#100 帰って来た世界
「ん…………あぁ……?」
ゆっくりと目を開けると、そこは真っ白な地面だった。酷く無機質な硬い地面。俺はすぐに自らの違和感に気付く。裸だ。マッパだ。マジで。妙な羞恥心で微睡んでいた意識が一気に覚醒する。辺りを見渡すと、俺の服が畳まれた状態で置かれていた。よく分からんが……とりあえず急いで衣類を纏おう。この年になって、風呂場以外で全裸なるのはとてつもなく恥ずかしい。
「着替え終わった……?」
「え?」
シャツの袖を通した瞬間、一箇所しかない扉から松家がそっと顔を覗かせていた。あぁ……ようやく現状を把握した。俺は父さんにホテルへ押し込められ、そこで松家と2人きりで待機していたんだ。それで……あれ? なんだかそっから先の記憶が曖昧だぞ。忘れかけていた感覚が蘇る……何故か腹部と頭部が痛い。
「松家……俺達、何があったんだ? ここはまだホテルなのか?」
「もう……現代へ帰って来てる……と思う」
「……?」
松家はギュッとスカートの裾を握り、肩を震わせ悶えている。心なしか顔が赤い。何がなんだか……え、俺まさか……致してないよな?
「うーん……あーくそ。なんか物理的に頭いてぇ」
「う……その……平、気?」
「んあー……まあ大丈夫だよ。あとなんだろうな……思い出そうとすると霞む。夢なのかなありゃ」
「夢?」
「ああ。鮮明には思い出せないし、漠然としたイメージに近いものなんだけどさ……全身に何かとてつもなく柔らかい感触が当たって、身体中がポカポカしたんだけど、胸の辺りに更に柔らかいものが当たった瞬間、背筋が凍るような罪の意識がゾワゾワって──」
「フンッ!」
「ごふぇ!? 何すんだ!」
「べ・つ・に! ほら、さっさと行きましょ」
右頬のヒリヒリとした感触が残っているまま、俺は扉を抜けて外へと出た。ここは……校長室前の広間だろうか。この大理石の回廊が妙に懐かしい。何故こんな所に繋がっているか不明だけど、松家は気にしていないようだ……まずは父さんの所へ行こう。何が起きたのか分かるはずだ。
「失礼しまーす」
校長室の扉を開け、松家と共に中へと入る。が、中は無人だった。ロココ調のテーブルの上には1枚の紙切れ。雑に殴り書きされているメモを、俺は拾って読み上げる。
『佑樹、松家さん。お帰り。もう安心していい、元の時代へと君達を戻したおいた。だが、少しだけ元の世界と変わっている所がある。時代は同じだが、完璧に元通りとはいかなかった。どう受け入れようが、事実は事実だ。許してくれ。色々聞きたい事があるだろうが、今はまだ話せない。理解するように。PS.父さんは今日遅くなる。母さんに伝える暇もない。よろしくな』
「また勝手に……」
「なんて書いてあったの?」
俺は追伸以外を、漏らさず松家に伝える。
「そう……帰ってこれたみたいね」
「くそ、父さんめ……また大した説明もナシに逃げやがって……今日の夜問い詰めてやるからな」
メモを握って固く拳を握り締めたと同時に、校長室の扉がバンっと開けられる。
「瀬那、佐藤! こんな所にいたのか。ったく、もう稽古終わっちまったぞ」
「…………え?」
そこに現れたのは──剣道着姿の康治郎さんだった。予期せぬ来訪者に、俺も松家も固まってしまう。
「あん? なんだ2人して妙な顔して……ていうかお前ら、何してたん──」
本能で身体が動いていた。一歩後退る俺に対し、松家は迷う事無く康治郎さんの方へ駆けていった。その存在を確かめるように、彼の身体に抱き着く。
「ぶ!? ちょ、瀬那……いきなり何すんだ」
「う、あ……うああああああぁぁん!!」
そして、抑圧していた感情を漏らすように、胸の中で幼い子供のように泣きじゃくる。安堵、喜び、悲哀……彼女の涙はとても雄弁であった。
妹が見せた突然の号泣に、暫し恥ずかしがりながら困惑していた康治郎さんだったが、やがてその哀の感情に応えるように、康治郎さんは兄らしい柔和な微笑で松家の頭を撫でる。泣く妹とあやす兄。ああ、きっとこの光景は、小さな頃から全く変わっていないんだろうな。良かったな……松家。
「ごめん……兄さん……」
涙を拭い、鼻をすすりながら兄からそっと離れる松家。落ち着きを取り戻したのか、その疑問をぶつける。
「兄さん……なんで……身体平気なの? 心臓……平気なの?」
「うん? 変な事聞くな瀬那。検査入院はたまにしてるが、もう別になんとも──ああ、けど……そうだな。俺が心臓病の手術を受けたきっかけ。そういえば話した事無かったな」
「き、聞かせて下さい!」
「今でもハッキリ覚えてるぜ。あの日突然、中学生くらいの男子が、息絶え絶えに俺のとこに駆け込んでってよ。いきなりぶん殴られたんだ。んで、胸ぐら掴まれて鼓膜破れる声量で叫んだんだ。治せるもんなら治せよバカ……ってさ」
「えっ?」
「初対面だったけど何故か分かったよ。コイツ、俺の事色んな人に聞いて必死に探して、わざわざ俺殴りにきたんだって。多分理解したのは……お互い自分の身に迫ってるもんがあるからだろうよ。言葉はそれきりだったが、ソイツの怒りとか悲しみとか、色んなのがグチャグチャに混ざった顔見たら、目が覚めたよ」
治せるもんなら治せ……それを言う資格がある人間が、どれ程いるんだろう。生まれながら不治の病に侵されている人? 余命幾ばくもない人? あるいは──そんな……そんな人を知っている気がする。胸の奥底で、何か軋む音が気がした。
「……へっ、なんだか今日は妙な事ばっか起きやがる。うっし、お前ら2人とも稽古サボったバツだ! 明日は死なない程度に殺してやるからな。覚悟しとけよ」
康治郎さんは不敵な笑みを浮かべると、俺達の肩を叩いて部屋を後にする。とても静かだ……俺も松家も顔を見合わせ、この現実を実感していた。
「これが……父さんの言ってた世界が変わってるってやつなのか。今でも信じられないな……はは」
「うん……私も同じ。ちょっと……今は何も出来ないかも……帰って休みたい……」
「ああ、そうだな。今日は帰って寝ようぜ」
あまりにも目まぐるしい出来事に、俺も理解が追い付かない。今まであった事が夢だったように、実感がない。眠っていたはずなのに疲れが取れないな……俺は松家に別れを告げ、茫然自失と帰路に着く。
帰宅後、夕食を済ませて暫くした頃、父さんが帰って来た。俺はすぐに父さんの元へ。
「父さん──」
「ただいま佑樹。夕餉はもう済ませたのか? よし、食後の運動に父さんとビリーズブートキャンプでもやるか」
「古! まだやってるヤツいるのかよ! ってそうじゃなくて……」
「言っただろう。まだ話せないんだ」
「……じゃあいつ話してくれるんだよ」
「そうだな……次の世界にでも話すよ」
「父さん!」
はぐらかす父さんに、俺は声を荒げる。
「やれやれ……見せた方が早いか──」
そう言うと父さんはため息1つ吐くと、ぶら下げた紙袋から1つのディスクケースを取り出す。
「これ………分かるよな?」
父さんが指差すソレ。ゲームだ……よく知っているゲーム。
「ああ、分かるよ。いつも遊んでいたゲームだ」
「ほう、どんなゲームだい?」
「どんな……うーん。アースヘブンっていう世界に沢山の人がいて、主人公は禁匣っていう秘宝を探すゲームだよ」
「そうか……では、何故お前はこのゲームを知っているんだ?」
「え?」
「オンラインゲームなんてやった事がないはずのお前が、何故このゲームの表パッケージだけを見て、どんなゲームか言い当てる事が出来たんだ?」
「それ、は……ん……あぁっ!?」
記憶の隅にある記憶を辿ろうとした直後、突如遅いかかる頭痛。記憶を閉ざすように、針を刺したような痛みが頭を這い回る。
「ほらな……そんな痛みが出るようじゃ、もう無理だ。今の世界は無理に時空同士をインタラクトしたんだ。その副作用は計り知れん。もう忘れてくれ……それが世界の為でもある」
何時になく真剣な表情で諭す父さん。世界の……為? 一体……何をしているんだ? この人は。俺の知らない所で、とてつもない事をしている。
「……まあ、次の機会には否が応でも関わる事になる。変な詮索はせず、今回も彼女と幸せな道を選ぶといい。それが父さんにとっても助かる事なんだ」
「分かったよ……」
俺は父さんの言葉の意味を半分も理解出来ない。けど……不思議だ。散りばめられた様々な出来事が繋がってゆく。真実を知る日は近い──何故だかそんな気がする。何があろうと、俺は俺の信じる道を行けばいいんだよな。明日もまた変わらぬ日常が始まる……もう今日は休もう。




