#34 ありがとう
数時間が経過しただろうか。時計は既に深夜を指している。焦燥、恐怖、悲嘆……もう俺の心にはそれらの感情すら、時間と共にとうに消え去っていた。
やがて集中治療室からひなたがベッドと共に出てくる。ひなたは安らかな顔で寝息を立てていた。医者達はベッドを病室へと運ぶ。それは、ゆっくりとした足取りであった。病室の去り際、医者達は深々とお辞儀をし、部屋を後にする。「申し訳ございませんでした」そう聞こえた気がした。
「……佑樹君」
「……! 起きたのか、ひなたっ」
ひなたの震えた手をしっかりと掴む。酷く冷たい手であった。俺はそれを温めるように、両の手で擦り続ける。
「ようやくハッキリ見えたよ……あれは、私の過去じゃなかった……本当に……予知夢だったんだね……佑樹君に似て……可愛いかったなあ……」
「何を……言ってるんだ?」
「ごめんね……なんでもないよ………」
ひなたは咳き込みながらも息を整える。口を開くのも……とても辛そうであった。
「いいんだひなた。もう無理に喋らなくて。もう今日は休んでくれ」
これ以上負担をかけたくない。また明日に備えて休んで欲しかった。けどひなたは──俺の手を弱々しく握り返し、笑顔を見せた。
「佑樹君……最後に……お話したいな……」
「ッ──」
分かっていたんだ。でも受け入れたくなくて、全て元通りになって欲しくて、ただ……ずっとこれからも側にいたかった。それだけなのに。もう──叶わないのだと。俺は込み上げてくる感情を必死に堪え、ひなたに向かって何度も頷く。
「夢を叶えられなかったのは残念だけど……私、今すっごく幸せだよ……」
「……夢なら叶えられるさ」
「え?」
「結婚しよう」
「え……?」
「ひなたの夢。俺が叶えるよ。家族になろう、ひなた」
「佑樹、君……」
ひなたは俺の一言に破顔させると、やがて少女のように啼泣する。俺は、それを自ら胸でしっかりと抱き留める。
「うわああぁん……っ! 佑樹君……私……本当は、もっと君と一緒にいたかった……もっと2人で色んな場所に行って……一緒の時間を過ごしたかったぁ……」
「ひなたッ……」
堪えていたのもが零れてしまい、頬に涙が滴る。俺は無力だ……あまりにも無力な男だ。ひなたは涙を拭うと、腫らした目を俺に向け、恥ずかしそうに笑顔を見せる。
「ごめんね……最後の最後まで……佑樹君の前だと、つい甘えちゃうなあ……」
「何言ってんだよ……いくらでも甘えろよ! 俺はひなたの全部を受け入れるって言ったじゃないか……大好きな人の為なら、俺はなんだってやるよ……!」
「ありがとう、佑樹君……嬉しいよ……私──」
ひなたは静かに目を閉じ、俺に体重を預ける。
「佑樹君が……最初で最後の恋人で……本当に良かった……」
「ひなた……待ってくれよ……」
ボロボロと涙が零れていく。俺の胸にいる大切な人。俺はしっかりと抱きしめる。どこにもいかないように。
「私ね……本当に幸せだよ……」
「これ以上は……わがままになっちゃうね……」
「だって……こんな私を、いっぱい愛してくれたんだから……」
「佑樹君…………」
「大好きだよ」
ひなたはゆっくりと目を閉じる。
「待ってくれひなた……」
「俺を置いていかないでくれよ……」
「ひなたぁ……」
「ひな、た……ぁ……」
「ひなたぁぁぁぁぁッッ──!!!!」
時は残酷にも移ろい、俺の腕から最愛の人を奪っていく。
視界が色彩を失い、黒く暗転していく。
深い絶望が──俺の心を支配した。




