第七十話 世界を愛した男
「何だってんだ!? 残滓はなかったはずだぞ!」
「これは……、とても興味深いですねえ……」
アイザックとオズワルドが驚嘆の声を上げる。部屋の至る所から噴出し始めた緑色の粒子が、資料の散らかった研究室を復元し始めたのだ。
瞬く間に研究室が構築された中、圧倒的な存在感を放つ椅子に腰かけた白衣の男性が、机の上で手を組みながら部屋の中央へ向けて話し始めた。
『私の名は『 』。恐らく、因子として刻み付けた時点で、私の名は聞き取れなくなっていると思う。ここでは、世界を愛した男、通称『愛男』とでも呼んでもらおう』
「……ブフっ」
奇妙な呼び名を聞いたオズワルドがその場で噴き出した。真面目な様子で話しているがために、それ以外の面々はどう反応していいか分からずに困っていた。
愛男を名乗る男は椅子から立ち上がると、黒板のところまで歩いていく。真剣なその姿に、ウィンたちは静かに見守ることにした。
『新世界の抵抗力として生まれた者の力を確認した時、この映像が再現されるように細工をしておいた。これを見ているということは、私が予想した最悪の事態が起きているということだろう』
そういって愛男は大きくため息をついた。落胆した姿のまま、その頭を部屋の中央へと下げる。
『選ばれた者の中でも、得た力と知識を悪用する者は必ず現れる。しかしながら、こうするしかなかった。『奴』は復活し、必ず動き始めるはずだ。取り返しがつかなくなる前に、どうしても君を生み出したかった』
頭を上げ、強い意志のこもった瞳を中央へと向けてくる。リバーと同じく、そこから迷いは一切感じられなかった。
『自らが危機に陥ることで、防衛本能を働かせた世界は抵抗力を生み出す。さらにそこに私が調整を施すことで、来るはずの脅威に立ち向かえる力を備え付ける。ここに来た君は、奴の天敵ともいえる力を持っているはずだ』
再び移動を開始した愛男を視線で追う。その中で、先ほど話した中で出てきた『奴』のことがウィンは気にかかっていた。愛男が言った感じではかなりの危険人物だと予想できるが、一体だれのことなのか。
疑問に思っていると、突然研究室の中が暗くなった。天井に設置されたプロジェクターが起動し、愛男の横の壁に設置されていた巨大なホワイトボードに映像が映し出される。
尋常じゃなく複雑な術式が映し出された。それが、映画のスタッフロールのように下から上に流れるように表示されていく。理解不能なその映像に、ウィンはただ呆然となることしかできなかった。
分かるわけがない。戦闘用の術式に関しては記憶できているが、それとは桁違いの量の情報量を瞬時に整理、記憶ができるほどの頭を持ち合わせていなかった。
映像が終わり、プロジェクターが止まった。部屋が明るくなったのを確認したラブ男は中央に向けて話し始める。
『これがレギオンを消滅させるための術式だ。君をここまで導いた者であれば、これを記憶できたはずだ』
「うん。覚えた」
「天才の私も覚えましたよ」
「流石教授」
「それほどでも」
唖然としているウィンたちの近くで、オズワルドとリバーが拳を合わせた。天才師弟の息の合ったその様子を見て、安堵することができた。もし、この2人がいなかった場合を考えるとぞっとした。
ホワイトボードから離れ、一番最初にいた椅子に腰かける愛男。再び手を組み、真剣な面持ちで中央を見た後、静かにうつむいた。
『しかしながら、世界から因子を消したとしても、これまでに生まれ出た全ての人から因子を取り除くことは不可能だ。覚醒した者たちから力を奪うこともできない。だが、抵抗力である君であれば、そんな彼らも黙らせることが出来るはずだ』
その言葉を聞き、ウィンとレインは拳を強く握った。頭の中には、余裕の様子で去って行ったグランツの姿が浮かび上がる。
もっと強くならなければいけない。奴を倒すだけの力はあるはず。徹底的に、それを使いこなせる体を作り上げる。新たな目標が、ウィンとレインの中で生まれた。
決意を固める2人の様子に新世界が感心していると、ラブ男の口から見知った男の名が出てきた。
『それと、木梨隼人、今ではケネス・リーガンと名乗る男に気を付けてほしい。私の予測が正しければ、彼の体を使って奴が、『アダムス・フォン・ロンギヌス』が復活の機会を窺っている可能性が高い』
「……え」
呆気にとられるウィン。畳みかけるように、愛男は続ける。
『新世界になってから、彼の魂に揺らぎを感じ取ることがあった。その際の感じは、あの忌々しい魔術師のものだった。彼自身には罪はない。間違いなく、私たちとともに転生を見届けた仲間だ。それでも、注意しながら、いつか彼を殺める覚悟をしてほしい。彼も、それを望むはずだ』
「殺す……のか。ケネスを……」
何もかもから逃げ出そうとしたとき、屋上で励ましてくれたケネスの姿が脳裏をよぎる。優しい笑顔が眩しい。
正直に言って、無理だとウィンは確信していた。新しい人生を踏み出す勇気を与えてくれた恩人をこの手で殺すなど、絶対にできないし、したくない。
だが、野放しにすればいつか絶望邪神像を作ったあのイブの夫が復活するかもしれない。姿の知らぬ凶悪な存在を蘇らせることと、恩人の命を乗せた天秤が心の中で揺れ動き続ける。
気づけば、ウィンの手が震えていた。それを見たレインは、静かに口を開く。
「その時は、俺が殺る」
「他に方法がないか探す」
「それもいいと思う。でも、間に合わなかった場合は俺に任せてくれ」
「……分かった」
何かあるはず。希望はあるはずだと自らの心に言い聞かせる。しかし、現状ではどうすることもできないことはウィンでも十分に理解できた。
表情を暗くさせるウィン。活路が見えない中、その肩にレオが手を置く。
「諦めることはない。現実と戦い続ければ、道は見えてくるはずだ」
「……ありがとうございます、レオさん」
その大きくて温かい手を感じ、ウィンは前向きにことを考えようと思えた。苦難を乗り越えてきたレオだからこそ、その言葉には重みが感じられた。
少しずつ、その表情が明るさを取り戻していく中で、愛男はその目を開いて中央を見据えた。
『もうすぐ映像が終わる。身勝手なことを言うが、この新世界のことを頼む。そして、どうか覚えていてほしい。この世界を愛していた男を。世界を存続させるために散っていった者たちのことを』
愛男と研究室を構成していた粒子が乱れ始めた。言った通り、限界が近づいているようだった。
機材などの一部が分裂を始めた。消えていくと思われたそれは、空中に人物の名を浮かび上がらせていく。その中には、先ほどのケネスの本当の名もあった。
それらは世界転生に関わった者たちの名前のようだった。名前の後ろに、それぞれの人物の顔が表示されている。
「……あ」
ウィンは見つけた。リリィにそっくりの少女を。そして、そのすぐ横に表示されている青年も。
『マリー・アークライト』
『風間雨京』
隣り合ったその名は、絶対に離れないようにその位置から移動することはなかった。
絶望邪神像の内部でイブが言っていたウィンとリリィの前世だと、一目で分かった。マリーの写真が笑顔のものへと変わると、雨京も笑みを浮かべた。
やがてそれらも消えていく。最後に残ったのは、椅子から立ち上がった愛男と名乗った白衣の男性。撮影当時にはいるはずのないウィンとレインをしっかりと見据えるかのように、その場に立っていた。
『もし、あの世があるのであれば、いつか聞かせてほしい。危機の去った新世界の話を。私は、それを楽しみに待っている』
真剣なその表情が、笑顔へと変わった。見えない者たちへの希望を託すその姿は、足元から粒子となって消滅していった。




