第五十三話 絶望邪神像(後編)
「……ロンギヌス?」
「あなたたちが消したログネスと同じ家系。そんなに怖い顔しなくても大丈夫。今すぐにあなたたちを殺す気なんてないわ」
笑顔のまま、イブは取り出した2つカップにティーポットを傾けて紅茶を注いでいく。良い香りが周囲に広がった。
どこからともなく追加された椅子に座るようにイブは促す。その様子に警戒しながらも、2人はゆっくりと腰かけた。
先ほどまで落下していた不気味な黒い空間とは正反対の清らかな空間。そしてロンギヌス家の一族であるイブ。不可解な状況に2人は戸惑いの心を隠せなかった。
「あなたたちのことはログネスを通して見てた。私にとって、絶望邪神像にとって天敵だというのはすぐに理解できたわ」
「それじゃあ、もしかしてあんたが……?」
ウィンの驚いたその表情に、イブは微笑む。
「私は邪神と負の感情の依り代となり、この絶望邪神像の中核となった存在。所謂心臓ね」
それを聞いた瞬間のレインは速かった。立ち上がり、格納方陣から取り出した実弾装填済みのオロチを向け、迷うことなく撃つ。それが直前で無力化させるのを確認し、今度は送魂銃を2割程度の力を溜めて撃つが、それも完全に無力化された。
不意打ちに近い攻撃の全てを受けきったイブは、平然としている。そればかりかウィンとレインに対して微笑みを絶やさなかった。
その温かい笑顔が不気味に感じられた2人。どこかで見たことのある気がした。思い返した2人は、イブのその表情が灰色の体色の絶望邪神像のあの歪な笑顔にどこか似ていることに気が付く。
イブは静かにティーカップを傾け、その中にあった紅茶をすべて飲み干した。自らの分をティーポットから追加していく中、その微笑みが2人に対して向けられる。
「おかわりは十分にあるから、遠慮はしないでね」
2人の敵意に全く動じることのないイブ。余裕に満ちたその雰囲気はウィンとレインを恐怖させた。
ティーポットを置き、固まっている2人に対してイブは話しかけてくる。
「知りたかったのよ。劣悪種の中でも抜きん出たあなたたち2人から、何故この存在価値の無い世界を守ろうとするのか」
笑顔のままだが、その口から出てきたのはウィンたちや今世界で生きる人々のことを徹底的に見下している発言だった。
しかしながら、その雰囲気からは邪気が全く感じられない。本人からしたら、それは取るに足らない素朴な疑問なのだろう。
微笑みながら待つイブに、ウィンが返答する。
「新しく生まれたこの世界で生きていたい。一緒に大切な人と過ごしたい。たとえ滅びが決まっていたとしても、それは過去のこと。今を生きる人たちの権利を蔑ろにしてまで世界を滅ぼそうとするあんたたちの一族は間違ってると思う」
「……模範解答ね。所詮は劣悪種か。もっと興味深い意見が聞けると思っていたから、残念だわ」
拍子抜けした様子のイブはその場でため息をついた。苛立ったウィンとレインは膝の上に置いた拳を強く握りしめる。
眉間にしわを寄せながら、レインが問いかける。
「そういうあんたたちだって、創造主とかいうやつの言いなりなんだろ。一体何なんだ、その創造主ってのは」
「『創造主』は絶対的な存在。私たちを遥か彼方で見守り、世界を正しい方向へと導いてくださるわ」
「名前はないのか」
「創造主は創造主よ。それ以下でもなければ、それ以上でもない」
解答になっていないその返答に、レインはさらに苛立ちを募らせる。その様子を見て、イブは楽しそうに笑っていた。
その後、爽やかな風が吹き抜けたところで、何かを思い出したイブが少し表情を曇らせた。
「元はと言えば、創造主の御心を知ることのできる私たちの所有物である『巫女』の裏切りが歪みの始まりだったわ。その巫女と彼女を誑かした『男』が再び巡り合うように転生したのも、とても不愉快だった」
「……『巫女』? 男?」
今まで聞いたことのないことが語られ、2人は首を傾げた。発狂したログネスの口からも、そういった存在のことは語られていないはず。
考え込む2人の表情に大体を察したイブは、笑った。
「まさか、自分のこと気づいてないの? あなたたちがその『男』で、あの狐耳の劣悪種が裏切った『巫女』だったのよ」
笑うイブの目の前で、何が何だか理解できずに硬直する2人。
「確かに、あなたたちは巫女と違って見た目が全然違うし、魔力にも差異があるから気付けなかったかもね。魂はそのままだから、私はすぐに分かったわ」
「……あんた、何でそんなことを知ってるんだ」
そのウィンの疑問に、イブは楽しそうにしながら答える。
「私はアダムスの妻であり、妹。偉大なる彼を支えることが私の人生であり、喜び。彼のために私は絶望邪神像になった。私の大事なアダムスを邪魔したあなたたちのことはよく覚えているわ」
温かなその笑顔が歪なものへと変化していく。空が雲で覆われ、木は急速に枯れ始める。
血なまぐさい香りが周囲に漂う。木の周りは焼け野原となり、その地面から真っ黒な人の形をした何かが無数に沸いてきた。
その何かは木の周辺を取り囲み、苦しそうな呻き声を上げ続ける。戦慄した2人は立ち上がり、イブを睨み付けた。
「意見も聞けて、お話も出来たけど、気分が萎えちゃったわ。本題に行きましょうか」
不気味な笑みが2人に対して向けられる。立ち上がったイブは、2人の周囲をゆっくりと歩き始める。
「私は2大国を攻めた時点で世界を滅ぼすだけの力はもう手に入れていたの。カダリアに来たのは、ログネスの指示に従って来ただけ。その気になればいつでも世界を崩壊させられるわ」
「それならあんたも爆発して消えるんだろう?」
「いいえ、爆発なんてしないわ。それは力の及ばなかったログネスが見た偽りの情報。私のことを本当に使いこなせるアダムスと同等の力を持っていなければ、本当の結末は見えないようになってるの」
レインの問いに、イブは笑いながら答える。
目の前まで来たイブは2人の目の前に立つ。その姿に、2人は驚愕する。
顔が無かった。綺麗に整った美しい顔があったそこには絶望邪神像と同じ灰色の肉片がうごめき、歪な目と口を形成する。
気持ちの悪い笑みが悲しみに暮れるものへと変わり、さらに変化を遂げたそこには無数の苦悶の表情が現れては消えるのを繰り返していた。
やがて形成された口から、イブの声が聞こえてくる。
「集約した力を世界の核へと放ち、粉砕する。粉々になった世界を吸収して、私は創造主の御心に反する別の世界に天罰を下しに行く。これは、私が愛するアダムスが望み、私に与えてくれた使命」
「お前をここで野放しにすれば、他の世界にも被害が出るってのか」
「天罰よ。まあ、あなたたちがこの世界に生れ落ちる前にも、私は何度も作られたんだけどね」
ウィンに返答しつつ、イブはため息をついた。
「この世界が構成された後、これまでに3度、アダムスの残した遺産からロンギヌス家によって私は製造された。でも、その度にギリアムとかいう男に成長を遂げる前に破壊されたのよ」
「ギリアム? それってレギオンズのギリアム・ウォーケンのことか!?」
頷いたイブ。聞き覚えのある名に、ウィンは驚いた。
あの男が絶望邪神像を何度も破壊していた。一体何のために。
「破壊されたとしても、私はロンギヌス家の血をもつ者たちからの自動的に情報を受け取れる。そして、ロンギヌス家の血を持つ者がいる限り、私は何度でもこの世界に産み落とされる可能性を持ってるの」
「体が存在しない間も記憶続いてるのか?」
「もちろん」
楽しそうな声が聞こえてくるが、それ以外の顔の部分はひたすら不気味にうごめき続けている。
「どういうわけか、ログネスの時になってギリアムは協力することを持ち掛けてきた。今になって考えれば、それはあなたたちの力を開花させるためだったのかもね」
「俺たちの力を……」
施設で戦った時も、ギリアムはこちらを試すように戦っていたことを思い出す。しかしながら、引き出すためとはいえこんな大惨事を引き起こすことは許されることではない。
複雑な心境の2人に、イブは静かに言った。
「でも、その力を開花させたあなたたちでも、私を倒すことは不可能。それはあなたち自身もよく分かってるはず」
その指摘に、2人は言い返すことができなかった。ここまで成長を遂げ続けたが、それでも絶望邪神像に、イブに勝てる気がしないのは間違いなかった。
悔しそうなその表情を見て、イブは笑う。2人はただ睨み付けるしかない。
イブが両手を空へと掲げる。すると、2人の体が浮かび上がった。驚いている2人に対し、イブが告げる。
「抗ってみなさい。私に唯一歯向かうことのできるその能力で。あなたたちを消し飛ばした後で、ゆっくりと世界を滅ぼしてあげるわ」
自信に満ち溢れたその声を聞きながら、2人は上空へと吹き飛ばされていった。
広がっている空間から不気味な空間に突入し、上へ上へとその体を押し上げられる。
能力を行使しても何もできず、2人は成す術もなく押し上げられていく。その背中に、楽しそうなイブの声が聞こえてきた。
――地獄のような終焉を
――誰もが苦しむ終焉を
――絶望しかない終焉を
――滅ぶべき世界のため、私は歌う
――全ては創造主の御心のままに
――讃えよ、畏れよ。滅ぶ世界で咽び泣け




