表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/12

第1話、意図せぬ逃亡

 窓の無い建物がぬっと建っている。

 空はどこまでも朱を流したように赤い。その平たい建物にも朱が流れ、灰色の壁は赤く染められてゆく。

 中では大勢の人間たちがただ黙々と動いている。

 青白い蛍光灯が冷たく照らしだす中、震えるような機械音だけが間断無く続く。

 若者も年老いた者も皆、胸と背中に番号札をつけている。

 ベルトコンベアーの横に立ち、単調な形の製品をにらんでいる、透明な手袋をはめた男は「25」の布を下げ、彼の傍らに積まれた箱を運んでいく者は「48」の布を下げている。曲がりくねった太い配管に三方を囲まれた「58」の布を下げている少年は、ベルトコンベアー上を流れる部品を二種類にわける作業を何時間も続けている。

 ベルトコンベアーは減速し、がたんと大きな音を響かせ停止する。工場全体の機械音が止んだ。

 いやに大きな夕日が、窓の無い建物を赤く照らしていた。配管が一本、外壁の上にも這っている。夕日に照らされぬらりと光る。

 作業員たちが、工場の隅にあいた長方形の穴からぞろぞろと出てきた。コンテナを運びだす作業が延々と続けられる。運び出されたコンテナから順に、貨物列車に積み込まれていく。

 その最後尾で「34」の布を下げた男が、次々と運びこまれるコンテナを奥から順に並べている。

「重い……」

 声には出さずに唇だけを動かして、男はひとりごちた。そうして遠くに目をやる。

 だがその先には何もない。

 茶色の草に覆われた大地の上、赤い日を受け鈍く光っている線路が一本、地平線の彼方まで続いているだけだ。風さえ吹かぬ。

 夕日があかく照りつける。

 休もうにも男の意志とは無関係に、コンテナは次々と運ばれてくる。男はふらふらと、積み終えたコンテナの陰に寄っていった。

「疲れた……」

 また唇の先だけで呟いて、男は腰を下ろす。全てのコンテナを積み終えれば、列車がゆっくりと動きだすことを男は知っていた。あとは工場の中へ戻ればいい。夕食まで休むだけだ。

「眠い……」

 男は瞼を閉じた。


 冷たい風を感じて目を開けるが何も見えない。重いものを転がすような轟音と揺れを感じる。

(しまった……!)

 心臓が跳ね上がった。

 ――列車が発車してしまった。寝過ごしたのだ。

 意味もなく自分の鼓動ばかりが耳をつき、咄嗟に頭が真っ白になる。

 彼は身を起こした。

(とにかく戻らなければ)

 ゆっくりとその場に立ちあがり、飛び降りようと下方に目をやる。だが暗くて何も見えない。そこにあるのはただ硬い地面のみと頭で分かってはいても、闇の中に身を躍らせることはそう容易ではない。彼は躊躇した。じっと闇を見つめる。

 夜風が冷汗をかいた首筋に吹きつける。

 一瞬、光が射られた。――地面が凄い勢いで後方へ去る。

 彼は即振り返った。

 しばらくするとまた光が見えた。彼にとっては初めて見る、町の明かりだった。

 街灯や店や民家の明かりが現われるにつれて、列車は速度を落としていく。コンテナの陰からのぞく地面は、目で追えるほどのスピードになった。

 一度大きく息を吸い込んで、「34」は列車から飛び降りる。

 走り去る列車の後ろ姿がはっきり見えるほど、辺りは明るかった。

(夜なのになぜ、こんなに明るくしているんだろう)

 と、見上げた先には赤や青のネオンがまぶしいバーの看板。店内からは軽快な歌と歓声が流れてくる。

 遠く、列車の走り去る彼方をあおぎ見れば、高層ビルにあいた規則正しい窓のひとつひとつから、冷たい光の雫が紺の夜空へと散りばめられる。

 彼はビル街に背を向け、明るい店を左にみながら、貨物列車で来た道を戻りはじめた。

 ふとおもてをあげた「34」の目に、近付いてくる二人連れがうつった。電灯の薄明りに浮かび上がった彼等の顔に、「34」は叫び声をあげかけた。だがその前に、彼の足は近くの建物の陰に逃げ込んでいた。

 二人連れが通り過ぎるのを待って、「34」は忙しく考えだした。

(あんな顔の人間は一度も見たことがないぞ。ここに住んでいる奴等は皆あの顔なのか……? それとも――。一体おれはどこに来てしまったんだ)

 だがそれは考えと呼べるほど、まとまったものではなかった。建物の闇にへばりついたまま、彼は二人のうち小さいほうを思い浮べた。

(あの右側の人は一体何なのだろう…… あの、何て言うか……)

 彼は言葉にならないものを感じた。それは彼が初めて見る、女という生物だった。

 まだ新しい壁に身を預けていた彼は、ふと背中ごしに窓をのぞいて再び驚愕する。

 部屋の中では白衣を着た人々が、男も女も皆、精力的に動き回っていた。

(皆見たこともない奴等ばかりだ。顔も背格好も、工場の仲間とは全然違う)

 部屋の中央に薄緑色の台が置かれ、向かって左側には流しとその奥に縦長のロッカー、右側にはガラス戸棚が並び、後ろのドアは半開きになっている。その向こうにごく短い廊下がちらと見える。壁には色とりどりのポスターが貼られ、台の上には様々な実験器具がそろっている。

 その中で彼らは、互いに言葉を交わし合い、笑ったりうなずいたりしていた。

 何を話しているのかは分からない。だが「34」はずっと部屋の中を見ていた。

 彼らは台の上に散らばった実験器具を、戸棚や台の下に片付けている。やせた長身の男が、白衣を脱ぎロッカー内のハンガーに掛ける。彼は一言二言何か言うと、その場の人々に片手を挙げて挨拶し、奥のドアから出ていった。

 すぐにその男は外に出てきた。口笛を吹きながら去っていくその後ろ姿を、「34」は飽きもせず眺めていた。

 視線を再び室内に戻して、彼は思わず息を呑んだ。見慣れた顔の人間がいたのだ。驚愕はやがて安堵に変わる。

(良かった。ここにもおれと同じ顔の奴がいるんだな。いや、もしかしたら工場の人間かもしれないぞ)

 「34」より少し若いその人物は、紺色のヘアーバンドをした髪の長い女性と笑いあっていた。女性はこちらに背を向けたまま流しですすいだ試験官を「34」と同じ顔の人物に手渡す。試験官の縁を転がる雫が一瞬光って落ちる。「34」と同じ顔の人物は水を切り、試験官立てに逆さに差し込み戸棚にしまった。

 一人二人と帰っていく。

 「34」は自分と同じ顔の人物が部屋から出るのを待った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ