29・待っていたのは
「俺は知っているんだ。毎年毎年、綾子が娘に会いに行きそびれて、孫に買った女の子の服がたんすに増えていったこと。綾子、いつも空回りだって自分で言ってた」
「『おばあちゃんなんて名乗れるとは思えないほど、私には子供じみたところがあるのです。』」
私の言葉に聞き覚えがあるのか、冬霧から無言の驚きが伝わって来たので補足する。
「私宛のおばあちゃんの手紙に、そう書いてあったんだ。おばあちゃんは思ったままに行動して、あとで失敗したなって気づくのが悩みなんだって。冬霧の言った通り、おばあちゃんって私にそっくりだったから……本当、笑っちゃう」
「うみ……」
「おばあちゃんはね、自分のしたことで人が去っていったことに気づいていたんだよ。だからかわいい狐が縁側にやってくるようになった話、私にたくさん書いてくれた。自分のしたことで冬霧が来るようになったから、特別嬉しかったのかもね」
冬霧のさざ波のようなざわめきの感情が流れてきて、私の心を震わせる。
いつもは私のためにひたすら感情を閉ざしている冬霧が、おばあちゃんへの思いで揺れている。
私は緊張をほぐすように、しっかりと息を吸う。
冬霧が望む内容ではなくても、もう私たちの間に隠しごとはいらない気がした。
「冬霧。私、ずっと隠してきたけど。おばあちゃんにはね、もう会えないんだ」
「うん。知ってる」
あっさりとした冬霧の返事に、私は聞き間違いかと耳を疑う。
「今、知ってるって……言った?」
「うん、言った。綾子が帰ってこないこと、俺は知ってるよ。だって綾子が出かけてから、いろんな人が来たから。隠れて話を聞いているうちに、だいたいわかった」
だけどそれだと、冬霧があやかしになった原因がわからない。
「冬霧、おばあちゃんが帰ってこないから、ずっと待っていたんじゃないの?」
「あれ。会ったときに話したと思うけど、俺は留守番していたんだよ。俺、綾子から孫の話を聞いて、ずっと考えていたんだ、うみのこと」
「……私?」
「そうだよ。うみが来てくれたらいいなって、会いたいなって。俺はうみを待っていたんだ。綾子の代わりに」
瞬きもせず、私は板の間のかたい感触に横たわったままだった。
考えもつかなかった、私へ寄せられていた冬霧の思いに、じりじりと胸が焦げ付くように苦しい。
出会ってから今までのこと全部、私に対して冬霧のしてくれたことに、こんな意味があったなんて。
「じゃあ……私と初めて会った日の、冬霧の悲しい気持ちは……」
そうやって言葉にしているうちに、私の中で事実がつながっていく。
出会った日の夜に起こったあの溺れるような冬霧の感情は、お父さんもお母さんもいなくなって、たった一人やってきた私へのものだったのだとしたら。
「冬霧はおばあちゃんの代わりに、私のことをずっと心配していてくれたの?」
「それは代わりじゃない。俺が勝手に気にしていた」
冬霧は珍しく、恥ずかしそうに声をひそめる。
「綾子が気にしていた孫に会えば俺の不安も吹き飛んで、そばで守ってあげられると思ってた。でも俺、知らなかったんだ。会ったら余計、心配になるなんて。綾子の気持ち、少しわかった」
私宛の手紙には、お母さんに対して厳しくし過ぎたという、おばあちゃんの後悔が綴られていた。
でもおばあちゃんは一生懸命で、必死で、お母さんを本当に大切に思っていて、それがきっとうまくいかなくなっていて。
そのことに気づいて私に手紙を書いてくれた頃には、長い年月が経っていた。
板の間に寝そべったまま、私の目じりから涙が落ちる。
「悲しいね」
「うん」
「だけど、それだけじゃない。そういうことがたくさん重なって、私、冬霧に会えた」
おばあちゃんのこと、わたしのこと、料理に菜園、ワンちゃんのこと……。
数えきれない思い出がよみがえって来て、胸が疼く。
「冬霧、ありがとう」
唐突に、冬霧は横たわっていた板の間から勢いよく起き上がった。
「うみ……だけど俺、心配事がなくなったらきっと、元の姿に……」
「わかってる。私はだいじょうぶだよ」
いつか去っていく冬霧を安心させたくて、私はできるだけ明るく言いながら体を起こして、冬霧にまっすぐ向き合う。
目が合うと、私は胸を打たれたように息を止めた。
冬霧の満月のような瞳の中には、今にもこぼれてしまいそうな液体が揺れている。
別れの予感に、冬霧の濡れた心が侵入してくる。
喪失感に心を奪われかけて、私は思わず裏庭に顔を向けると、ワンちゃんみたいに涙をぬぐった。
別れたいわけじゃない。
だけど私は、心配してもらうことで冬霧を拘束し続けたくもない。
おばあちゃんだって教えてくれた。
縛り付けるだけでは、心が離れてしまうこと。
「私だって冬霧がいないとさみしいよ。だけどね、きっとそれは私だけじゃないから。ね、冬霧」
返事がない。
不安になって目を向けると、見たことのない冬霧がいた。
なにも言わずにうつむいていて、まばたきを繰り返す長いまつげから押し出されるように、澄んだ雫がほろりほろりと落ちていた。
泣いているのは、いつも私だったけど。
今日くらいは私が笑って励まして、安心して欲しかった。
「冬霧が私のこと心配だったら、ずっとそばにいてよ。だけどね、私だってずっと、あやかしの気持ちにおびえたままの子どもじゃないから。冬霧が一緒に乗り越えてくれたから。私はだいじょうぶだよ」
「うみ、やめてよ。そんなこと言われたら……あやかしでいる俺の意味がほどけて、そのうち……」
「冬霧が去っていく日はきっと、私のことをだいじょうぶだって信じてくれたときだと思うから。そのときは私、ようやく冬霧を安心させられて、一人前になったんだって胸張るよ」
残していく者の気持ちを、私はまだ知らないけれど。
いつも私のために感情を押し殺していた冬霧から滑り込んでくる今の気持ちを、きっと忘れない。




