#60 禍輪零の災
不気味な程静かな山道を俺達は並んで歩く。虫達の鳴き声と俺と上杉の足音だけがこだまする。明かりが無いと数歩先も見えないような、まさに一寸先は闇状態。この背中から這い寄ってくる震えは寒さ故なんだろうか。今の俺なら、小枝を踏む音にすら声を出して飛び退いてしまいそうだ。
「…………」
隣にいる上杉を横目でチラっと見る。特に怖がる様子も無く、毅然とした態度できびきび歩いている。ありゃ……こういうクールな奴ほど、幽霊とかそういう怪奇的なものは苦手っていうのがセオリーなんだが。
おっと、じろじろ見すぎた。俺の視線に気付いた上杉がこっちを向き、俺と目を合わせる。気まずくなる前に俺はその事を上杉に聞いてみる事に。
「上杉お前、幽霊とかそういうタイプの奴はいけるクチなのか?」
「うん? ああ、まあ……目に見えないものを恐れる事はない、かな」
「だ、だよなあ! 幽霊なんているわけねえよなあ!」
「いや。幽霊の存在自体は、古くは古事記にまで書かれている。霊の存在は大昔から今に至るまで、延々と人々の間で言い伝えられているものだ。頭ごなしに否定は出来ない。非科学的な存在は、一概に都市伝説だと簡単に片付けていいものではないのかもな。もしかすると、近い未来──霊の存在が科学的に証明されるかもしれんぞ」
「…………」
絶句する。味方だと思っていたのに、裏切られた気分だ。俺は上杉嫌な汗をドバドバ出しながら、俺は上杉を置いて早歩きで頂上へと進んでいく。後ろから少し焦った声で上杉がついてくる。
「ま、まあ……昔の人々は伝染病を悪魔の呪いとか、自然災害を神の怒りと呼んでいた過去がある。霊もきっとその類いさ」
その気遣いが地味に来る……俺はため息一つ吐くと、元の速度でトボトボと歩き出す。
「この話で思い出したんだが……学校で一度奇妙な体験をしたんだ」
「ちょ、おい──」
「いや霊的なものではない。夏の終わり頃だったか……体育館の設備点検の見回りを行っている時だった。ステージの奥で背中を見せて作業をしていた理事長をお見掛けしてな。疚しい気は無かったんだが……何故か、当時私は言葉をかけられなかった。
理事長は教壇の前で座り込んだと思えば、突然体育館全体が揺れるような振動と共に、演台に隠し扉のような……見たこともない機械的なオブジェが下方から現れたんだ。目を疑ったよ。
その刹那、震えるような寒風が前方から吹いてきた。残暑の日差し射し込む、茹だるような猛暑日だったと言うのに、それはまるで真冬の大雪のような寒波だった……空調設備の類いではないだろう」
「はぁ……」
「すると突然、頭痛と共に妙な感覚に襲われてな……頭の中に唐突に、見たことが無い景色や体験のビジョンが流れ込んできたんだ。存在しない情景や記憶……走馬灯のように、私の頭を駆け巡った。あんな事は始めてだったよ。理事長も気が付いたらお姿を消していた」
「そうすか……」
脈絡の無い……上杉にしては珍しいが、そんな話で俺はビビるとでも──っと、肩をすくませ呆れた顔をした時だった。
「あれは恐らく……佐藤。お前の記憶だった」
「……はい?」
「誰から呼ばれていたかは分からない。様々な声で"佑樹"と呼ばれたんだ。同年代くらいの少女と静かな浜辺で語り合う記憶や、胴着姿の老人から"剣先を指先と化せ"と説教される記憶もあった。あれらは一体……誰だったんだろうか」
「なんだって……」
思わず冷や汗を流す。海辺で少女と話す記憶は無いが……剣先を指先と化せ──死んだ爺ちゃんから、剣道を教わる時に何度も言われた言葉だ。幼き頃、2人の時だけに言われた俺だけが知る言葉。上杉が知るはずもない。
「マジかよ……」
俺の記憶が上杉の記憶に入り込む。体育館の底に……一体何があるっていうんだ。
「む……マズイ。かなり時間が立っている。急ぐぞ、佐藤」
スマホの画面を見ながら、上杉が俺に早く歩くよう促す。やっべ……話し込んでたら予定より遅い時間になってた。俺達は少し駈け足で頂上を目指す。
「ここ、か……」
辿り着いた。頂上に佇む古びたしめ縄が巻かれた鳥居。普段は入れないように封鎖されている。俺達は麓で言われたように、札を燃やし、3度お辞儀をしてから鳥居をくぐる。
鳥居の奥──古い石造りの遺跡。鬼を模した悪魔のような石像が俺達を迎え、風の音がコオォォ……っと、不気味な調べを奏でている。その異様な雰囲気は、現世のものとは思えなかった。まるで黄泉の国だ。その景色を眺めているだけで、薄ら寒さを覚える。1人だったら失神しそうだ……イカン。頭痛くなってきたぞ。
「では、始めようか」
上杉が下で渡された瓶に唇を付け、清水を口に含む。
「ん……」
それを俺へと手渡す。そう、だな……これは神聖な儀式なんだ。邪な気は今は捨てよう。俺は上杉が口を付けた瓶の中の清水を、一気に喉へ流し込む──これで第一の儀は終わりだ。
「次はどうするんだっけか?」
顔が赤くなる前にとっとと次へ行こう。上杉は今度は──徐に上の衣類を脱ぎ始める。
「ちょ、上杉!?」
「ん、どうした? 札を燃やした聖灰で、勇士が巫女の背に印を刻み。誓いを立てる……間違っていたか?」
「い、いや……そういう訳じゃないが……お前、その……抵抗っていうのは無いのか?」
「み、脈々と古代から続く崇高な儀式だろう。何を躊躇する。早く刻んでくれ……」
上杉は背を向けて俺にそう促す。一糸纏わぬ上杉の裸体。そのはだけた美しい背中は、月明かりに照らされた女神のように見えた──って何言ってるんだ俺ァ!
「あ……後でセクハラだって言うのは無しだかんな」
俺は勢いに任せて上杉の背中に、灰を付けた両手を突き出す。温かくすべすべしている上杉の背中。その背が段々黒く染まっていく。
「ん……」
「ッ、ど、どうした?」
「いや……少しくすぐったくて……続けてくれ」
艶めかしい声を出さないでほしい。俺が変な事をしてるみたいじゃんか……いや、端から見ればスゲー変な事してるんだけど。
「……よし、絵の通りに印を刻んだぞ」
「ありがとう。では──」
上杉は木箱を持って、摂社のような古い祭壇へ向かい、膝立ちの姿勢で両手を合わせ祈りを捧げる。あそこが──マガワレ様が奉ってある場所なんだろう。
祭壇の手前……井戸のような深堀になっている石段。旅館の人から、"勇士の方はくれぐれも覗かないように"と強く念押しされたものだ。それを思い出して、俺は肩を震わせた。噂程度ものだが……毎年、肝試し感覚でそれを覗いて、"どうにか"なってしまう人がいるらしい。
「終わった、な……これでいいはずだが。よし、では戻ろうか」
上杉がはだけた服を戻し、俺に手で合図をする。俺達は早々に下山する。まあ……ある方がおかしいんだが、何もなくて良かったな。帰り際──シャンっという神楽鈴の音が聞こえたような気もするが……気のせいだろう。
麓へと戻ると、従業員の人と三好が俺達を待っていた。直江と宇佐美は先に戻っているのだろうか。
「お帰りオマエら。どうだったよ? ちったぁ肝試されたか?」
「興味深い体験が出来たよ。楽しかった」
「かー……つまんねーヤツだなオマエはよ。で、佐藤は?」
「いや……俺は結構怖かったぞ……鬼の石像とか、古い遺跡みたいな雰囲気がさ」
「鬼の石像……?」
俺の感想に、旅館の人が首を傾げる。分かりにくかったか? 俺はもっと場所の詳細な雰囲気を言葉で伝える。だが──旅館の人の表情は曇る一方であった。
「遺跡だなんて……そんなもの存在しないのですが……マガワレ様を奉る社はあるのですが、そんな建物があるような場所では……」
「え…………?」
場の空気が一瞬で凍り付く。じゃあ俺達が行ったあそこは……どこなんだ……? 上杉と顔を見合せ、ひきつった笑みを浮かべる事しか出来なかった。
────
──
旅館へと戻り、就寝の準備をする。布団を敷き、寝転がった姿勢で俺は手元のスマホへ視線を移す。メッセージアプリには二件の通知が届いている──上杉と三好のものだった。
「もう、答えは決まったのか?」
読書をしていた直江が、視線を逸らさず俺にそう問う。そんな直江の言葉に、俺は……黙っているしか出来なかった。
「曖昧なまま夜明かすなよ。どちらにせよ、お前は既に1人を傷つける事が決まっている。私と違ってな」
「え?」
「……先程、私は宇佐美に想いを打ち明けられてな。恋人となった」
「は!?」
突然、衝撃の告白をされる。直江と宇佐美が……カップルに。肝試しの吊り橋効果なのか? いや……お似合いかと言われたら、めちゃくちゃお似合いだけど、そんな急な……。
「あんなに女子に興味無さげなお前だったのに、OKしたんだな……まさか俺にあんな事言って、告白されたからなんとなく……って訳じゃねえよなあ?」
「……過去に幾度と無く女子から告白はされてきたが、どれも目の前にして、この人と共に過ごしても何も得るものも無く、未来というものが全く見えなかった。
けれども、宇佐美から想いを告げられた時、ストンっと何かが下りて来た気がした。この人となら──未来を共に過ごしてもいい、とな。宇佐美とは中学からの付き合いで、長く共に過ごしてきた仲間だ。私もどこか彼女の直向きで一途な所に、何か思う所はあったのかもしれないが……この人ならいい。そんな感覚があったんだ。だから了承した。お前も、自らの胸に聞いてみれば分かる」
直江は本を閉じると、布団へと潜り寝息を立てる。自分の気持ちに正直に、か……俺は、どっちと恋人になりたい? これから長い時間を一緒に過ごすのはどっちがいい? どちらと……結婚をしたい?
本当に迷う。だって、どっちもすんげえいい奴で……可愛くて綺麗で……どっちを選んでも、幸せな未来が待っているだろう。そう……ストンっと選べばいいのだ。それを乗り越えれば、俺は幸せになれる。けど……その選ぶという壁が、俺の目の前に天高く立ち塞がっている。けれど、未練は残せない。そんな心境では、2人への冒涜になる。
「俺は──」
結局その日を眠る事無く、朝を迎える。けれど……とても心は穏やかだった。そう、俺は、もう迷わない。心に決めた"彼女"の元へ。俺は一歩を踏み出すのだった。




