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移行中  作者: あ
松家 瀬那編
101/106

#101 不味との遭遇

『全く……この法則は厄介だな。幾星霜の時を要しても、ただの一度も成功しなかったものが、意図しない事故で呆気なく成功してしまう……これを究明の愉悦とするか、歯車が狂うと頭を抱えるか。この件に限っては、私は少し後者よりだよ』

『まだまだタスクは残ってるっすよ。やんなきゃならねー事はとっとと済ませましょ』

『そうだな…………フフ、しかしあの時、教授は何故また私の手を取ってくれたのか。理屈だけでは語れない何かがあるようだ。私としては有り難いけどね』

『にしし、不可抗力とだけ言っておきますよ。いっぱい……貰っちゃいましたからね──』


 ────

 ──


 翌朝の登校時間。昨晩は殆ど寝ていない。夕方に長い事寝ていたのもあるが、色々考えてこんでしまっていたからだ。不安とも恐怖とも、高揚感とも言える。まだ頭の中がグチャグチャしてるな……俺。


「んお……?」


 俯きながら坂手前の通学路を歩いていた最中、ふいに横から何かに引っ張られ身体が傾く。見るとそこには、目は横に逸らしながらも、俺の腕を握る松家の姿があった。もう片方の手は背負うピンク色の竹刀袋を支えている。見るに、桜の下で俺を待っていたっぽい。


「よう、おはよう」

「ん……」

「俺を待ってたのか」

「うっさい」


 俺達は並んで坂を上る。松家はとてもゆっくりとしたまばたきを頻繁にしている。昨晩寝られなかったのは、松家も同じだった様だ。

 そして来る放課後。俺は廊下で待ち伏せしていた松家と合流し、2人で武道エリアへと向かう。剣道場……寂れたボロ屋敷は健在のようだ。俺達は深呼吸をすると、意を決して扉を開けた。


「んあ? おう瀬那、佐藤。今日は早いじゃないか」


 肩にかけたタオルで汗を拭いながら、俺達の前に現れる康治郎さん。

 本当に……康治郎さんだ。病院のベッドで寝ていたはずの松家の兄。一夜明けて、改めてその改変の事実に息を呑む。動揺を隠し切れないが、松家の方が俺の何倍も驚き、そして現実を噛み締めているはずだ。


「え、と……お疲れ様です」

「俺達以外の部員は、茶道部のトコだぞ。今日は稽古前にちょっとしたお楽しみさ。ほら行こうぜ。茶道部のヤツらが、飯を振る舞ってくれるんだとよ」

「飯?」

「ああ、来週から合宿だろ? こうして発破かけてくれるなんて、粋な事するよなあ。よし、行こうぜ!」

「え、合宿!?」


 とんでもない事をサラッと言い放って、俺達の肩を叩き、剣道場を後にする康治郎さん。唖然とする俺に、松家は俺の背中にそっと触れる。


「なんだかとんでもない事になっちゃったな……」

「ああ、タイムスリップして人を助けるなんて絵空事、誰に話しても信じないだろうな。ぶっちゃけ俺も半信半疑だけど……こうして目の前にしたら、信じる他ないよ」

「私もまだ……正直ビックリしてるけどさ、こうして幸せそうに竹刀を振る兄さんの姿を見られた。兄さんが自分の足で歩く未来が見れた。私はもう……それで十分。多分、アンタがいなきゃ、この光景は見られなかった。だから……ありがと」


 松家はそう言って笑みを浮かべる。黄昏に照らされたそれは、どこか神々しいものがった。微笑ながら、松家の笑顔は初めて見た気がした。康治郎さん……俺、約束守れたのかな。


「あん? どうしたお前ら。早く来いよ」

「あ、はいっ」


 けど、父さんは結局、何があったのか教えてくれなかった。俺の心のモヤモヤは取れぬまま。世の中には、知らない方がいい事が山程あるのは理解している。けど……この心の根底に眠る感情は、一生消えそうにないよ──今考えても仕方ないか……康治郎さんと父さんの約束。別に、誰かが不幸になったワケでもない。潔く、この現実を受け入れよう。


「あの……康治郎、さん。合宿って何やるん……でしたっけ?」

「ん、前に説明したと思うが……まあ、瀬那とお前は初めてだしな。合宿は他校との合同でな。メインは山を借りての、5人でチームを組み、どっちが頂上に早くつけるかっていう強化稽古だ」

「登山か……なんかやたら山に縁があるような……俺」

「お互いの親睦を深め、切磋琢磨し合おうっていう建前なんだが……正直バチバチなんだよ。相手はいつも全国でぶつかってるトコでな。苦汁飲まされてんだよ。だから負けるワケにゃいかねーのさ」


 拳を固く握る康治郎さん。全国で……何度も。康治郎さんの決意を前に申し訳ないが、俺はあの弱小と揶揄されていた剣道部が、全国大会に出場しているという事実に、少し安堵に近いものを感じている。


「しっかし、茶道部の飯かー……あんま予想出来ないよな」


 ────

 ──


「な、な……なんじゃこりゃあ!?」


 松家兄妹とやってきた茶道部。その眼下には、地獄の光景が広がっていた。扉を開けた途端、大勢の人間が倒れていたのだ。大半が苦しそうに震えながら、うつ伏せで倒れていたのである。ある者は顔面蒼白で壁にもたれ掛かり、またある者は立ち尽くし、焦点の合ってない目でうわ言を呟いている。こりゃ一体……。


「お、おい! 大丈夫かよ!?」


 康治郎さんは、すぐに近くの倒れていた男子生徒を起こす。彼は虚ろな目で、小刻みに震える手を天に伸ばす。


「調理の……鬼が……来る……」

「なんだって!?」


 料理の鬼。西洋料理とか作ってる意識高い高齢シェフのあだ名みたいな事を口走る。彼はそうポツリと漏らすと、ガクッと力無く事切れる。


「うぐっ、なんだこの臭いは!?」

「は、鼻曲がりそう……!」


 俺達3人を襲う突然の異臭。それは茶道部の外廊下の最奥からやってくる。俺達は意を決したように頷くと、その襖を開け放つ。


「あらぁ……皆さん……こんにちは〜……」


 そこには──死屍累々の中たった1人、千鳥足で立ち上がる鶴姫さんの姿が。だがそれも虚しく、彼女もすぐに倒れ込んでしまう。俺はすぐに理解した。この事態の根源を。ああ……遠くから救急車の音が聞こえる。


 ────

 ──


「残念ながら……茶道部員も剣道部員も……全滅だ」


 呼吸を乱しながら、俺達にそう告げる直江。唯一の生き残りである彼の着物は、アクションペインティングでもしたのかと言わんばかりに、様々な色の液体で汚れていた。縁側に腰を掛ける直江に、俺達は事情を問う。


「直江……一体何があったんだ?」

「料理が……」

「うん?」

「彼女……鶴姫の料理が……襲ってきたんだ……逃げられたのは私だけだった……」


 料理が襲ってきた? あまりにも前衛的な羅列に、俺の頭にハテナの文字がいくつも浮かぶ。なんだその愉快ながらも恐ろしい語句は。


「剣道部に振る舞う差し入れを、彼女が調理した……いや、調理というか実験というか、黒魔術というか……とにかく、彼女が作り出してしまったモノに、一同は全滅だ。彼女に台所を任せた我々の不始末……すまない……ぐはっ!」


 そう吐露した瞬間、直江は青と緑の液体を吐き、仰向けで卒倒した。およそ人体から出る色合いではないソレを見ると、とんでもない惨劇だったのは想像に容易い。俺達は茫然自失と、救急車に運ばれる部員達を眺めるしかなかった。


「くっ……一体どうすればいいんだ! 明日はもう合宿だと言うのに……主力のメンバーで当たるはずだったのに、もう参加条件の5人も満たしてねえ!」

「来週ですし、皆治るように祈るしかないんすかね……」

「ダメだ。いつ治るかも分からんし、一週間も稽古を空けて勝てる程奴らは甘くねえ。そんなコンディションで望んじゃ無理だ」

「じゃあ中止……になるのかしら」

「いや、それこそダメだ。今年中止なんかしてみろ……また向こうの剣道部に笑われるぞ……今年こそ舐めれらないようにしなきゃ、ダメなんだ!」


 悔しそうに唇を噛む康治郎さん。バイオハザードに遭遇したのはもう仕方がない。だが、これからどうするんだ……と、3人が俯向いてた時であった。


「希望ならあるよ」


 俺達はその声に、一斉に振り向く。

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