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移行中  作者: あ
甲斐田 信音編
72/106

#72 お約束も必要

 某所大学病院──地下病棟。解剖衣、アナラプロンを着た2人の人影が、薄暗い地下の一室で、人体解剖の準備を進めていた。


「それでは、病理解剖を始める。死亡診断書は?」

「はい、こちらに。献体者名──甲斐田信音、68歳女性。親近者該当無し。過去の頚椎損傷による四肢麻痺で、寝たきりの生涯を病院で過ごす……一昨日、突然呼吸激しく乱し、暫くして死亡を確認。死因は急性心不全による突然死と見られる。うーん、なんだか可哀想な人ですね。こんな人生、俺だったら気が狂ってしまいますよ」

「献体者に同情をするな。余計に気が狂うぞ」

「あ、はい……」

「始めるぞ──」


 冷たい解剖台に乗せられた、物言わぬ老婆。医者の男はその身体に、ゆっくりとメスを入れるのであった。



 ────

 ──



「食材は行き渡ったな。それでは各班、それぞれ調理してくれ」


 北条先生のメガホン越しの号令が、平地のキャンプ場へ響く。時刻は13時。昼食の時間だ。なんと今回は、農家の人から貰った野菜などを使い、班ごとに料理をするというランチなのだ。メニューは決められておらず、各々勝手に献立を決めて作っていいらしい。机に並べられたのは、日光に照らされた採れたての野菜達。

 さて、この子らをどうしてくれようか。生まれて17年……勿論料理なんてしたことがない。作れるのはピザのみ。素材はそう──金と携帯だ。


「えーっと……どうする?」


 困った顔で女子2人に首を向ける俺。ここはやはり女の子に任せた方が無難だろう。鶴姫さんは見るからに料理上手だし、松家はしっかりしてそうだから、自炊してるに違いない。きっとそうだ。


「どーしょ〜私、薙刀以外の刃物は持った事無いんよ〜。包丁働きなんてとても……」

「私も料理は全て父に任せてるから、やった事ないわ」

「ぐは……」


 思わず頭を垂れる。即答で料理オンチを暴露されてしまった。まさかな……と、最悪の想定は脳内でしていたが、まさか現実になってしまうとは。俺も出来るとは言えないが……どうしようか。


「まあ、この食材ならカレーでいいんじゃないの?」


 松家が机の上に置かれた野菜を撫でながら、そう提案をする。確かに……それなら失敗する事はなさそうだ。野菜カレーか、いい響きじゃないか。


「まあ、美味しそうですね〜」

「カレーなら大丈夫そうだな……よし、じゃあ作ろうか」


 ────

 ──


「なあ、食糧危機って知ってるか?」

「はい……」

「世界中では、食事をまともに出来ない子供がたくさんいるんだ……」

「そうね……」

「日本は豊かな国だよ……豊かすぎて食品ロスが問題になる程にね……だからってさ──」



「カレーをゴミにするのやめてくんなァい!?!?」



 頭をかきむしって膝から崩れ落ちる俺。目の前に並べたのはなんという事でしょう。黒く変色し、ゴポゴポと煮えたぎる、カレーの原型すらとどめていない、暗黒魔界の毒沼のような地獄の料理ではないか。


「うぉぉぉい!! 何がどうなってこうなった!? なんだこのおぞましいダークマターは!! 食えるかこんなん! 飯盒を任せるから、私達にルーは任せなさないって言ったの誰だよ!!」

「し、しょうがないじゃない! 作るの初めてだったんだから!」

「初めてでもこんな分かりやすい失敗するかね!? こんな擦られ続けた、料理の様式美なんて面白くねえよ! 何入れたらこうなるんだ!」

「えとですね……まずお野菜でしょ〜、それに、ポテトチップス、グレープソーダ、チョコミントアイス、あん肝、ホヤの塩辛、バフンウニ、マグロの目玉、ゴーヤ、鮒鮓、臭豆腐、ドリアンに──」

「もういい。もういいって……ねえ、カレーって知ってる? なんでカレーなのにカレーが入ってないの? なんでカレーに入れる食材のワーストから攻めていくの? なにこのチョイス、精力剤作ってんの? カレー入ってないカレーなんて聞いたことないよね。ラーメン下さい、麺とスープ抜きでってか? ねえ!?」

「ご、ごめんなさい〜……カレーて何入れても美味しく出来るて、聞いてたんよ〜」


 カレーの包容力を過信しすぎだ。全く……お約束にも程があるぞ。一つ一つは綺麗な絵の具でも、全て混ぜれば黒くなるのだ。目の前のこれは最早、食糧廃棄物だ。何一つまともが無いアベンジャーズだ。ていうか、ポテチやアイスはいいとして、何でウニとかドリアンが用意されてんだよ。クソ……絶対父さんのせいだろ!


「どうしようこれ……」


 今日、俺達は野山を駆け回り、自然の中でカロリーを使い果たした。勿論お腹が空いている。晴天下でそれを満たす野菜カレー、作る前から空腹の掻き立ては止まらなかった。今すぐにでも食べたい。けど、それは完成までのお楽しみ。それを糧に、俺は慣れない手付きで必死に飯を炊いた。そしてお楽しみの時間、さあ完成だ。お待ちかね! 後はカレーをかけて出来上がり! いただきます! うん美味しい! 最高だ! これが生の全てだ! と、なるはずだった。悲しきかな現実は辛い。目の前に置かれたのは、カレーですらない特級呪物。例えるなら花が咲き誇る草原を、満面の笑みでスキップしてる最中に、突然ラリアットされ馬乗りになってボコボコにされた気分だ。


「とりあえず……食べましょうか……」


 松家がボソッと呟く。マジかー、こんな年老いたゾンビを煮込んだようなスープを見て、よくそんな事を口に出来るなー。味見だけ……と、松家がちゅぴっと小指で掬って、それを舐める。


「お、ごォ……あぎ……がァ……ごぼぇ!?」


 それを口に入れた瞬間、松家は喉元を押さえながら、地面に倒れ込んでゾンビのような呻き声を漏らす。女の子が出していい声じゃなかったぞ今。松家のクールな印象が、全て崩れ去った。


「捨てましょう……食べたら……死ぬわ……」


 震える声でそう言い残した後に、力尽きる松家。因果応報とはよく言ったもんだ。なにこれ。超神水なん? スプーンで食べようものなら、半日は悶え苦しみそうだ。いや、最悪死ぬかもしれない。


「う、あぐ……」


 まあ、これは無理だろうし、捨てに行こう──と、横目で鶴姫さんを見たその時、信じられない光景が広がっていた。なんと鶴姫さんが、鍋に入っている物体Xを食しているではないか! その目には涙が浮かんでおり、スプーンを持つ手は小さく震えていた。俺は咄嗟にその手を掴んで、制止させる。


「何やってんだよ鶴姫さん! こんなエイリアンのゲロみたいなもん、食ったら死んじまうぞ!」


 それでも鶴姫さんは食べることを止めない。ふるふると首を横に振りながら、ゲテモノ大運動会を食すスプーンの手を休めずに動かしていた。


「昔は……今ほど食べられなかったんよ……腹に入らば……何でも馳走なんです……残したらいかんぞなもし……あぐ……」

「つ、鶴姫さん……!」


 くっ、俺はなんてバカなんだ。そうだ……大昔、人々は日々を生きる為に、命を賭して食糧を求めて狩りをした。食とは……人類文化を象徴するものだ。その先人達が遺していったものを──料理を。無下にする訳にはいかない。料理一つに怖じ気付いていては、死んだ祖父に顔向け出来ないな。強くなりたくば喰らえ! 迷ったら食ってみろ! ありがとう鶴姫さん。俺、目が覚めたよ。俺はこのファイナルウェポンを食って見せる!


「はぐ……あ、無理。ごぼぶへぁぇーーーッ!!!」


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