#57 お嬢の微笑み
俺と三好を乗せた馬は、宿へと到着する。築100年以上の歴史ある老舗旅館『朝風─asakaze─』落ち着きのある赤と漆の塗装と、主張しすぎない麗しい装飾品の数々がなんとも雅だ。その旅館の荘厳な佇まいに、自然と気分が高揚する。
「おぉ〜、すっげえ高級旅館だなあ。理事長サマサマだぜ……うーっし、こうなりゃトコトン遊んで遊んで、遊びまくってやるか」
三好が腕を回しながら声を弾ませる。俺は高揚感と同時に、激しい葛藤に苛まれている。三好の言葉がずーっと頭から離れない……俺は……どうなってしまうんだろう。ホントに2人の内どちらかを選ぶ運命なのか……? 正直、上杉も三好も……嫌いじゃないし、いいなーとは思ってる。けど……けどよ……どっちかを選ぶなんてよ……俺史上最大のピンチだぜオイ。
宿は内装も綺麗だった。艶めかしい木目の床と、暖かみのある山吹色の灯りが俺達を出迎える。宿の女将らしき妙齢の女性に通され、三好と別れ男部屋へと入室する。
廊下を進み男部屋の襖を開けると、20畳程の和室がそこにあった。寝るためだけの部屋なので中は質素だ。畳が敷き詰められた部屋に、小さな冷蔵庫と座椅子が備え付けられている。先に来ていた直江に軽い挨拶を交わし、俺は畳に座り込む。
「はぁ〜…………」
「なんだお前は。来て早々に溜息なんぞ吐きよって」
優雅にお茶を楽しんでいた直江にツッコまれる。俺は思い切って胸の内を明かす事にした……どうせ物凄い勢いで咎められるから、上杉の名前は伏せるが。
「なあ直江……お前例えばさ……2人の女の子から急に告白されたらどうするよ。俺は2人を傷付けたくないんだ……どうすればいいんだよマジで……」
直江はお茶を一口啜ると、窓の景色を眺めながら鼻を小さく鳴らす。
「阿呆かお前は。そんな手段ある訳なかろう。2人に好かれた時点で、1人を傷付ける事はもう確定している。恋愛なんてそんなもんだろう……当たり前の事だ」
「……そうか、そういえばお前も似たような境遇だったな……」
「フン……毎日私の周りにいる女子生徒達の事か? 彼女らを恋愛対象としてなど見ていない。好意を寄せられても無視する事にしてるんだ。私などに構うなと常日頃から言ってはいるんだがな……一向に離れてくれん。困ったもんだ」
もしかしたら、誰か1人を愛すると他の女子を悲しませるから、無視を決め込んでいるのかもしれない。プロだなコイツ……でも俺は違う。寄せられているのは本気の好意なんだ。真摯に受け止める必要がある──
「邪魔するぞ」
突然、襖越しに声が。開けると、そこには上杉が立っていた。いつもなら普通に「よう上杉、どうした?」なんて言う所だが、今の俺は違う。三好の言葉──俺が好きと言う言葉が頭に浮かんでくる。本当は何かのドッキリだったんじゃないのか? 三好の冗談だったのではないか? と、どこか頭の片隅にそんな思考が過ったがすぐに払拭される。上杉は俺の姿を見るや「あっ……」と小さく声を漏らし、顔をみるみる赤くしていく。襖を開けた時、同じ背丈だから目の前に顔があるからとはいえ……分かりやすすぎる。そんな反応をされると、こっちまで恥ずかしくなってしまう。
「さ、佐藤か……丁度よかった。その……後で私と一緒に……町を見て回ってみないか? あの、夜の査察まで時間があるし……う……い、入り口で待ってるぞ……!」
上杉はそれだけ言うと、早歩きで去ってしまった。どうやら……早速デートに誘われたようだ。その瞬間、背後に気配を感受したかと思えば、ガシッと肩を掴まれる。おそるおそる振り返ると、そこには人を殺せるような鋭い瞳で俺を睨む直江の顔が迫っていた。マズイ……非常にマズイ。上杉の奴、直江に気付かなかったのか!?
「貴様……まさか好意を寄せられている2人というのは……会長と三好の事なのか……!」
「そ、それは……」
直江の腕がプルプルと震える。いつかの時と同じく、投げ飛ばされると思って身構えた──が、直江は長く深い溜息を吐いたかと思えば、畳に膝を突いて項垂れてしまった。
「そうか……やはりそうだったのだな……ならばもう、何も言うまい……想い人のお前を責めるは、最早会長に対しての冒涜になる……おい佐藤ッ!!」
「は、はい!」
直江は突然立ち上がると、顔を手で押さえながら震えた声で俺に迫ってくる。指の間から覗かせる鋭い眼光は、酷く血走っていた。
「もし、会長が可哀想だから……怒られそうだから……などと、周りに流され、自らの意に反した行動で選んでみろ。私は貴様を絶対に許さん。それは最大限の侮辱だ……自らの選択に責任を持ち、そして選ぶんだ」
「直江……」
「早く行け。私が許してもランデブーなど宇佐美は到底許さんだろう。悟られぬよう私がなんとかしてやるから……会長を待たせるな」
直江に背中を押され俺は廊下を歩く。誰かを不幸にしたくない。いつからそう思うようになったのだろう。昔のような、最近のような……記憶は定かではない。俺が余計な事をしたから不幸にさせてしまったのではないか? そんな漠然とした恐怖が俺の中にあったのだ。だから誰も傷付けない方法を探していたんだ……でも、それは間違いだった。寄せられた想いに答えなくてはな。
「上杉」
「佐藤、よかった……では、行こうか」
俺達は京都の町を散策する。雪降る銀の町に、茶葉の甘い香りが漂ってくる。茶屋だ……俺は欲に負けて上杉と一緒に中へと入る。それぞれ温かい抹茶ラテを頼んだ。安心する味だ……冷えた手に湯呑みの温もりが染みる。落ち着きを取り戻すホットする一杯だ。
「なあ、上杉──なんで……いつから俺を想ってくれてたんだ?」
「えっ……」
心に余裕が出来たのか……俺は気付いたらそんな事を口にしていた。上杉はお茶を飲む手を止め、じっと煙を眺める。そして、俺の目を見て微笑んでくれた。
「そうだな……多分、初対面の時からだ」
「な、そうだったのか……?」
「ああ……初めてだったんだ。初めて……尊敬や畏怖の念を抱かれずに接してくれた異性だった。
私は家柄、男性という異性の存在を知る機会が無かった。兄弟はおらず、使用人も女性ばかり。お父様の顔は数える程しか見ていない。異性という存在を知らないで育ったんだ。だから、学生になってもそれは変わらなかった。どう接していいのか分からなかった……そこに小さな乖離が積み重なり、直江のように私を恐れる存在が増えてしまった。
でもお前は、孤独だった私に、敬語を使わず1人の同じ生徒として接してくれた。私を友と言ってくれた。それが堪らなく嬉しかったんだ。多分、異性を好きになるという感情はこの事だったんだって……初めて気付いたよ」
初対面……初めて生徒会城に入った時から、俺を好いてくれていたという事なのか。それは……嬉しいけどな。
「……七雲も佐藤に好意を寄せているのは知っている。七雲は私の大切な親友だ……けれども、これだけは譲りたくないんだ。でも、佐藤が七雲を選んでも……私はお前を恨みはしないよ」
2人して同じような事言ってからに。2人の本気、か。俺は幸せもんだな……同時に罪人でもあるが。
「でも……やっぱり私は……私は……お前が欲しいんだ……佐藤。手放したくない……七雲に、負けたくない……この気持ちだけは押さえれそうにない……こんなの初めての経験だよ」
「上杉……」
「わ、私に至らぬ所があれば遠慮なく言ってくれ……! すぐに是正してみせる。その、服装とか髪型とか、言動も……」
手をバタつかせて、珍しく狼狽える上杉。一途なんだな……好きなったらとことんいくタイプなんだ。純粋で……なんとも愛おしい。
「上杉。俺はもっとお前という人間が知りたい」
「え……?」
「なんかもっと話してくれよ。お前の小さい時とかさ──」
そうして俺達は暫しの間、2人だけの時間を過ごした。




