#61 純情可憐のお嬢様
雪が降る京都の朝空。喧騒一つ無い静かな空間は、時間を忘れさせてくれる。俺の靴跡は迷い無く真っ直ぐに──上杉がいる旅館の庭園へと向かっていた。
庭園の中央──竹垣を背に池を眺めている上杉の姿があった。雪に彩られた和風庭園に、傘も差さず白い景色に埋もれ、儚げに佇む上杉の姿は、筆で描かれた絵画のようだった。
「……上杉っ」
俺は彼女の名前を呼ぶ。振り返る動作がとてもスローモーションに見える。髪に雪が乗った上杉の表情は──どこか切なく、今にも泣きそうで、そして穏やかに笑みを浮かべていた。
「ったく、風邪引くぞ」
旅館の玄関で借りた青い傘を差して、上杉の前へ持ってくる。不思議だ……傘を差した途端、静かだった辺りの空気が更に静寂なものに変わっていく。まるで……この世界に2人しかいないように。俺と並ぶ上杉は、少し頬を赤らめて、髪についた雪をさっと振り払う。
「迸る熱を冷ましていたんだよ。でも……ひどくなる一方だ。ほら、もう雪も溶けてしまった……」
「……やっぱ風邪か?」
「……愚か者」
「はは、冗談だよ」
上杉は少し不機嫌そうな顔を浮かべると、いきなり俺の眼前に迫る勢いで顔を近付ける。
「そんなに熱を心配するなら、確かめてみればいいじゃないか」
酷く冷えた手の感触が頬に伝わる。けれど……宛がわれた額は、これまた酷く熱かった。
「……やっぱ熱じゃねえか。ひっどい熱さだぞ……」
「フフ、そうだな……冷めそうにないよ」
上杉の仄かに熱を帯びた吐息が口にかかる。少し前に顔を倒せば、唇に触れてしまえる程に近い。上杉はそっと口を開く。
「佐藤、私は──」
「あー待った。せめて俺から言わせてくれ。受け身ばっかじゃ格好つかないだろ……」
俺はしっかりと上杉の瞳を見据える。ヤバいな……ここに来るまで、色々な言葉を用意したってのに。顔を見たら全て消えてしまった。緊張で俺まで顔が熱くなり、口と喉がくっつく程乾いている。反射的に出た言葉は、あまりにも稚拙なものであった。
「なあ上杉。俺は口悪いし、気分屋で、ぶっきらぼうで素直じゃない。これから先、お前に苦労かける事間違いナシだ。本当に……俺でいいのか?」
「フフ、辞遣いは言い様だろう。それは言い換えれば──偽りの意見を言わぬ正直者で、柔軟な感情を持っていて……根底には真っ直ぐな誠実さを持っている。私は──そんな君が好きなんだ」
「お、俺から言わせろっつったのに……あ、ああそうだよ。俺もお前が好きだよ。リーダーシップがあって、仕事に真面目で、自分より他人に優しいとこも、氷みてーな冷静さを持ってるかと思えば、時にすんごい大胆で破天荒なとこも、箱入り娘で世間離れしてるのも見てて飽きない!」
「……それは褒められているのか?」
「褒めんてだよっ、ボキャ貧ですんませんでしたァ」
「あっははは……不器用な所も、見てて飽きないな」
上杉は顎に手を当てて笑う。やれやれ……予想はしてるけど、上杉にゃ一生頭が上がらない気がする。まあ、それもいいかもな。
「君は私の事を友と呼んでくれた。七雲ともう一度話し合う機会をくれた。ずっと孤独だと思ってた私に……光をくれた。そんな君が──私は好きだ」
「……改めて聞かせてくれ上杉。俺の──恋人になってくれるか?」
「勿論だ。こちらこそ……宜しく頼む」
緩急無く上杉が即答する。目の前にいる女性、生徒会会長の高嶺の花の彼女。俺と上杉は恋仲となった。そして俺達は──雪降る銀世界の中、誓いの口付けを交わすのだった。
────
──
時は流れ──1年後の夏日。いつの間にか3年生となっていた俺は、いつも通りの登校時間を過ごしていた。いつもと同じ──"麻冬"と並んで学校前の坂を上る。
「はーあ……もう高校生も残すとこ半年かー……はえーなあ、もう終わるなんてさ」
「そうだな……月日というのは、瞬く間に終わってしまう。春からは大学生として、社会人に向けて齷齪と勉学に励むんだろうね。"佑樹"も進学するんだろう?」
麻冬が俺を下の名前で呼ぶ。俺達の交際は勿論続いている。俺の方は交際が始まってからすぐに下の名前で呼んでいたが、麻冬の方はかなり時間を要した。恥ずかしがらずに佑樹と言えたのは最近になってからだ。
去年の年明けに、麻冬の家にお付き合いの挨拶にも言った。あれは緊張したな……上杉家は、想像通り絵画でしか見ないような豪邸だった。家柄に厳しい麻冬の親は、表面上はにこやかに接してくれていたが、どこか見定めるような空気が少しだけ居心地悪かった。
使用人の集団にいた宇佐美が、父さんの名前を出してくれたおかげで少し楽になったが。父の名はあのビジャモンにまで及んでいるようで、その効果は絶大だった……麻冬の父さんは俺の手を握って「娘どうぞよろしく頼む」と満面の笑みを見せてくれた。内心複雑だが。
麻冬は家を出る時、申し訳なさそうに「早く独立して、立派な経営者になってみせる」と笑みを浮かべていた。
完璧な家庭なんてありはしない。麻冬の苦悩と決意──夕陽に照らされた麻冬のあの表情は、俺の目に未だ焼き付いている。俺はそんな困難も、きっと麻冬なら乗り越えられると信じている。
「まあな……父さんが同じ系列の大学を薦めて……っていうか、反強制的に付属みてーな場所に入れられそうだ」
「私もそこへ進学するつもりだ。あそこは様々な分野の学科が集結している。いい刺激を得られる事だろうさ……その……学科は別れてしまうだろうが……えと、その……」
麻冬は坂を見下しながら、少し歩幅を狭める。俺は、腕を組ながら悶える麻冬の手を取り上げる。右手をしっかりと絡ませ、逃げないようにしっかりと。
「ああ。また一緒だ。これからもずっとな」
「ゆ、佑樹……人目が……」
「隠すもんでもないだろう、手繋ぎくらい。直江と宇佐美もやってるんだぞ?」
「う、うん……」
麻冬は顔を紅潮させ、手で顎と下唇を押さえながらも、手を繋ぎながらの登校に了承してくれた。俺も俺で、少しだけ恥ずかしさもあるが、以前程でもない。麻冬の大胆な所がうつったのかもな。自分で言うのもあれだが、前より胆力の部分が成長した気がする。
「……佑樹」
「なんだ?」
「好きだぞ」
「ああ……俺もだよ」
きっと俺達の前にはこれから先、幾度と無く障害が立ち塞がる。それでも俺達は手を取り合ってゆくだろう。俺を支え、幸せにしてくれる彼女。俺もまた、彼女を支えようと誓うのだった。そしていつか──幸せな家庭を築くんだ。
THE END




