13・帰りたい
私とワンちゃんは鍋敷きとご飯ののったお茶碗が準備されたちゃぶ台の前に正座をして、今か今かとじれていた。
「おまたせ」
台所からやってきた冬霧は白い土鍋を抱えていて、それはちゃぶ台の真ん中にやってくる。
三人で食べきれるのか不安になるような大きさだ。
「熱いから、火傷しないように気を付けてね」
冬霧は言いながら、ひし形に畳んだふきんで鍋の熱い取っ手を覆い持ち上げた。
白く見えるほどの蒸気と熱気が立ち昇り、私とワンちゃんの声が重なる。
「「わぁ」」
その温度にも負けず覗き込むと、蒸されて鮮やかに色づいた黄緑色のキャベツが、きれいにそろった切り口をすべて上に向けてしきつめられている。
隙間には薄いバラ肉が交互に重ねられていて、食欲をそそるキャベツと豚肉の旨味が混ざり合ういい香りが立ち込めた。
ワンちゃんがごちそうを前に、歓喜の武者震いをしている。
「キャ……キャベツのミルフィーユか……」
高揚感に思わずしっぽが出たらしく、またおしりの辺りが膨らんだ。
冬霧は取り分ける用の器によそって、順番に配ってくれる。
「はい、これはワンの……こっちはうみだよ」
受け取った器から、じいんとぬくもりを感じた。
「いただきます」
熱を放ちながらつやつや光っているキャベツとバラ肉を箸で割ると、そこから透明な肉汁がじわっと溢れた。
あつあつなので気を付けながらも頬張ってみると、ほろほろと柔らかい。
塩と胡椒の辛みは刺激的というよりも、むしろ素材の持っている上品な旨味を引き立てていて、噛むたびにキャベツのまろやかな甘味と豚肉のしっとり崩れる触感が合わさっていく。
「うううっ……冬霧のやつ」
ワンちゃんのうなる口は食べる方と喋る方、どちらも器用にこなしていた。
「キャベツ栽培に雑草抜き……料理まで上手なんて! 多芸すぎて、ぼくは尊敬を強要されている気分だ!」
冬霧は器を持ち、ふうふう言いながら首を傾げた。
「うーん……俺は難しいこととかわからないし、上手いとか下手なら下手な気がするけど。でも料理はあるものを無駄にしないように作って、食べた人がおいしいならそれでいいや」
私は自分では料理が下手だと言っていたお母さんを思い出して、深々と頷く。
お母さんのごはんはたまにとんでもなくしょっぱかったり、うっかり焦がしたりすることもあったけれど、やっぱりおいしかった。
「うん、このままがいい」
私もワンちゃんも、その後はおしゃべりより食べることに専念して、大きい土鍋の中身はきれいに無くなった。
「うまかった、ごちそうさま!」
ワンちゃんは座ったまま仰向けにごろんと寝転がる。
そのまま寝息を立て始めそうだったので、私はワンちゃんに声をかけて立ち上がった。
寝る準備を終えてから、私が使っている和室に布団を二つ並べる。
ワンちゃんが枕を持ってきて滑りこんだのを確認してから、明かりを消した。
「おやすみ」
そう声をかけあって、お互いに背中を向けて横になる。
眠れそうになかった。
私は音を立てないように、布団の中で両手をぎゅっと握りしめる。
静かな薄闇の中、寝返りを打つワンちゃんの気配がした。
「うみ」
「……なに?」
「ぼく、ここから出て行った方がいいよね」
「どうしたの、急に」
「だってうみ、ぼくの感情をずっと受け取り続けているんだろ?」
私は黙って、握りしめている両手にもっと力をこめた。
冬霧のごはんを食べていたとき以外は、ワンちゃんの悲しくてどうしようもない気持ちが不意に流れてくる。
布団に入ってからは、ずっと。
ずっとさびしい。
そこに誰かのことを案じている思いまで混ざって、私まで心がぐしゃぐしゃになってしまいそうなのが怖かった。
「もしうみが困ってるなら、ぼく……」
「ワンちゃんは?」
「……ぼく?」
「そうだよ。ワンちゃんはどうしたいの」
ワンちゃんの感情が、ちいさな棘のように私の心に食い込んだ。
「……ずるいよ、うみは。ぼくの気持ちをわかっていて、そんなこと言わせるんだな」
そうかもしれない。
だけど私は知っている。
ワンちゃんから逃げずに、ずっと気持ちを感じていたから。
「ずるいのはワンちゃんだよ。わかっているなら言わなくていいやって、自分で言葉にすることから逃げるなんて」
傷つけるのを覚悟で言うと、心は小石を投げられた水面みたいに波立った。
私はそれに負けたくなくて、ぐっと気持ちを抑える。
ワンちゃんの動く気配がして、私のパジャマの裾が引っ張られた。
寝返りを打って向き合うと、薄暗いのにそこにある真剣な表情をありありと感じる。
「うみ。ぼく、メイに会いたい」
「うん」
「帰りたいんだ、でも……」
ワンちゃんの声が涙で震えて、私まで切ない気持ちになってくる。
私は手を伸ばすと、ワンちゃんの自慢の髪の毛を撫でた。
柔らかくて、つやつやしているのにふわふわしていて、メイちゃんが触って喜ぶと聞いていた通りの感触に、その幸せな気持ちがわかった気がした。
「ワンちゃん、メイちゃんの家に一緒に行って様子を見てこよう。事情がわかるかも」
ワンちゃんの動揺が伝わってくる。
「だけど……メイはもうぼくのこと嫌いになったのかも。それに今はあやかしの姿だから、会っても気づいてもらえないだろうし、例え見た目が戻っても、ぼくなんかいらないって言われるかも……」
「そうだったら、一緒にこの家に帰ろう」
「うみ……」
「ここに帰ろうよ」
ワンちゃんはためらっているのか、布団の中でうつむいている。
「だけどぼく、弱虫だからきっと泣いちゃうよ。でもそうしたら、うみにぼくの気持ちが流れて……」
「私も一緒に泣くよ」
「……どうしてうみは、そんなにぼくのこと、真剣に考えてくれるの?」
「わからない? ワンちゃんがメイちゃんのことを思ってるの、私にはずっと伝わってきてるんだよ。だから例え帰れないことがはっきりしたとしても、メイちゃんのためだって思えたら、ワンちゃんは乗り越えられるんだろうなって、わかる」
そう信じたい。
枕に頭を預けたまま、ワンちゃんは私の目を見て頷いた。
「ぼく、行くよ」
しばらくそのまま向き合っていると次第に寝息が聞こえてきて、いつの間にか悲しい気持ちも消えていた。
あどけないワンちゃんの寝顔がそこにある。
安らかな様子で眠っていると本当にお姫様……いや、王子様にしか見えないので、喋っているときとのギャップがありすぎだ。
でもどっちも、ワンちゃんらしくていい。
小さい子が苦手な私はそんな風に思うのが不思議だったけれど、ワンちゃんはあやかしだからちょっと違うのかな。
そのとき私の背後でふすまが開いた。
見なくてもわかる。
そこに冬霧が立っている。




