#32 これから
虫達の合唱が響く静かな夜。時計は既に11時を回っていた。木々は徐々に紅葉を枯らし、葉の衣が散っていく季節。佑樹は学校の坂道をうつ向きながら下っていた。ここ数ヶ月、佑樹は病院に顔を出していない。安美島について調べたり、佑樹なりに努力してはいた。が、結局成果と言えるようなものは全く上がらなかった。
木柴、北条……2人は、今もひなたの病室で授業をしている。佑樹は1人、逃げるように学校で授業を受けていた。日に日に下校時間が遅くなっていく。皆と顔を合わせるのが怖くなっていたのだ。
「木柴のやつ、連絡来ないから怒ってんのかな……先生からも連絡は無い……こえーな……皆、どう思ってるんだろうな……ははは………」
佑樹はボソボソと誰にも聞こえない声量で呟く。2人からは一切の連絡はない。顔を合わせるのが怖い理由の1つだ。理事長もこの事に関しては絶対に口出ししない。お前から踏み出せと言われているように。佑樹からも口を開いていない。何もかもが怖かったからだ。
「ボーイ。ここにいたのか」
ふいに、佑樹の肩に白い手が乗る。佑樹は身体を一瞬震わせ、驚いた様子で振り返る。
「また随分とひどい顔をしているな」
そこには学校の帰りなのか、ビジネスバッグを肩にかけた北条先生が立っていた。後ろからやって来た北条のヒールの音に気付かず、肩に手を置かれてやっと我に帰る程、今の佑樹には世界が見えていなかった。3ヶ月ぶりの先生は、まるで変わっていなかった。今まで感じたことのない緊張が佑樹を包む。が、北条の懐かしい顔、匂い、佇まい。佑樹は少し安堵もしていた。
2人は無言で坂を下ると、駅前に置かれているベンチへと腰かける。北条は近くにある自販機から、市販の清涼飲料水を買うと、それを佑樹の頬へ押し当てる。
「……ひなたサンの事、まだ悩んでいるのか」
佑樹は飲み物を受け取り、うつ向きながら小さく頷く。
「そう、か……」
「半年ずっとひなたと過ごしてきて、薄々分かってたんですよ……もしかして、治らないんじゃないかって……俺ずっと逃げてただけでした……俺もう、隣にいてやるくらいしか、出来ないのかよ……」
「なんだ。やるべき事は分かってるじゃないか」
「俺は……努力する事を放棄したくない! 諦めたくないんですよ!」
立ち上がり拳を握る佑樹に、北条はじっと佑樹の顔を見つめ、ゆっくりと首を降る。
「勘違いするなボーイ。私は諦めろ、だなんて一言も言っていない。諦める事と受け入れる事は、まるで違う」
「でも──!」
「……厳しい事を謂うようだが、医者でもない君は、彼女が去ってしまうその日まで、そうやって必死に足掻き続けるのか?」
「ッ──」
「ひなたサンはそれを望んでいると思うか? 最期まで恋人として彼女の側にいるのは、諦念の一言では決して片付けられないものだ。今のひなたサン……笑ってはいるが、何か心に穴が空いたように、とても寂しそうだったぞ」
佑樹は目蓋をギュッと強く瞑ると、その場で膝を抱えてしゃがみ込む。先生の方が自分よりひなたの事を分かっている。それが堪らなく悔しかった。自分の無力さをひどく痛感した。
「俺は……どうすれば………どんな顔をしてひなたに会えば……」
「そうだな……これはどの人間同士にも言えることだが、お互いの問題はお互いが解決するのが、一番後悔しない結果になりやすい。道は1つや2つではない。2人ならば、新たに道を見つける事も出来るかもしれない。1人で悩まず、まずはひなたサンと話し合ったらどうだ? 会うだけでもいい。心が落ち着かない今、まともに話せないかもしれん。それでもいいんだ。毎日、毎日繰り返して、慣れていけ。そう……英語にようにな」
佑樹はしゃがみ込んだままだ。北条は一つ息を吐くと、立ち上がり、佑樹の前に立つとそっと頭を撫でる。
「聞こえてないか──ボーイ、ならもっと簡単でいい方法がある」
「え……?」
北条は佑樹の頬を両手で持ち上げ、視線を注ぐように、真っ直ぐ佑樹の瞳を見つめる。
「先の事はまだ考えずに、自分に問いかけてみろ。君は今一体何をしたい?」
「俺、俺は………」
佑樹はそっと立ち上がる。涙で濡れた顔をこすり、坂の方を見上げる。
「ひなたに……会いたい……顔を見たいです……」
「……ああ。いってこい」
佑樹は猛ダッシュで坂を上る。彼女がいる病室へ真っ直ぐに。
────
──
そうだ、俺は尾羽里で誓った。何があってもひなたの側にいると。最期の時まで──一緒にいると誓ったんだ! 何がどうすればいいだ! 自分で誓ったものを蔑ろにするな! 当の本人のひなたが一番辛いに決まっている……その時一緒にいれずに何が恋人だ!!
ひなたには俺が必要だ。そして、俺にもひなたが必要だ!
「ハァ…ハァ……」
息を切らし手に膝をつきながらも、俺は病院へと帰ってくる。そして真っ直ぐとひなたの病室へと向かう。
「ひなたッ!」
「……え、佑樹君っ?」
困惑するひなた。何も変わってない……彼女が、愛すると決めた彼女がそこにいる。俺は構わずひなたのベッドへと走り、ひなたを抱き締める。
「ゆ、佑樹君……どうしたの?」
「わかんねえ……身体が勝手に動いてたんだ。何をしに来たでもない。とにかく、ひなたの顔を見たかった……ごめんな……何ヵ月も会えずにいてさ……ああ、なんだろう。言葉が浮かんでこないな……」
ひなたの小さく温かい身体が、俺の身体の中にあって心地が良かった。ずっとこうしていたかった。
「ひなた。側にいていいか……? 今だけじゃなくて、今後もずっとこうして」
「うん…それがいい。それが好き。佑樹君……戻ってきてくれて嬉しいよ。寂しかったんだから」
「ゴメン……ゴメンな……埋め合わせはするよ、絶対に」
「おかえり、佑樹君」
ひなたはそっと俺の身体から離れると、微笑んで見せる。やっぱり笑顔が一番かわいいな。
「ああ……ただいま。よし、今日はもうここに泊まるぞ俺は」
「えっ? でも……ベッド一個しか無いよ」
「いーや関係ない。俺はもう、ひなたの側を離れないからな」
「えっ……佑樹、君っ、まって……」
「あ、そっかゴメン、患者に乱暴はよくないな」
「……待って、離れないで」
「え?」
「いいの。平気だから。それにほら、あったかい──」
ひなたは俺の背にくっつく。肩から突き出たひなたの小さな手を握る。
長い長い、2人だけの夜が過ぎていく。どんな終わりを向かえようと、俺はひなたの側にいる。手は離さない。そう、改めて誓ったのだった。




