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移行中  作者: あ
甲斐田 信音編
73/106

#73 テントの下で

「くうっ、腹減ったな……」


 くるくると可愛らしい音を奏でるマイ胃袋。時刻は夜22時──自分1人だけのテントの中、就寝時間になっても眠れずにいた。虫の音と木々のせせらぎを安眠BGMにしても、蒸し暑さと空腹のせいで一向に寝ることが出来ない。

 夜ご飯は、皆で食べるカレーライスだった。当然、俺はあまり口に出来なかった。そりゃそうだ。昼のキラーランチのせいでカレーなんて食べれる訳が無い。多分向こう一年はカレーを食べれないと思う。昼と夜を食い損ねたので、今こうして悶えているって訳だ。なんかもう、抜け出して食料漁ろうかな……と、頭を抱えている最中だった。ジジッとテントのチャックが開き、なんと松家が入ってきた。


「邪魔するわよ」

「な、な……なんでお前!」

「静かにしてよっ、見つかっちゃうじゃない」


 人差し指を口に当て、静かに怒鳴る松家。な、なんで来たんだコイツ! 班は一緒でも、当然男女でテントは分けられている。勿論消灯後に、他の人のテントへ行くのは禁止。意味分からん……何故そんな危険な事を。


「何しに来たんだ……夜這いか?」


 無言で俺の頭をグーで殴る松家。グーでいくなグーで……ん、そういやなんか持ってるな。中身は分からないが、薄ピンク色の巾着を片手にぶら下げていた。


「これあげる」

「んあ? なんだこれ」


 松家がグイッとそれを俺に手渡す。中身を開けると、中にはラップに包まれた──おにぎりが入っていた。


「お、お腹空いてると思って……その……」

「松家……」

「べ、別に意味とか無いから。あなたがお昼を食べ損ねたのは、私に非があるし……借りを作りたくなかったのっ」

「お前……この期に及んで俺に追い討ちか!?」


 再びグーで俺の頭を殴打。あれ、今の俺が悪い? だって警戒するじゃんね。松家は青筋を浮かべ、俺の額に人差し指をグリグリと押し付ける。


「普通のおにぎりだからっ! まあ、あなたが炊いたご飯だし、捨てるのは勿体ないと思って……たまたま通りかかって渡しただけ。袋は返さなくていいから。用はそれだけ……じ、じゃあね」


 それだけ言い放つと、松家はスタスタとどこかへ去っていった。ふーん……わざわざおにぎりを作って、専用の巾着まで用意して、就寝時間過ぎてるのに、たまたま通りかかった、ね……ははは! なんだアイツ、結構可愛い所あるじゃん。俺はニヤニヤと笑いながら、松家が作った不恰好なおにぎりを手に取る。


「うん……旨いな」


 具材は何もない塩おにぎり。だが今は、この無骨なおにぎりが、何よりもありがたい。お礼言い損ねたし、後日ちゃんと言わないとな。3つあったおにぎりは、あっという間になくなった。満腹感のおかげか眠気もやって来た。俺は微睡みに任せて、横になる。


「おやすみ……」


 目を瞑った瞬間、外から微かな足音が聞こえる。その音は徐々に近付いて、俺のテントの前で止まる。


「お〜い、ボーイ寝たか〜?」

「…………」


 入り口を少し開けて覗く人影。この声は北条先生だ……確認しに来たんだろう。返事をしなければ、寝たと判断してその内去るだろう。声を出せる気力も無い。俺は睡眠の一歩手前まで、意識を深く落としていた。


「私が遊びに来たんだから起きろ貴様ァ」

「はえ!?」


 いつの間にテント内へ入ってきていた先生。缶ビール片手にドカッと俺の側で座り込んだ。何これ……マジでどういう事なん? 


「先生……就寝の確認しにきたんじゃ……」

「い〜やァ? ただ暇だから遊びに来たんだぞ〜」


 そう言って缶を傾ける先生。すんげえ顔赤いし、酒臭い……酔っぱらいすぎだって。相変わらずメチャクチャすぎるこの人。


「遊ぶ事なんてないすから……もう寝るだけなんで、先生も早く戻って下さいよ」

「なんでゃと〜? さっきは松家とイチャイチャしてたくせに〜、先生とは遊べないっつーのかァ?」


 すり寄るように、俺の膝に頭をのせる先生。バレてたのかよ……違反行為は普通、何らかの処分がいってもおかしくないのに、それを知ってて……全くこの人は。


「そだな〜……何かモノマネでもしてくれボーイ。全盛期の藤波のドラゴンロケットしてくれ」

「古いわ! 何歳なんすかもう……てか酒弱いなら、そんなベロベロなるまで飲んじゃダメですってば。しかも校務中に! ほら、水飲んでくださいよ」

「んぐ……誰が行き遅れたアラサーだごらぁ……私はー……まだピチピチの23歳だぞ……」


 んな事言ってないし……っていうか、やっぱ若いな先生。ピチピチなんて年増しか使わない言葉だが、本当にピチピチだ。その若さで教員資格を持ち、エリート私立校に配属されるのは、やっぱ地頭良いんだろうな。


「先生って大学出てから、すぐこっちで働いてるんすか?」

「いんや……数ヶ月は他の仕事をしてた。理事長に出会わなければ、私は今も、お水の仕事をやってだろうな」

「そう、だったんですか……父さんが……」

「辛気臭い顔をするなボーイ。安心しろ、健全なキャバクラだ。まあ、枕営業を求める猿のような輩は、絶えなかったがな。ある日、客として来店した理事長と意気投合してな。それで──君、教師に向いているよ。ウチで教員やらないか? ってな。それだけだよ」


 水で酔いが醒めたのか、落ち着いた様子で話す先生。年若くも色々と経験してたんだな……なんとなく納得がいった。


「成る程……水商売から救ったのが、父さんって事ですか」

「ふーむ、それには少し語弊があるな。別に蜘蛛の糸の話って訳じゃないんだ。親に半強制的に働かせられていたが、楽しかったよ。ククク……というか、私はどこの職場でも楽しめると思うな。きっとそういう性分なんだ、生まれつきね」


 先生はクスクスと笑う。強制、か……笑えてるのが強いな。てっきり父さんが救ったのかと思ったけど、先生は先生でお水の世界を楽しんでたんだな。強かだなあ。


「仕事というのは一生付き纏ってくるものだ。それにどう付き合っていくかは人それぞれだが、何事も楽しんだもの勝ちだ。君も多いに楽しむといい。どんな仕事や状況でもな」


 楽しんだもの勝ち、か……そんな風に物事を考えられるのは普通に尊敬する。先生の不敵な笑みを見ていると、なんだかそう思えて仕方がない。


「なんだ……もうこんな時間か。戻るの面倒だしここで寝ていいか?」

「良い訳ねーでしょうが。自分の寝床で寝てください……」

「やれやれ。つれないなあ」


 そう言って、俺の膝から頭を起こす先生。「邪魔したな」と言い残し、颯爽と去っていった。嵐のような人だ……さて、明日もあるし俺も寝なければ。色々あったけど今度こそ……おやすみ。

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