06 覚悟
満足したクランはリリィの耳から手を放した。その膝の上で、また始まらないかとリリィが怯えている。
残っていたコーヒーをすべて飲み干し、クランはリリィを抱きかかえて立ち上がった。
「あんたに関して話したいところだけど、このお邪魔虫のせいでまともに話ができないし、進まないだろうから一旦お開きにしましょうか」
「わかりました。……ところでリリィをどうするんですか?」
どうしたらいいのか分からず震えているリリィを指さしてウィンが問いかけた。
それに対し、クランは満面の笑みを浮かべながら答える。
「ちょっとこの子借りるわ。大丈夫よ、変なことはしないから」
「法に触れない程度でお願いします。防衛兵団の評判に関わりますので」
「分かってるわよお邪魔虫さん。それじゃーねー」
ウィルソンからの指摘を適当に流し、クランはリリィを抱きかかえたまま外へと出て行った。
診療所の前では、傷者がいなくなり不必要になった非常用のテントの解体作業が行われていた。
ノームは土人形を形成し、イフリートは素手で町民の手伝いをしていた。ウンディーネは氷結させた水球のすぐ横に立ち、元団員のに不審な動きがないか警戒している。
中心に立って町民に指示を出しているランドとリンドウ、そしてその横で手伝っているクリムにクランは近づいていった。
「お疲れさまー、ちょっとリリィ借りるねー」
「は、はあ」
娘が美女に抱きかかえられているという不思議な光景を目の当たりにして、クリムはうまく言葉が出ずに変な返事をしてしまった。
作業現場から少し離れたところで、クランが安全のために周囲を見渡す。その様子をリリィは腕の中で不安げに見守った。
確認が終了したところでクランがリリィに呼びかけた。
「それじゃーここでいいか。よいしょっと」
そういってクランは右足をわずかに上げ、地面を踏む。するとその足元に一瞬魔法陣が展開し、そこから溢れ出した青い粒子が2人の周囲を取り囲んだ。
「少し浮くよー」
「え? ってうわわわっ!?」
2人の体がゆっくりと宙に浮かび上がった。建物の3階程度の高さまで上がると、そこで制止する。青い粒子が透明になっていき、周囲には少し高めの場所から町が見渡せた。
驚きののちにきょとんとしていたリリィをクランが解放した。足場は無いのだが、まるで何かに優しく押し上げられているような感覚で空中に浮いていた。
「これでゆっくりあなたと話ができるね、リリィ。この中でなら外からは見えてないし、あたしたちの声も外には聞こえてないわ。女性にとって重要なプライベート保護は完璧よ」
「すごいです……。浮遊術と結界術式の組み合わせのようなものですか?」
「まあそんなところ。さーてとまず何から聞こうかしら」
下あごに指をあて、質問を考えるクラン。見た目は大人っぽいが、まだ乙女な部分が見え隠れしている。
不思議な人だけど、本当に四強の1人なのだとリリィは実感した。医術学校で似た術式を学んでいるのだが、そこの講師たちよりも圧倒的に完成度が高いのが感覚だけでもわかったからだ。
そんなクランと話をできることを嬉しく思ったが、先ほどまでのモフモフ攻撃を思い出して少しだけ警戒態勢に入った。
「あ、単純な疑問なんだけど、身長いくつ?」
「148です」
「それ耳で盛ってるよね?」
「うっ……」
あまり聞かれたくなかった質問が飛んできてしまった。身長が伸び悩んでいるリリィにとってあまり答えたくない問だった。
しかし、目の前で目を輝かせながら返答を待つクランを裏切るわけにはいかず、諦めてリリィは正直に答えた。
「……132です」
「小っちゃい……! 可愛い……! ああ、こんな妹があたしは欲しかった……!」
そういって感慨深そうにクランはその場でガッツポーズをした。よほどリリィのことが気に入っているらしい。
自分の身長を改めて確認してリリィは少し気を落とした。毎日牛乳は飲んでいるが、10歳超えたころから伸びがほぼ止まってしまっているのが現状だった。
「ごめんごめん。次はちゃんとした質問にするからさ」
気を落とすリリィを気遣ってクランが両手を合わせて謝った。
リリィはやるせない気持ちを何とか抑え込み、気を持ち直した。それを確認して、クランは静かに問いかける。
「リリィはレイン、いや、ウィンのことどうして好きになったの?」
「ええっ。なんでですか?」
「そりゃーあたしがウィンの前に現れたとき、リリィが勇気づけるようにすぐにそばに来たから、そういう関係なのかなーって」
「そう……ですか」
まだ会って間もないクランに思い人に関して聞かれて、リリィはたじろいだ。
こういったことを話すのは恥ずかしいが、素直に答えたほうがいいと判断したリリィは少し照れながらも話し始めた。
「ウィンに出会うまで、私はたいした変化もなく普通と言える日常を送ってました。隣街の医術学校をでて免許を取得したら、この町で医者を引き継ごうと考えてました。でも、彼が私を助けてくれて、彼と出会ったことで何かが変わった気がしたんです」
「……うんうん」
静かに相槌を打ちながら、クランはその話を聞いていた。
その様子は、先ほどまでキラキラと目を輝かせていたものと違い、落ち着いた雰囲気を醸し出す美しい女性だった。
ずっとこうしていればかっこいいのに。そう考えながらもリリィは続ける。
「今まででは感じることのできなかったワクワクやドキドキを、ウィンと一緒にいれば経験することができると思いました。それに、私自身が単純にウィンと一緒にいたいと考えてるのに気づいたんです」
「助けられて一目ぼれしちゃったかな?」
「いえ、確かにそのことは感謝しています。本格的に気になり始めたのは、この町で一緒に過ごし始めてからです」
「ははーん。色々教えてあげるうちにどんどん距離が縮まっていったわけだ」
「……その通りです」
気づけば一緒にいたいと思うようになっていた。今までの人生にはなかったことを体験できるような気がした。身勝手かもしれないがリリィはウィンのことが好きになっていた。
自分からは言い出すことはできなかったが、この前の夕食のとき話を聞いてウィンが自分を受け入れてくれたことがとても嬉しかった。
心の中で思い浮かべたウィンがこちらに対して笑顔を向けている。それだけでも恥ずかしくなってきたリリィは、大きな耳を垂らしたり上げたりを繰り返している。
「なるほどね……。青春って感じかな……」
ある程度話し終えたところで、クランが静かにつぶやいた。その表情はどかか寂しげにも感じられた。
しばしの沈黙の後、クランはゆっくりと口を開けた。
「忠告みたいになっちゃうけど、いいかな?」
「……はい。大丈夫です」
先ほどまでとは全く違う重みのあるクランの声。思わずリリィは唾をのんだ。
「あいつとこれから先も一緒にいるとなると、今回みたいな厄介ごとに何度も何度も巻き込まれるかもしれない。それにもしウィンが記憶を取り戻して、リリィの知らない彼の本当の姿を見ても、一緒にいたいっていう覚悟はある?」
真っ直ぐに向けられるクランの視線。それに逃げることなく、リリィもクランの目を見て話す。
「本当の姿がどれだけ違っていても、私はウィンが好きです。一緒にいたいし、一緒にいるために精いっぱい努力するつもりです。覚悟は、あります」
リリィが絞り出したその言葉を聞くと、クランはさらに問いかけた。
「もしリリィのことを避けるようになったら?」
「振り向いてもらえるように頑張ります」
即答するリリィ。いつもの柔和な様子とは全く違う気迫のあるリリィがそこにはいた。
その後、2人の間で沈黙が流れる。しかし、その力強い視線は交わったままだった。
お互いに一歩も引かぬ状況が続く中、先に切り出したのはクランだった。
「思った通り。強いわね、リリィ」
「私が、ですか?」
「ええ。ウィンが羨ましいわ。こんなに思ってくれる子がそばにいて」
その顔にはもう先ほどまでの重みは感じなかった。納得がいったという満足げな顔だ。
よくわからなかったが、何とか満足させることができたのを理解し、リリィはほっと胸をなでおろした。
その様子を見て、クランは笑顔でリリィの耳に手をやった。その手は先ほどのモフモフとは全く違う、温かみのある触り方だった。くすぐったくはなかったが、少しリリィは照れてしまう。
何故ここまで自分のことを考えてくれるのか、リリィにはわからなかったが、クランはそれに答えるように語りかけた。
「私は、目標に向かって突き進んだり、努力を重ね続ける人が大好きなの。あなたも間違いなくそこの中にいるわ」
「そんな……、私はただ……」
「謙遜することはないわ。誇りなさい自分を。そして今の気持ち、思いを忘れないようにね。それはあなたをもっと高みへと導いてくれるはずだから」
まるで母のように言い聞かせるクラン。それを聞いていてリリィも心の底から安心していた。こんな姉がいてくれればよかったな。そうリリィは考えるようになっていた。
耳から手を放すと、クランの手のひらが一瞬光り輝く。格納方陣の光だ。その手のひらには青い小さな宝石が1つ取り付けられている銀色のブレスレットがあった。
「はい、これあげる。似合うと思うよ」
「いいんですか?」
そのブレスレットをクランはリリィに手渡した。不思議と温かみのあるそれを、リリィは右腕に通した。
「ちなみにお揃いー」
「あ、そっちは赤なんですね」
クランの左腕には宝石が赤いものを使用されているブレスレットをしていた。
「まだ試作段階なんだけどね。これさえあれば、本当に必要だと願ったときに対になる物をてにしている人の居場所がすぐにわかる優れモノなのよ」
「へー、このブレスレットにそんな力が……」
「だからね……」
そういうと、クランはリリィの目と鼻の先まで顔を近づけた。
いきなりのことで少し驚くリリィ。そんな彼女にクランは笑顔で言った。
「もし本当にどうしようもない状況に立たされたら、あたしを呼びなさい。この世界のどこにいても、すぐにリリィのところに駆けつけるわ」
「……ありがとうございます。大切にしますね」
こんなにも頼りになる存在がすぐ近くにいてくれる。こんなに嬉しいことはない。
小さな町の中、誰にも声を聞かれることのない2人だけの空間でお互いが笑顔になっていた。
※
「では、私はそろそろ帰ることにします。美味しいコーヒーご馳走様でしたと、リリィさんに伝えておいてください」
「はい。分かりました」
手早く身支度を整え、ウィルソンは椅子から立ち上がった。ようやく親近感がわいてきたところでの別れに、ウィンは少し残念に思いながらも見送ることにした。
長距離転移術の準備に取り掛かる中、ウィルソンはウィンに静かに言った。
「覚悟をしておいてください、ウィン様。これからあなたは行く先々で予想外の事態に巻き込まれるかもしれません」
警告や忠告とも思えたが、ウィンにはそれが助言であるように感じられた。
腕を組み、自信ありげにウィンは答える。
「大丈夫。もしその時になったら死ぬ気で切り抜けてみせますよ。今回みたいに」
「……信頼性に欠けますね」
「……反論できないっす」
ミミズの化け物と元団員の怪物は奇跡的に何とかなったが、今度ばかりはそうもいかないかもしれない。
かなり運に身を任せている現状に、自分で思い返して不安になった。
その様子を見て、ウィルソンはその無表情を一切変えずに言った。
「自信を持ち、物事に臨んでください。少なくともあなたには、ある程度の問題ならば難なく突破できるほどの能力があるはずですから」
「……マジっすか」
「マジです」
思わぬ激励の言葉にウィンは素直に驚いてしまった。まさかこんなことを言われるとは。
その後、ウィルソンは敬礼するとリビングから転移し、どこかへと消えた。不思議と最後に見た表情はどこかやりきったようにも見えた。全く変化はないように見えても、微妙な差異があるようだ。ほとんど変わっていないが。
誰もいなくなったリビング。ウィンはテーブルの上に残された4つのコーヒーカップを流しに片付けた。
「頑張らないとな……。ま、今は片付けを手伝おう」
これからを考えて自分に頑張ろうと言い聞かせ、ウィンは外の片付けの手伝いへと向かった。