第五十八話 ウィンの朝
――新暦195年 9月 23日(金)
『ディアン』・診療所2階第2寝室
06:25
カーテンの隙間から朝日が差し込み、窓の向こうからは小鳥の鳴き声が聞こえてくる。
小さな町にある唯一の診療所の2階、第2寝室のベッドの上でウィンは静かに目を覚ました。まだぼやける視界をはっきりさせるために何度もまばたきをする。
ベッドの近くにある目覚まし時計で現在時刻を確認し、再びまぶたが閉じそうな顔を天井へと向ける。見知った天井に心を落ち着けながら、横を向いた。
リリィが静かに寝息立てて眠っていた。その大きな狐の耳をウィンはおもむろに触る。
「……ん」
目は覚まさなかったが、くすぐったそうな声を出した。その可愛らしい様子に、ウィンは癒されつつ、体を起き上げた。
ベッドから立ち、閉じられたカーテンに手をかけた。朝日によって暖められたカーテンの表面が心地いい。
そして、すぐにくるであろうその時をウィンは静かに待った。これが、この町に帰ってから一ヵ月半の間続けている日課だった。
目覚ましい時計のベルが鳴り響く。それと同時にカーテンを素早く開けたウィンは、眠っているリリィに対して呼びかけた。
「起きろーリリィー。朝だぞー」
「んむ。分かった……。起きる」
起きたリリィは、寝ぼけた状態の半開きの目のままでベッドから立ち上がり、なり続ける目覚まし時計のベルを止めた。
ふらふらとした足取りのリリィの先へと回りこんだウィンが、寝室の扉を開けた。いつも通り、洗面所へと向かうルートを確保する。
廊下へと出たあとは、その場に座り込んで寝てしまわないように静かに後ろからついていく。洗面所で顔を洗えば、後は自分でちゃんと動けるようになる。
緊急の時はすぐにでも起きて動くことのできるリリィだが、日常においてはこんな感じだった。
「おっと」
いきなり足を止めたリリィ。それに合わせてウィンも止まる。
どうしたものかとウィンが思っていると、振り向いたリリィは無言でウィンに抱き着いてきた。その胸に顔を埋め、満足そうな声を出す。
「えへへ……、ウィンだ~……。ウィン~……」
完全に寝ぼけた状態のリリィ。パタパタと嬉しそうに耳を動かすその姿はとても可愛らしかったが、いつまでもこんなことをしてはいられない。
「ハグならまたいつでもしてやるよ。早くしないと学校遅れちゃうぞ」
「してもらう……。うん、してもらうし、遅れるのは、遅刻はだめ……。頑張る」
その頭を静かに撫でられたリリィは、少し残念そうにしながらも、再び洗面所へと歩き出した。
ようやくたどり着いた洗面所で、手早く顔を洗い始める。今日も特に問題なくいけそうで、ウィンは安心していた。
本来であればこの一連の動きはミアがやっていたものだったが、この町に帰ってきてからはウィンが引き継いでいた。
騒動解決後、半月ほど首都でレインを手伝い、やるべきことを済ませたウィンはリリィとともにディアンへと帰ってきた。その時の町の皆のにやにや顔を今でも鮮明に思い出すことができる。
診療所は少し増築されていて、1階の個室と2階の寝室が増えていた。帰ってくるウィンとリリィのためだというのはすぐに理解ができた。
借り家から住まいを移し、ステイシー家と一緒に暮らし始めたウィンは、この小さな町の一員として認められて有意義な生活を送っていた。この平穏な時間がいつまでも続くようにと、ウィンは願っている。
※
「「「「ごちそうさまでした」」」」
ミアが用意してくれた朝食を食べ終え、その場にいる全員が手を合わせて言った。
食器を片付けた後、リリィは自室に荷物を取りに行った。ウィンは台所でミアと一緒に食器を洗い、クリムはお気に入りのニュース番組を見ていた。
洗い終わったぐらいでリビングへと戻ってきたリリィ。それを見たウィンは洗剤の泡にまみれた両手を水で洗い流す。
「それじゃ、送ってきますね」
「行ってきまーす」
「はーい。気を付けてねー」
「行ってらっしゃい」
2人の送り出しを背に受けながら、ウィンとリリィは診療所から出ていった。
外に出ると、気持ちのいい朝日が町を照らしていた。快晴の空の下で、制服姿のリリィをウィンは抱き上げた。
「きょ、今日はこの状態で行くの?」
「ああ。駄目か?」
「い、いや、駄目じゃないけど、少し恥ずかしいなって……」
所謂お姫様抱っこ状態。その様子を少し離れたところで町民たちが微笑ましく見守っている。
平日の日課の1つが、リリィの送り迎えだ。以前はランドが自家用車でプレザントまで送っていたが、今はこうしてウィンが担当している。
瞬を利用した移動で、プレザントにあっという間に到着することができる。新世界と共鳴しているので、魔力の消費なども全く心配する必要がない。
「朝からお熱いことねー」
「あ。おはよー、ツバキ」
「ええ、おはよう。それじゃあ失礼するわ」
診療所の上空から舞い降りてきたツバキがリリィの中へと入っていく。夜から朝までの間は上空にていつも町を見守ってくれているのだ。
非常に頼もしいのだが、たまに我慢できなくなって夜這い同然に擦り擦りをしに来ることがある。しかしながら今でも鍛え続けてもらっているので拒否ができず、その度にリリィは困っていた。
準備が整ったことを確認し、ウィンはその場で深呼吸をした。走り出そうとした時、リリィはその腕をウィンの首にまわした。しっかりと掴まるための行為だったが、体が密着したことでウィンの鼓動が早くなっていく。
顔を少し赤くしながらも走り出し、あっという間に学校の目の前へと到着した。周囲の目線が集まる中、ゆっくりとリリィを下ろす。
「ありがと、ウィン。いつもの時間に迎えをよろしくね」
「あ、ああ」
「どうしたの? 少し顔が赤いよ?」
「いや、なんでもないよ。それじゃ、いつもの時間にな」
お互いに笑顔で別れ、ウィンは診療所の前まで戻っていった。
首元に、そして胸のあたりに密着したリリィの体温が残っている。自分からやったお姫様抱っこだったが、今更になって少し後悔していた。胸の鼓動が収まらない。
今までに何度も抱き合ったりしたこともあったが、これまでとはまた一味違う感覚に、ウィンはその場で1人で身もだえしていた。
「いたいた。おーい、ウィンー!」
「あ、おやっさん」
診療所に入ろうとしたウィンに、町の小さな工場の経営者の『ハリー・グラス』が声をかけてきた。
「すまんな、予定よりも少し早いが手伝いに来てくれないか? 相変わらず人手が足りなくてな」
「任せてくれよおやっさん。すぐに準備するから待っててくれ」
今日はハリーの工場で手伝いをすることになっていたウィン。この町の役に立てるのであれば、何でもする気があった。
ウィンは急いで診療所の寝室兼自室に必要なものを取りに行った。荷物をまとめる最中、この町の生活を心の底から楽しんでいることに自分自身でも気づいた。
本当に、本当に楽しい。リリィがいて、自分を必要としてくれる人たちがいる。ウィンは今の自分の人生に喜びを感じていた。
ミアとクリムに工場へ行くことを手短に伝え、ウィンは診療所を後にした。その耳に、ニュース番組の速報が聞こえることはなかった。
『たった今、ゴウシュウの首都『キャベラン』にてテロが発生したとの速報が入りました。このテロはレギオンズによるものだと思われ――』




