#106 鬼撫で
「よし。もう基礎は終わりだ」
「え?」
放課後の部活。道着に着替えた俺と瀬那に、開口一番そう言い放った康治郎さん。突然の稽古終了の言葉に、俺と瀬那はキョトンと顔を見合わせる。
「こっからは──鬼撫でを教える」
「っ! マジすか!」
「ついに……!」
俺と瀬那はグッと竹刀を握る。鬼を穿つ伝統の秘技をついに教えてくれるんだな。緊張と同時に嬉しさが込み上げる。
「百聞は一見に如かず、だ。まず見せたほうが早ェな。瀬那……構えろ」
「う、うん」
向かい合う2人。康治郎さんは息を整え、剣先を瀬那に向ける。そう……見えた。が、次の瞬間には、剣先が瀬那の頭頂部スレスレで静止していた。俺でさえ捉えきれなかった……描画数が少ない映像を見ているかのように、康治郎さんの竹刀と腕が消えた。遅れて風がフワリと瀬那の髪を浮かせる。頬には冷や汗が落ちていた。
「……ふう。今のが鬼撫でだ。どうだ見えたか?」
「ううん……全く……」
「いや、俺もです……」
「刀身と腕を一体化し、人間の反応速度を凌駕する速度で一撃を加える……絶対に当たる斬撃。これが鬼撫でだ」
「す、すげえ……」
「まあ、完璧に伝授しろとは親父も言ってねえ。そもそも、フツーこれは何十年もかけて習得する技だからな。俺も親父も完成はしていない……必殺技に完成無し、だ。けど、ある程度鍛えりゃ無敵の技になる。これを残り数日……お前らに徹底的に叩き込む! 気合入れろよ!」
「はい!」
そうして俺達は合宿までの数日、鬼撫での猛特訓に入った。腕が千切れんばかりの負荷。ヤマちゃん先生の指導も加わり、基礎を抜けた技の稽古は苛烈を極めた。
だが目まぐるしい時間は早く過ぎ去るもの。我々はとうとう合宿の日を迎えた!
早朝。ヤマちゃん先生が借りた10人乗りのバンで、合宿場所に向かう剣道部一行。高速で3時間の旅路だ。
「いよいよ合宿か……」
「よう佐藤。オマエらちゃんと稽古したのかよ。オニナデとやらは覚えたのか?」
「そっちこそ」
「安心しろ。俺も木柴も、いつでも敵ぶっ殺せるからよ」
「いや殺すなよ……」
三好と木柴は顔見合わせて不敵な笑みを見せる。そっちもそっちで、鍛え上げられたようだな……親善試合といえど、相手に負ける訳にはいかない。付け焼き刃だが、形にした鬼撫でがある。試合が楽しみだな。
「そういや部長さんよ。相手ってのはどんな奴らなんだ?」
「私立威武威高等学校剣道部──全員実力者だが、副将の筒島清近、そして主将の石田大吉。この2人は別格だ……俺も何度も負けてる」
相手は強豪。不足無しだな……久々の試合、集中しなければいけないのは分かっているが……やはりどうしても、父さんの言葉や本の事を考えてしまう。俺の心の靄はずっと晴れていなかった。イカンイカン……目の前の使命に専念しないと。思考をまとめてる内に、バンは目的地へと到着した。
「着いたよ。ここが合宿場所……天納寺山の森林公園、せきの森だ」
「ふーん。仰々しいエコツーリズムを全面的に押し出してる施設だね。ま、嫌いじゃないよ。こういうの」
「うへぇ……あっちぃなオイ。半袖でも堪えるぜこりゃ」
「おま、ちょ! だからってここで脱ぐんじゃねえ三好!」
俺達を出迎えたのは、辺り一面の緑。景観を損なわないギリギリに整備された施設やログハウスの数々。川のせせらぎや鳥のさえずりが、マイナスイオンをより強く感じさせる。
荷物を置く為に、宿泊するコテージへ向かう。最後尾の俺の前を歩いていた瀬那は、宿泊エリアの小脇にある売店にフラリと立ち寄る。
「うわぁ……ねえ佐藤。これ可愛くない?」
観光客向けの土産屋。瀬那が熱心に眺めていたのは、ショーケースに並べられたプチガトーだった。手のひらサイズのそれは、非常に精巧に形作られており、森を模した装飾は小さな箱庭のようだった。瀬那はまるで幼子のように、ケース目を奪われている。そんなキラキラした顔初めて見たぞ……スイーツに目がないみたいだな。
「……よし、こうしようぜ瀬那。ジャンケンで俺に勝ったらそれ奢ってやるよ」
「えっ」
「しかーし。俺が勝ったらお前は、俺の事を今後佑樹と呼べ」
「な……!」
「俺だけ名前呼びじゃ気持ち悪いからな。どうだ? まさか逃げないよな?」
「ぐ……い、いいわ。その勝負乗った。私が勝ったらこの一番美味しそうで一番高いケーキ買ってもらうかんね!」
「よぅし。望むトコだぜ」
────
──
「いよいよ今日の昼から登山試合だ。大丈夫だね?」
「おう任せとけ! 今年こそアイツらを負かす!」
「ま、やれるだけやってやるさ。期待してな」
「それはそうと……瀬那、お前のごはんそれか? 朝飯がケーキだなんて関心しないな」
「へ・つ・に!」
「一心不乱にヤケ食いしてる……折角ならもう少し味わったらどうかな」
「よへいなおへあ!」
「ん……どうやら敵さんのご登場みてえだな」
共用のベンチで朝飯を食べていた俺達。三好が頬杖を突きながら親指で指した方向から、大きなキャリーケースを引っ提げた十数名の人影がこちらに向かって来ていた。相手の顧問らしき壮年の男性は「挨拶しなさい」と言い残し、ヤマちゃん先生とお互いニコニコ挨拶しながら、奥のログハウスへと消えていった。
残されたのは生徒だけ。大人達は仲良くしてろって意味で、俺達を置き去りに手続きに行ったのだろうが……全然そんな雰囲気ではない。そんな凍てついた沈黙を破ったのは、康治郎さんだった。
「久しぶりだな石田、筒島」
「……どういう事だ松家。他の部員はどうした?」
「へっ、ハリケーンで全員宇宙まで飛ばされ、今頃火星でゴキブリと戦争してるぜ」
「ふざけるな!!」
顔を歪めるスキンヘッドの長身痩躯な少年と、黙ったまま腕を組んでこちらを睨む色黒ポニーテールの少年。石田と筒島……康治郎さんが別格だと謳った2人だ。主将の石田。真面目そうな剣道バカって所だな。
「そんなの──大災害じゃないか! なぜ救助に行かない! よし、俺がすぐ種子島に行ってロケットに乗──」
「真面目かテメェ! 松家の冗談に決まってんだろ」
スパァンっと、丸めたガイドブックでスキンヘッドを心地良い音で叩く筒島。うむ……愚直で真面目なバカだった。
「見た所素人が多いようだが……本気か?」
「……諸事情ってヤツさ。望んでこうなってる訳じゃねえ」
「そうか! だが手加減はしない! 正々堂々、お前達を打ち倒す!」
「フン、残念だよ松家。今年も石田と俺で、お前らを負かそうと思ったのにな」
心底無念そうに俯き、深く溜息を漏らす筒島。それだけ言い終えると、石田と筒島は部員を引き連れて退散して行った。ま……言われる覚悟はしてたさ。後は本番で見返してやる。




