#26 押してあげる
「ふう、少し冷えるな。ホントに今日、海入れるのか?」
「昼には泳げるよ。楽しみだね」
ホテルで一泊した次の日の早朝。俺とひなたは、二人きりでホテルに隣接するビーチへ足を運んでいた。肌に当たる潮風が冷たい。俺は朝食のおにぎりを持ってベンチに腰かける。
「よ、よいしょ」
自然と、肩が触れ合う距離までひなたが俺に寄ってくれた。まだ恥ずかしそうだが、最初の頃より遥かに大胆に甘えてくれるようになった。それは、ひなたが俺を頼っているように感じれて、素直に嬉しかった。二人きり、静かな海で身を寄せあって食べる朝食が、この上なく幸せだった。
「ママー!」
土手の上から子供の声が聞こえてくる。旅行客なのか、大荷物を持った親子連れが歩いていた。幸せそうな……仲睦まじい家庭の日常。ひなたはそれを寂しそうな顔で見つめていた。
「私のお母さんはね、私を産んだ後すぐ死んじゃったんだ。医者も匙を投げる正体不明の病気……呪いでね。だから顔も写真でしか知らない」
ひなたがゆっくりと口を開く。ひなた運命が、ひなたの人生が。その本人から語られる。
「お父さんは……お母さんが亡くなったショックで、私を残してどこかに行っちゃった。親がいなくなった私は、島を出て親戚の家を転々としたの。でも、どこの家も病気を怖れ、私を歓迎しなかった……だから転校ばっかりしてたんだ。ただただ、"絶対に来る死"を背負って今まで生きていた。当然のように、私にもその呪いが身体にある。私は20を越えて間もなく死ぬ。そんな運命だから、生き甲斐なんて無かった……でもね」
ひなたは、頭を俺の肩に乗せ、側に寄りそう。
「理事長、光宙の友達、北条先生に猿弥、それに……佑樹君が私に手を差し伸べてくれた。それで私、思ったんだ。いつか来る死を背負ってるのは全員同じ。その死が来るまで、どれだけ充実に生を全うするか……年月なんて関係ないんだって」
「ひなたッ……」
心臓がキュッと痛む。俺は咄嗟にひなたの手を掴んでいた。ひなたは俺の顔を見て優しく笑うと、手を握り返してくれた。ひなたは、カバンから一冊のメモ帳サイズの古びた本を取り出す。
「お母さんはね、未来が見える力があったんだって」
「未来……?」
「うん。先祖代々その力があったんだって。家にあった古い本に書いてあって、おじいちゃんがこの本を読んでくれたんだ。もういないから……本は読めないけどね。話は鮮明に覚えてる」
ひなたが本の中を見せてくれた。本は黄ばんでおり、所々文字が掠れて読めない。少しだけ見える文字も、筆で書かれた草書体であり、全く読めなかった。
「遠い昔、戦が絶えない時代の頃から、この島は未来予知ができる"鬼退け巫女"と悪霊を祓う"神守の勇士"のおかげで、厄災を退けて繁栄してたんだって。でもその強大な力には代償があって、巫女は20歳を越える前に現世での生を終えてしまう。悲しい事に、この未来予知の力は死期が近付く程、より強く鮮明に未来が見えるんだって。この話は、島に住まう鬼から受けた呪祖だって話もあるの。安美島は、こういう鬼とか未来予知とか、悪霊とか──不思議な話がいっぱいあるの。それで、現世での役目を終えた巫女は、島の守り神になって人々を見守り続けるんだって」
ひなたは俯き、困った顔で笑う。
「意味わかんないよね……そんな昔話のせいで、私は先祖代々長く生きられないんだって。私には未来予知なんて出来ないし、ただ呪いを受け継いだだけ。遺伝性の病気なだけだよね……お母さんが未来予知できたなんてのも、きっとおじいちゃんなりの嘘。でも、最後の、役目を終えた巫女は守り神になるって話は好きだな」
ひなたは俺の方を向くと、笑顔を見せる。その朝日に照らされた顔と潮風に揺れる髪が、なんだかとても神秘的だった。
「私が死んじゃっても、佑樹君が立ち止まらないように、私が守り神になって背中押してあげるね」
俺は咄嗟にひなたの頬を軽くつまむ。
「い、いふぁい……」
「縁起でも無いこと言うんじゃねー。死ぬことなんて、今考えないでくれ」
「えへへ。あ、そろそろ時間だ。先生と待ち合わせしてるんだった」
「そっか。んじゃ、そろそろ行こうか」
「フフ、今日着る水着買うんだ。先生張り切ってたよ」
「マジかよ。ついていっていい?」
ひなたが、目を細めながら俺の頬をつまむ。
「いふぁい……」
「おかえしっ。あはははっ」
「つ、強くないふか……」
────
──
「なあ木柴。俺ら何してるんだ?」
「何って……見てるんだよ海を。そして待ってるのさ……生足魅惑のマーメイドをな。先に泳ぐなんて野暮な事、男ならできねーぜッ」
「くそ、あついな……水分が欲しくなる」
「これ飲めよ」
「なんだこれ?」
「そこで買ってきたゲータ○ードだよ」
「なっつかしーなオイ! なんで売ってんだ……」
燦々と俺達を照らす陽光に目を細めながら、俺達はビーチへ来ていた。昼時、ホテル前のビーチは、シーズンのせいか、既に大勢の観光客で賑わいを見せている。
俺達は木柴と先生の強い希望で、海に遊びに来ていた。あとは女子二人を待つだけ。先に泳いでいいとは言われていたが、木柴の言う事も一理ある。俺もその姿をしかと目に焼き付けたく、待機していた。海パン一丁で立ち尽くすのもどうかと思うが……不審者に思われそうだ。
「にしても暑いな……」
「我慢しろ佐藤、耐えるんだ。もうじき女神達がお出ましだ。暑い欲望はトルネードだぜ」
「んな黒いピッチピチのシャツ着てよく平気だなお前。そのまま泳ぐのか?」
「こうしなきゃ、俺の背にある孫悟空が権化しちまうからな……我慢だ我慢!」
「権化の使い方あってるのか? それ」
不意に、トンッと温かい手のひらの感触が、俺の地肌の背に触れる。
「二人ともお待たせ」
「なんだ律儀に待ってたのか。ククク……そんなに私達の水着が見たかったのか?」
「う、うおおおぉぉ〜!」
振り返ると、そこには夏を刺激する妖精達がいた。先生は、黒のビキニにヒョウ柄のフリルが付いたセレブリティスタイル。ひなたは、これまた瑞々しい水色のリボン付きのビキニ。眩しい……眩しすぎる!
「うう、やっぱりこれ布面積小さくないですか?」
「何を言う。このビキニの面積こそ、全人類が望むサマーコーデの究極系だ。胸を張りたまえガール。水着というのは、物怖じせ堂々としていれば、その分着ている人間を輝かせるものだ。オーラをまとえばいいのさ」
ひなたは慣れていないのか、もじもじと身体を動かしている。透き通る白い肌と、年齢にしては豊満な胸が、俺の心と視線を射止める。ヤバイ……水着姿の彼女って、こんなにも輝いて見えるのかっ……普段とのギャップがとんでもなく素晴らしい。
「私は男共の視線を肴にここで酒を飲んでるから、存分に遊んでくるといい。事故やトラブルには気を付けるように。それと……しっかりひなたサンを守るんだぞボーイ」
先生は俺に目くばせすると、どっから取り出したのか、業務用の角瓶とエナジードリンクを、氷が入った特大のピッチャーに入れて混ぜ始める。もう何も言うまい……俺達は、荷物番を先生に任せ、青く光る海へと走り出す。
「お、あれなんてどうだ!? 三人で乗ろうぜ!」
「うわ、なんだあれ!」
「あ、バナナボート。ここにもあったんだ」
猛スピードで水面を駆ける水上バイクに牽引され、海原をひた走るボート。人気の海のレジャーだ。
「マジ? せっかく透き通る海あるんだし、シュノーケリングとかにしねえ?」
「んなの青春に燃える高校生がやるもんじゃねー! 右往左往に揺れるボートにしがみつき、振り落とされるか否かのスリル満点サバイバル! やるっきゃねえだろ!」
「フフフ、いいね、楽しそう。行こうよ佑樹君」
「えー、ひなたまで……」
俺は木柴とひなたに手を引っ張られ、バナナボートの乗り場までやってくる。受付には、アロハシャツを着た色黒の筋骨隆々の大男が立っていた。
「よう、らっしゃい! ボート乗ってくかい?」
「おっちゃん、バナナボートお願い! 一番はえーやつな、うははは!」
「ほう、威勢がいいなあんちゃん。一番はえーのはあるにはあるが……あんたらまだ学生だろ? 残念だが、お子さまに乗れるような代物じゃないぜ?」
「関係ねえ! 常夏の海が俺を待ってるんだ! 俺はこんな所では止まらねえ……止まるくらいなら俺は死ぬ! 波に乗って風になりたいんだよ俺ァ! 水面叩きつけられて死ぬなら本望だぜ!!」
「ぬう、言うじゃねえか……気に入ったぜ! いいぜ、ウチで一番の暴走マシーン。ソニックシャークを出してやろう!」
アイツなんでバナナボートにあんな熱くなってんだ……男はそう言うと、鍵のかかった倉庫から銀色に輝く、サメを模した水上バイクを取り出す。所々破損しており、倉庫の張り紙には『出すな!』の文字が。見るからにヤバイマシーンだ。
「オイ木柴……お前これ絶対──」
「うおおおぉ、これこれ! こういうの待ってんだよ!」
「コイツは俺が作った最高傑作なんだが……水上で200kmも出るから、危なくて封印してたんだ。お前らはコイツのスピードについてこれるか?」
「へっ、上等上等。俺の駆ける青春に比べりゃ、遅いくらいだぜ!」
「水上で……200km……? ジェットエンジンでも付いてんのか……?」
「そんじゃいくか。アブねえからボートに乗るのは一人ずつだ! まずはそうだな……ビビってたあんちゃん! アンタから来いよ!」
「なッ、なんで!?」
「風になる快感を知って欲しいんだよ! あんちゃんもきっと気に入る! ゲロ吐くほど楽しいぜ!!」
突然の指名。俺が積極的でないから、楽しさを分からせようとしてるのか。正直すんげえ嫌だ……でも彼女の手前、ビビってると言われ、引き下がるようなカッコ悪い所は見せられない。俺は意地になっていた。
「どうすんだあんちゃん、乗るか? やめるか?」
「く……分かりましたよ。乗る! 乗ります!」
「よぉし、よく言った! それでこそ男だ!」
「いいなあ佐藤! 一番乗りだなんて羨ましいぜ。しっかり風になってこいよ!」
俺はライフジャケットを着てボートにまたがる。男は水上バイク……ソニックシャークのエンジンを駆動させる。ギュイイイィン!! という、どう考えても水上バイクのものとは違う激しいエンジン音が鳴り響く。
「佑樹君……気を付けてね」
「よっしゃ行くぜェー! しっかり掴まってろよ!」
ギュオン! という音と共に、バイクが水上を走る。風を受けて分かった。これ、無理。風としぶきで前が見えないし、ボートの取っ手を掴む力ももたない。バイクがカーブをしたその時、俺は取っ手を離した。
「ふぉおおおおぉーーっ!!」
なんていう原理か忘れたが、急に曲がったとてつもない反動で、俺の身体は宙に浮く。一瞬で見えた景色は、水面が遠くに見える遥か上空だった。
「でぃぎゃああああァァーーーーっっっ!!!」
「佐藤ォォーーッ!!!」
俺はそのまま、彼方へと吹っ飛ばされてしまった。あ、死ぬなこれ。飛んでいく瞬間、そう覚悟を決めた。




