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移行中  作者: あ
甲斐田 信音編
74/106

#74 失われた切符

 私は昔、動物の楽園にいた。物心が付いた頃には、動物達に囲まれていたんだ。動物達に囲まれて育った。動物達と共に学んだ。動物達に私の言葉は届かないし、動物達の声を聞くという愉快な思考も持ち合わせていない。私は常に孤独であった。

 でもある日、そんな動物の楽園の中で私と同じ『本物の人間』に出会った。その人間は動物達に知識を与える人だった。初めて私と会話が出来る存在だった。その人間はモノクロだった私の視界に、色彩を加えてくれた。

 その人も動物達の中で育ったのか、私とは一線を越えて懇意にしてくれた。生まれて初めて出会った人間という存在。知識を教わる者と教える者という関係。近いようで遠き存在だ。だがしかし私は、競り上がる禁忌の感情を抑える事が出来なかった。



 ああ──私がもう少し、早く生まれてくればよかったのに。



 ────

 ──



「センパーイ、天鉱石のかけら持ってません? ちょっとちょーだーい」

「ああ、いいぞ。ロックアナコンダの素材だろ?」

「あざーっす」


 片手をヒラヒラして、背中のバッグに素材をしまう甲斐田(アバター)は、そのまま洞窟の先へと進んでいく。俺も追うようにそれに続いた。

 3日間の課外活動を終え、俺はいつもの日常に戻っていた。仮想空間でのゲーム生活も慣れてきた。今ではすっかり現実世界との区別がつかなくなった。もちろん嘘だ。


「あーっと……このまま洞窟を進みてートコっすけど、もう夜遅いですね。ここらでお開きにしますか」

「ん、ああ。わかった」


 メニュー画面を弄りながら、振り返って俺にそう告げる甲斐田。ふう、もう終わりか。いや凄いなこのゲームは。何が凄いって、もう結構プレイしているはずのに、未だにまだやっていたいと思う所だ。ゲーム終了を促すのはいつも甲斐田からだ。彼女が終わりにしようと言う合図と共に、何かが抜け落ちる形容しがたい寂しさ。それは、まだやっていたいと思ってしまう衝動だ。まさに悪魔的な中毒性。本当に凄い。


「うーん……」

「どうした?」


 甲斐田がメニュー画面を閉じずに、ずっとしかめっ面で何かを入力している。ログアウトが随分遅いな……いつもならもうとっくに覚醒してカプセルを出ている頃なんだが。


「ログアウトできねーっすね。ちょっとセンパイの端末から出てみて下さいよ」

「ん、まあいいけど」


 俺はタブレット型の端末を取り出す。メニュー画面代わりの冒険者の必需品だ。本来メニュー画面はボタン一つで開かれるが、この仮想現実世界では、直接取り出して起動させる必要がある。だがなんら不便にも感じない。むしろリアリティーでいいもんだ。俺は慣れた手付きでログアウトのボタンに触れる。


「ん? なんだこれ」


 おかしい。ボタンを押下した直後、見た事の無い英数字の羅列が出てくる。Error code……System……Gone……あまり良い意味を持たない英語が連なっている。異常さは明らかだった。


「ちょっと見せて下さい」


 顔を歪める俺に、甲斐田は異変を察知したのか、駆け寄って俺の端末を覗く。文字を黙読する甲斐田の表情は、みるみる内に怪訝な顔付きへと変化する。


「エラーコード……410!?」


 俺の端末から目を離すと、甲斐田はすぐに赤いメニュー画面を開き、超速でタイピングする。緊急用の開発者用の画面……今まで見たことないような甲斐田の焦りに、俺の奥で密かに積み上げられた不安は、今にも喉から浮き出てきそうだ。


「お、おい……大丈夫なのかよ? これ、どうしちまったんだ?」

「これはエラーコード410……一時期にサーバーが落ちているエラーの類いじゃ無く、永久的に接続先が消えている時のみに吐くエラーコードです」

「えーっと……すまん。どういう意味だ?」

「んああー、んーっと説明ムズいんすけど、センパイにも分かりやすく言えば──本来、私達が使用してる転移システムは、肉体を一時期に仮死状態に近いものに変え、意識のみをメインシステムを介して仮想現実へと飛ばしてるんです。そのメインシステムのサーバーがダウンしてるんすよ……いや、ダウンじゃなくて完全に消えてるって事を意味するんですがね、このエラーコードは……」

「機械に疎い俺でも、すごく嫌な予感がするんだが……もしかして、それってつまり……?」

「ええ──このままだとゲームから抜けらんねーです」

「うおぉぉ、マジでかァーッ!? 俺達一生このまま!? オイオイオイ……なんとかなるんだろうな!?」

「ありえねー……すません。ちっと待ってて下さい」


 甲斐田は息を深く吐いて呼吸を整えると、赤い画面を3つ4つと展開し、十指を駆使しながら再びタイピングを進める。現れたのは、左上に浮かび上がる人間の口のようなホログラム。そこから発せられる女性に似た機械の合成音声は、甲斐田と会話を始める。


『ごきげんようマスターシオン。ご用件は何ですか?』

「へい、MIHATA──ちょっとアンタ。何がどうなってんのよ。今起きてる問題と修正方法を簡潔に言いなさい。100文字以内で!」

『現在、メインシステムへ接続するマスターコードはfalseとなっております。認証されていないサーバーへの帰還は出来ません。エラーは27件発見されました。ログアウトは承認出来ません。尚、マスターボイス『Mom Dieと出生方法』は100文字以内で説明は出来ません』

「んのポンコツぅー……融通の効かないっ! あーもうじゃあ修・正・方・法を教えて! 何でもいいから! はりあっ!」

『具体的な修正方法をお教えする事は出来ません。バーチャルAIモデルですので、物理的な対処法についてはお答え出来ません。なので有り体に申し上げますと、マスターシオンとゲストNo2様は現実世界へ永劫に帰れません。ありがとうございました。他に何かご用件はございますか?』

「な、な……!」


 無慈悲にそう告げるAI音声。甲斐田は面食らった様子で拳を震わせる。だ、大丈夫なのかよ……何がどうなってるのか分からないが、緊急事態のようだな。


「物理的な問題……まさか電脳室に異変が……まさか理事長が失敗して……あり得ない……既に……世界干渉……ぶつぶつ」


 甲斐田は独り言を呟きながら、再び手を動かす。申し訳ないが、俺に出来る事は何もない。こういうコンピューター関連の知識は打ち止めだ。話し掛けてもかえって邪魔になるだけだろうし……頑張れと心で声援を送るしか出来ぬ。

 今度は右上に大きな画面が浮かび、男性の合成音声が聞こえてくる。甲斐田とAIは言葉を交わす。


「へい、TATENA──アンタ今、電脳室内にいるよね? 現状も把握してるね? MIHATA曰く物理的な問題らしいんだわ。デウス=オブタニオのメインシステムを再構築し、修正シーケンスを実行して。今すぐに! なうよなう!」

『ごきげんようマスターシオン。マスターボイスを承認しました。ですが、存在しないシステムへの修正命令は無効です。現在、私はマスターの脳を介し──』

「うんがー! このアホAI夫婦!」


 言い終わる前に、頭をかきながら画面を閉じる甲斐田。暫く画面を弄っていたが、奮闘虚しく無駄だったらしい。鼻息荒く呼吸を乱す彼女は、やがて深くため息を吐くと、とぼとぼと俺に向かって歩いてくる。


「情けねーっす……マスターともあろうアタシが、原因すら特定出来ず立ち止まってしまうなんて……うぅー……」


 俺の胸に、お辞儀する姿勢で頭部を押し付ける甲斐田。脱力したように落ちていく身体を、俺は咄嗟に受け止めた。


「ま、まあ……今何も出来ないんじゃ仕方ないだろ。とりあえず何か分かるまで落ち着こうぜ? な……?」


 仮想現実世界とはいえ、グラマーな女性の身体が押し付けられのは堪えない。行き場を失った俺の手は、慣れない手付きで甲斐田の背中をそっと叩く。甲斐田は虚ろな目で身体を起こす。


「さーせん……アタシとした事が取り乱しました。こんな事例初めてなんすよ」

「コンピューターなんてそんなもんだろう。一旦外に出ないか? こんな薄暗い場所じゃ、気も滅入っちまうよ」

「そっすね……とりあえず出ましょうか」


 俺達2人は洞窟を抜け、空の元へ歩いていく。ログアウトは出来なくても、その内直るだろう。むしろちょっと続きが出来てラッキーだな──今は、そんな軽い気持ちであった。

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