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移行中  作者: あ
甲斐田 信音編
71/106

#71 森での午前中

 その頃──学校では、理事長室で紅茶を嗜む2人の影があった。静かな昼下がりの午後。2つの影──男と少女は、大理石のテーブルで向かい合い、紅茶を啜る。


「そろそろ佑樹達は到着している頃合いかな」

「そうっすね。もう着いてると思うっすよ。つまり、センパイは3日以上、"この場所"に完全にいない事になりますね」


 含みのある言い方で、紅茶の水面に写った自らの顔を眺める甲斐田。理事長は遠くにいる息子の顔を思い浮かべると、薄く笑みを零す。甲斐田の意図を汲み取った理事長は、紅茶を一口で飲み干すと、立ち上がって大きく背伸びをする。


「……時に、部活動中の佑樹はどうだ? 上手くやれているか?」

「……それは、理事長としての言葉っすか?」

「いいや。ただの1人の父親として問うてるんだ。個人的な質問だよ。酷くありふれたものさ」


 甲斐田は顔を上に向いて息を吐くと、真一文字に結んでいた口を少しだけ綻ばす。


「楽しいですよ、センパイと一緒にいると。ちょっと鈍感で、突っ走ってるので目が離せなくて……そういう不思議と人を惹き付ける人格なのは、父親譲りっぽいですね」

「ハハハ、褒め言葉として受け取っておくよ。息子と仲良くやれてるようで良かった」

「……そろそろ行きましょうか。変な感情が湧く前にさっさと、ね」

「そうか…………分かった。では、地下の帝国へと向かおうか──」



 ────

 ──



「──という一日を毎日過ごしているんだ。我々も森の一部。森で生きてるんだよ」


 頭にタオルを巻いた健康的な肉体をした中年男性が、木を叩きながら、俺達に向かってはにかむ。

 俺達の班は、林業を営む男性に、森を案内されながら話を聞いていた。林業か……今まで触れてなかった分、大変さがよく分かった。


「大変な仕事だけどね。誰かがやらなくちゃいけない仕事だ。これが必要なんだ……ここから全ての人間に広がっていくんだって思うと、なんだかこう、自然とやる気が溢れるんだよね。やりがいはあるよ」

「なるほど……ありがとうございます」

「伊賀さーん! こっち手伝ってください〜!」

「んだよしょうがねえな……おう今いくよ!」


 部下らしき若者達に手を振って、悪態をつきながらも笑う男性。俺達はお礼を告げ、スタンプを貰って次の場所へ出発する。道中、松家が独り言の声量でポツリと呟く。


「凄いなあの人……親から反対されつつも、自分がやりたい事を貫いて、部下にも慕われて……仕事をやりがいがあると心から笑っていた。強かだなあ……私もやらなきゃ……」

「剣道部の事か?」

「な……」


 俺が聞いてるとは思わなかったのだろう。すごい勢いで首を回すと、俺の顔を睨んで赤面して見せる。

 前に茶道部の見学へ向かう途中、狗田から聞いたやつだ。弱小の剣道部を立て直そうとしてる女部長……松家はその赤い瞳を俺に向け、渋い表情で質問に答えてくれた。


「知ってたのね……ええそう。弱小で……単位の為だけに所属する、やる気の無い男達を引っ張っている"姫"よ。皆そう言うわ……ま、素人のアンタには関係の無い話よ」


 自虐的に笑みを浮かべる松家。フンッと鼻を鳴らすと、そそくさと山を下って行く。一応有段者なんだがな……まあ、部員じゃない俺には関係無い話なのは確かだ。ってあれ? そういえば鶴姫さんは?


「佐藤さ〜ん」


 辺りをキョロキョロと見渡した直後。木陰からぴょこっと現れ、何やら嬉しそうに俺に駆け寄る鶴姫さん。足元の悪い山の下り坂……それをまるで忍者のように軽快に下りてくる……行きの時も思ったが、彼女は文化部だと言うのに、見かけに依らず足腰が強いんだな。


「ええもん見つけたんよ。これ見とん〜ほらぁ」


 笑顔で差し出された両手。その手のひらには、親指ほどの大きさの白い芋虫のようなものが蠢いていた。


「どっふぉう!?」

「あなや……そないいなげな声出して。どしたの?」

「俺……こういう虫ガチで無理なんだよ! クモとかゴキブリとか、節足系は平気なんだけど……ミミズとか芋虫とか幼虫みたいなもんはマジで無理!」


 今も尚、鶴姫さんの手の中でうぞうぞと動く白い物体……うぉお……見てるだけで全身手羽先だ。分かったから……必死に生きたいのは分かったから、もう動くなって……! 頼むからさっさと成虫に変態してくれ……!


「よ、よく素手で行けるね鶴姫さん……」

「ほーかな? これテッポウムシ言うて、私の所じゃ、農民さんらはよ〜食べてたんよ。佐藤さんもどうかな〜って思って。あ〜ん……」


 徐に口を開けて、その手のひらを傾けようとする鶴姫さん。待て待て待てーい! 俺の目の前で、そんなモザイク必須の地獄絵図を広げてたまるか! 俺は慌てて彼女の腕を掴む。


「ま、待ってくれ鶴姫さん! 食べるのは万歩譲っていいとして、俺の目の前で食わんでくれ!」

「えぇ〜、どーしょ……佐藤さんと一緒食べようおもて捕まえてきたんよ〜これ」

「いやいやいや……悪いけど無理だから……」

「そですか〜残念ですねえ。この子達は森へ返しときます〜」


 鶴姫さんは残念そうに木の根元にしゃがみこむと、虫達に別れを告げる。やれやれ……想像以上にお転婆な子だ。次の場所は……ここか。松家も先に行ってしまったし、早く合流してスタンプを貰おう。


「んぐ……ほたら、瀬那さん所行きましょうか〜」

「……ッ!?」


 笑顔で俺の横に並ぶ鶴姫さん。何故か頬を膨らませ、何かを咀嚼している。ぐちゅ、ぐちゅ……と、この世の地獄みたいな音がするが……俺はただただ戦慄するだけで、それが何かを聞くことは出来なかった。



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