#104 松家家の武家屋敷
帰りの支度を済ませ、車に揺られる事数分。武家屋敷のような場所に車は停車する。どうやらここが松家家のようだ……中々に荘厳な邸宅だ。こういう屋敷に住むのは憧れるな。
「よし、ただいま。佑樹君、遠慮せず上がってくれ」
「お邪魔します」
家は見かけ通り広い……ベランダになっている縁側からは風流な枯山水が俺を出迎え、内装は新築のように綺麗に整えられている。松家家の厳格な姿勢が伺える……そんな和洋折衷の部屋が、暖かく色彩を放っていた。他人の家は何度でもドキドキする……当たり前だが、瀬那兄妹と同じ匂いがする。
そして来る夕食の時間。ヤマちゃん先生お手製の鯛の天ぷらだ。山盛りに盛られたそれは、光沢を放つほどに黄金色に輝いていた。
「うおすっげ! 大胆に揚げたな親父」
「うわぁ」
「はっはっは。遠慮せず食べるといい。まだまだこれからだからね。沢山栄養を取ってくれ」
俺は盛られた天ぷらを頬張る。美味しい……出汁の効いた衣と、鯛の濃縮された魚介の旨味が口の中に広がる。マジでうめえ、こりゃ箸が止まらない。食べ盛りの高校生3人は、稽古の疲労で刺激された空腹を満たす為、一心不乱で鯛を口に運ぶ。5分もしない内に、山のようにあった鯛は一瞬で無くなってしまった。
「「ご馳走さまでした!」」
「うむ、良い食いっぷりだ。今、お茶を出すからね」
俺達は大皿を空にすると、同時に合掌する。腹も丁度よいくらいに満たされた。心地良い満足感と共に、俺は椅子にもたれ掛かる。
「ふぃー食った食った。なんか家族揃って飯食うのも久しぶりな気がする……ありがとな、佐藤」
「えっ、なんで俺なんすか」
「……なんとなくな」
向かい席に座る康治郎さんは、頬杖を突いてニッと笑みを見せる。俺は隣にいる瀬那と顔合わせ、静かに微笑み合う。
「冷たいお茶だよ。どうぞ佑樹君」
「お、ありがとうヤマちゃん先生」
「さて、動ける内に私は明日の朝食と弁当の支度をしてくる。佑樹君は、暫くゆっくりしていってくれ」
「俺も手伝うぜ」
「あ、じゃあ私も──」
瀬那がそう言って席を立とうとした瞬間、康治郎さんがすかさず瀬那の肩を掴み、座り直させる。
「っとぉ! 瀬那もゆっくりしているといいぞ……お前に料理を任せると死──疲れてるだろうから、お前は客人の相手をしてるといい」
やや強張った顔で笑うと、康治郎さんはヤマちゃん先生と共にキッチンへと入っていった。
瀬那は若干不服そうに頬を膨らますと、ストンっと元の椅子へ座り直す。客人って……俺か。瀬那は腕を枕に机に突っ伏し、片手でスマホを弄り出した。暇を持て余している。
夕食もご馳走になった事だし、これ以上ここにいると邪魔になる気がする。
「えーっと……俺、そろそろ帰ろうかなって思うんだけど」
「父さんがゆっくりしていてって言ってたんだから、別にまだいいんじゃない?」
「そか……」
瀬那はスマホから目を離し、突っ伏したままこちらに顔を向けて、話を続ける。なんだか俺も力が抜けてきた……俺も似たように体勢を崩す。
「そういえばアンタって……剣道の段いくつなの?」
「ああ、俺は三段だけど」
「えっ、三段? 兄さんと同じじゃん。わー、聞かなきゃ良かった……私だけ二段だし……」
「康治郎さんも三段なんだ。同じ三段でも、剣道に対する気概に天と地の差がありそうな……あ、ヤマちゃん先生は?」
「父さんは五段。でも、七段の人との試合に勝ったことあるわよ。実力としてはもっと上だと思う」
「へぇ……流石だな。ウチの祖父の教えが良かったって事か?」
「アンタのおじいさんと父さんって、師弟関係だったの?」
「そうらしいぜ。その伝手で俺は、ヤマちゃん先生の東照会に入ったんだ。ちなみにじいちゃんの段は八段だ。故人だけどな……」
「そうだったの。ていうか、なんか変。私も同じ東照会にいたはずなんだけど、アンタの事知らなかったし」
「さぁ……多分、あの頃はもっと引っ込み思案で目立たない奴だったし、名前が佐藤って事で、記憶に薄いって事もありそうだけど……俺はお前の事なんとなく──」
俺はハッとして顔を上げる。視線に気が付いた。見ると向かいに座っている康治郎さんとヤマちゃん先生が、俺達の顔をジッと見つめていた。いつの間にか支度を終えていたのか……特に悪い事はしていないが、そんなに見られると恥ずかしい。
「フフ、瀬那と佐藤君……こうして並んでたわい無い話をしているのを見ると、なんだか娘夫婦を見てる気分だよ」
「「は!?」」
俺と瀬那は同時に驚きの声を上げる。突然そんな事を言われちゃ、驚くなと言う方が無理だ。
「ちょ、やめて父さん!」
「そうだぜこのタヌキ親父! 佐藤にお義兄さんって呼ばれるのはまだ早ぇぞ!」
「そっすよ! 俺はまだ……って康治郎さん? まだ早いってどういう意味すか!?」
屋敷の中で喧騒は続く。焦りはしてるけど、この笑い合う騒ぎを見てると、心が安らぐ。家族っていいなあ。
その後は兄妹とゲームをしたり、竹刀の点検をしたり、一頻りの時間を過ごした。時計を確認すると、時刻はもう23時を回っていた。
「うおやべ! もうこんな時間か……」
「ああ、すまない佑樹君。もう少し早く声をかけるべきだったね……そうだな。いっそどうだろう? 泊まってしまうのは」
「えっ」
「おお、そうしろよ佐藤。そうすりゃ明日早朝、俺達一緒に朝練行けるし」
「え……」
「この時間に君1人を外へ出すのは気が引けるしね。理事長先生もご理解して下さるだろう」
「あっ……」
「ああ気にすんな、部屋は腐る程あるしな。案内するぞ」
そう言って俺の手を引っ張る康治郎さん。まだア行しか喋ってないのに……否応なしに松家家で一泊する事になった。父さんにまた連絡いれとかないと。
「ほら、ここが客間だ。6畳の和室……ちと狭いが勘弁な。今、敷布団出してやるよ」
康治郎さんは押入れから布団を取り出し、ササッと手際良く布団を敷いてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「おう、ここ好きに使っていいからよ。一夜だけだが、寛いでくれ。んじゃ、俺は風呂行ってくる。終わったら呼びに行くぜ」
廊下に響く康治郎さんの足音が遠くなっていく。ほのかに香る木の匂いが、俺の鼻を刺激しており、辺りはシーンと静まり返っている。
「とりあえず、父さんに連絡を──」
ガタン! と、押入れから、何かが倒れるような物音がした。静寂の中訪れた突然の異音に、俺の腰から背中にかけて、嫌な浮遊感が駆け抜ける。ビビった……見ると、康治郎さんが開けた押入れが開けっ放しだった。布団を出すときに崩れたのか……扉は部屋の隅、中はこちらからは覗けない。
「な、なんだよ……」
この窓もない閉ざされた空間は、外の虫音や家の中の音まで聞こえてこない。あまりの静けさに耳鳴りが俺を襲う。
いや……この喉から伝わる鼓動はなんだ。何を恐れているんだ俺は。たかが物音一つじゃないか。俺はそっと押入れの方へ近寄った。
押入れの中は暗く、深い闇が俺を覗いていた。今にも飲み込まれそうな圧迫感がある。下には布団が詰められているな。物音は上からだ。上の段は更に恐ろしく暗い……だが何かある。俺はスマホの明かりを頼りに、上を見上げて手を伸ばす。闇に右手を突っ込んだその瞬間だった──
「え?」
俺は何かを掴んでいた。この感触……本だ。急いで手を引き、すぐに後退った。だが千鳥足のせいで足がもつれ、背中から転倒し、襖を揺らしてしまう。尻と背に鈍い痛みが走るが、俺の頭にはそんな事を感受する余裕などなかった。
渡された。間違いなく。自ら掴んだワケでもなく、拍子に落ちたのを受け取ったのでもない。押し付けられたような、手のひらに感じた一瞬の重み……確実に人の手で渡された。
「佑樹君? 大丈夫かい。なんだかすごい音がしたけど」
「ヤ……ヤマちゃん先生……」
襖からヤマちゃん先生が心配そうに顔を出していた。良かった……助かった。
「や、押入れで物音したから、なんだと思って見てたら躓いちゃって……」
「佑樹君、それは……」
俺の手に握られていた一冊の古い本を見ると、ヤマちゃん先生は怪訝な顔を浮かべる。
「その和綴じ。どこで見つけたんだい?」
「え、これなら押入れから……落っこちて来たんだよ」
「何……? 鍵付きの木箱に入っているはずなんだが……」
今改めて見るとすごい本だ……草色の本は、酷く日焼けしており、何百年も眠っていたかのように古ぼけている。表紙に書かれている文字は草書体のくずし字であり、相当な年代があると見ていいだろう。
「佑樹君。それを読んだかい?」
「え? いや、中は確認してないけど……」
「そうか……ならいいんだ」
ヤマちゃん先生は暫し考え込むと、話を続ける。
「それは……僕の父が見つけたものでね。あまり良いものではないから、封印してたんだ」
「封印……?」
「表に書かれている文字は──鬼祖禍輪零覆滅譚と書かれている。約450年前……戦国時代に書かれたとされる本なんだ」
「せ、戦国時代……? めちゃくちゃ貴重なものじゃないすか」
「僕の父は考古学者でね。遺品がウチにもいくつか残ってるんだよ」
よく見ると、本に貼られた付箋には達筆な文字で署名がされていた。拾得者──小田三郎。名前を見た瞬間、ドクンという鼓動と共に、少し頭痛がした。
「あれ……ちょっと待ってくれ。なんでヤマちゃん先生の父は、小田っていう名字なんだ? 松家じゃないのか?」
ヤマちゃん先生は少し俯き、深く息を吐くと答えた。
「……婿入りした身でね。本来の性は小田──僕は小田大和という」




