脱出する為の方法を探してくれている。1年毎日ずっとだ。8時間以上の作業は俺が禁じてるが、ちょっと目を離すと残業しようとする。信音曰くこの作業は、サハラ砂漠の砂の中に埋もれた1枚の小さな金貨を探す行為に等しいのだと。100年かかっても無理そうだと俺は諭すが、可能性が1ミリでもあるなら、作業は続けていたいのだと……苦笑を浮かべていた。
きっと、俺達は結局ここで10年を過ごす事になるんだろう。けどその決心は3ヶ月を過ぎた頃には出来ていた。多分信音も同じで、一緒にゲームを攻略している内に気は紛れているのか、思い詰めた顔ばかりしていた最初の頃とは違い、多少表情が柔らかくなった。それはいい事だ。
「もうすっかり自分の顔忘れちまったよ。鏡見てもこの青い肌だしな」
「いや、自覚ないかもっすけど、そのアバターセンパイにそっくりですよ」
「そうなのかな、自分じゃよく分からないが。お前はなんか……その外見で中身が12歳のロリだと思うと、頭が痛くなりそうだよ。変な性癖持つヤツに好かれそうだな」
「失礼しちゃうっすね。ま……真は年相応なんですけどねー」
「ん、どういう事だよ」
「うーん……状況が状況だし話しても大丈夫かな……あと9年で忘れるかもだし……」
聞こえない声量で呟く信音。年相応って……確かに信音がそのまま大人になったような姿で、ちょっと似てはいるけどな。一体どういう事だ? 首を捻る俺に、信音は決心したように頷いた。
「多少は外の現実世界で起きてる事と関係ある事だし、少しだけ話さないとっすね。アタシは──正確に言うと12歳の少女じゃありません。生体継続時間は12年で間違いないですが、アタシには精神的に28年分の記憶があります。この身体は、28歳時のアタシの身体そのものなんですよ」
「……はい?」
「アタシは並行世界からやってきた過去の人間なんです。流石に並行世界……パラレルワールドくらいは、センパイなら説明せんでも分かりますよね? 別世界では28歳であるアタシは、記憶のみを異なる世界へ飛ばして、若かりし12歳の肉体に憑依しているんです」
「つまりはなんだ……見た目は子供、頭脳は大人っていうあれか?」
「自己意識として強いのは、本来の時間軸である12年生きてるこっちの方の記憶だし、28歳時の記憶は追加記憶だから断片的で曖昧なんで、実際12歳と言えば12歳なんすけど。最初はビビりましたよ。12年しか生きてないのに、急に知らん28年分の記憶が頭に流れ込んできたんすから。全ては光宙三大地下施設、最後にして最大の研究室──アウラ=ワン=ムンダス。これが事の始まりです。パラレルワールド同士を繋ぐ扉がある施設。アタシはそこを介してこの世界にやってきました」
「待ってくれ……もう、なんだ……訳がわからん!」
「今起きてるこの異常事態も、きっとその施設のせい。だから危険なんですよね……あそこは。あの人は留まる事を知らない。先の研究の失敗だってアタシは……」
「どういう……事なんだ?」
信音は唇を噛み締める。が、すぐに取り繕った笑顔を見せ、俺に向かって首を振る。
「……今は理解しなくても大丈夫です。本来これは、絶対に秘匿とすべき最高機密事項ですから。軽く頭の隅に置いておいて下さい。時が来たら思い出しますよ。話したのも、ただのアタシの気まぐれです。はぁ、なんで話したんでしょうね……忘れてもらっても結構っすよ」
信音は悪戯っぽく笑みを浮かべる。その突然の告白に、俺の頭は真っ白になっていた。並行世界? 憑依? 研究室? ああ、よく分からねえ……話の整理が出来ず、酷く頭を痛める。考えをまとめるのを今すぐ放棄したいくらいに。信音は唸る俺の頬を両手で包み、じっと瞳を見つめる。それは、今まで見せた事のないような、聖母の如く慈悲深い表情であった。
「センパイ、これだけは言っておきます。センパイはいつだって、自分の信じる道を突っ走ればいいんです。全てを犠牲にして光に手を伸ばすのも、ここがゴールだと足を止めても誰も咎めません。一番のゴールなんてのはありません。最良なんてのは、それぞれに存在するんです。センパイが歩む道はどれも全部──幸せなものなんですよ」
今にも口付けされそうな距離。慈愛に満ちたその瞳から、俺は目を背けられなかった。言っている意味が何一つ理解出来なかったからだ。信音……お前は一体、何を知っている。吸い込まれそうな目を見つめていると、突然ピシャリと頬を軽く叩かれる。反射的に目を瞑り、再び目蓋を開くその一瞬で、信音はいつもの小生意気そうな顔に戻っていた。
「はい、この話はもう終わりっす。クエスト報告は済ませたんで、今日はもう寝ますよー」
「な……」
「……どーせ意味はまだ分からんでしょう。まーその内分かるようになるっすよ。気にしない、気にしない」
手をヒラヒラと左右に振る信音。ダメだ……分からない事が多過ぎて知恵熱が出そうだ。今はとにかく身体を休めよう。まだ時間は死ぬほどあるからな。考える時間はいくらでも。俺は頭を抱えながら、下宿先の宿へと歩いていった。
しかし──この世界はあまりにも刺激が豊富すぎた。聞こうにも教えてくれない信音に諦め、信音は他人より多くの記憶を持ち、並行世界からやってきた……そんな部分の記憶だけを留め、真相へと辿り着くであろう部分は、思考する事無く1年、また1年と過ごしいている間に、俺の記憶の深い隅へと消えていった。
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──
「これ以上話すのはまだ早い。今は猜疑の種を植えるだけで十分。アナタは未だ道半ば……全ての真相は旅の終着点にて語りましょう。その資格と覚悟が、あるのであればね──」




