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第8話、約束

「もうそろそろ貨物列車が町にさしかかる時分だよ」

 ヒカルに声をかけられて、食い入るようにテレビを見つめていた「34」は、しぶしぶスイッチを切った。既に二人とも、服は交換してある。

「僕の言うことを良ぉく聞いてくれ」

 ベッドに腰かけたまま「34」を見上げる。その双眸をしっかりと捕らえ声をひそめて、だが明確な口調で一語一語言い含めるように話しはじめた。

「さっきからアパートの前を怪しい奴等がうろついている。まあとにかく僕には怪しく見えるんだ。杞憂に過ぎなかったらそれでいいんだけど。だから裏から出てほしい。トイレの窓をはずすから、そこから外に出て、するとすぐ右に――うちは端の家だから――雨どいが下がっている。それを伝って下までおりるんだ。それから砂利のひかれたちいさな駐車場を横切って、そのまま真っすぐの方向に進めば線路が見えるはずだから」

 「34」は礼を言ってヒカルに教えられたとおり、トイレの窓から夜の闇へ身を躍らせた。体を反転し、右手で窓枠を左手で雨どいをつかみ、左足を雨どいとアパートの壁をつなぐ金具にかける。右足がこころもとない。ふと昨日、貨物列車から飛び降りた瞬間を思い出す。同じように涼しい夜風が頬を撫でる。下から吹き上げ髪を揺らし、額をくすぐる。

(一体何が変わったというんだろう)

 昨夜と変わらぬ風に吹かれ、だがあまりにも判然としない心持ちを抱えていることが我ながら不可解であり、「34」は思わず自問した。

 何かが漠然と終わりを告げていた。虚無感が刻々と心を蝕み、やがて身を取り巻く闇と同化してしまいそうな、形にならぬ不安が押し寄せてくる。

 そんな胸中が表情に出たのか、そしてそれが哀しげなものとヒカルの目には映ったのか、彼は雨どいを伝いおりてゆく「34」に声をかけた。

「僕は君がここへ来ることを迷惑だなんて、これっぽっちも思ってやしないよ。ただ……危険だと思うんだ。君の身に良くないことが降りかかることを、僕は懸念しているんだよ。だから――三十四、もう二度とここへは来ないで欲しいんだ」

 ヒカルは窓から身を乗り出して、表にいる人間たちには聞こえぬよう小声で、一生懸命しゃべった。彼が「34」の「名」をはじめて口にすると、「34」はおりる足を中途で止めた。黒い瞳が闇の奥からじっと彼を見上げている。

「約束してくれる?」

 ヒカルは指先が痛くなるほど爪先立ちし、窓枠に置いた手に汗を握って口約を迫る。

 風が、二人の間をすり抜けた。

「約束するさ」

 「34」は暗闇の中で、つ、と笑った。その目がなぜだか、一瞬蛇のような光を帯びたように思えて、ヒカルはぞっとした。そしてそれを打ち消すべく明るい声を出す。

「じゃあ、元気でね」

「あんたもな」

 下の方で「34」が呟いたのが聞こえた。地上にとっと降り立つと、振り返ることもせず、右手を後ろに向けてちょっと振ってみせただけで、その背中は闇の向こうへ吸い込まれていった。

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