03 出頭命令
――新暦195年 7月 13日(水)
辺境の町『ディアン』・診療所
13:20
「――ですが、このような状た――では」
「すぐに済み――ん心ください」
すぐ近くでの会話が途切れ途切れで聞こえてきたところで、ウィンの意識が覚醒し始めた。
ぼやけた視界に映ったのは堅そうな岩盤の天井ではなく、温かみのある白い天井。
自らが生きていることを確認したウィンは、心の底から安堵する。見知ったその天井は、診療所のものだとすぐに理解できた。
「ウィン?」
「……おお、リリィか」
ウィンの横たわるベッドのすぐ横で、大きな耳を垂らしたリリィが心配そうにこちらを見つめていた。、
体全体の痛みはなくなっていた。恐らくランドとリンドウがここまで運んでくれて、リリィたちに治療をしてもらったのだろう。
坑道最深部での出来事が脳内で呼び起され、よく生き残ることができたとウィンは横になったままで苦笑いする。
しかし、意識がはっきりしてくるにつれ、ウィンは違和感を感じ取った。いつもは消毒のような香りが漂うはずの診療所から、あり得ないにおいがする。それも、自分の体から。
「リリィ、その……臭うよな」
「……うん。お父さんが体を拭いてくれたけど、体に染みついちゃったみたいだね」
あの化け物の内容物の異臭がまだ自分の体から発せられている。自分の鼻でもわかることから考えても、相当な臭いなのだろう。
早くシャワーを浴びたい。そうウィンがため息交じりに考えていた横で、リリィの腹の音が鳴った。頬を染めて恥ずかしがるリリィに、ウィンは笑いながら話しかける。
「無理せずに飯食ってきたほうがいいぞリリィ。お前の食い意地はけっこうすごいからな」
「だ、大丈夫だよ。まだ患者さんもいるし、ウィンだってまだ起きたばかりだから」
「その患者さん治す本人が倒れたら意味がないだろー。しかもそれが空腹によるとかいったら笑えないわ」
「むう……、わかった。じゃあご飯もらってくる。ウィンの分も持ってくるから待ってて」
「了解。頼んだぞー」
少しむっとしながらも、ウィンが無事に起きたのが嬉しかったのか耳を機嫌が良さそうにパタパタと動かすリリィ。可愛らしい様子のままで立ち上がると、扉へと向かった。
その後ろ姿を見送ろうとしたウィン。だが、リリィが開くよりも早く扉が開き、スーツ姿の男が入ってきたことでその表情が強張る。
突然現れたその男に戸惑いつつも、リリィは問いただした。警戒するかのように、耳がピンと立っている。
「すみません、どなたか存じ上げませんが何の御用でしょうが? まだ彼は面会できるほど回復は――」
「申し訳ありません。すぐに終わりますので」
リリィの制止を押し切り、男は奥へと進んでいく。男は先ほどリリィが腰かけていた椅子に座った。
深々と被った帽子のせいで表情が見えず、不気味な雰囲気を漂わせる男は懐から取り出した名刺をウィンに差し出した。
「政府直属調査機関『サーチャー』第4南東支部所属の調査員『ウィルソン・カーマイン』と申します。本日は予定通り現在名称『ウィン・ステイシー』様の身元の確認、照合に参りました」
「は、はあ。そりゃー、えっと、ご丁寧にどうも……」
とても丁寧であるがその口から吐き出される言葉には全く感情が込められておらず、見た目と相まってさらに不気味さが強調された。
異質な存在に困惑するウィンとリリィ。そこに遅れて申し訳ないといった表情のランドとリンドウが入ってきた。
恐らくウィンが起きるときに聞こえてきた会話は、あの2人がウィルソンを止めようとした時のものなのだろう。しかし上手くいかず現在に至ったということなのだろうか。
「本来であればあと2人、調査員と護衛の者がおりましたが、道中にて不明勢力の襲撃に会い恐らく死亡しました。しかし、今回の調査は確実に且つ迅速に行う必要があったため、私だけでもこの地へ参りました」
「……今何と言いましたか? 襲撃? 死亡? ウィルソンさん、我々はそのような報告は受けていません!」
「道中に関しての質問はありませんでした。ですので、あなた方にお伝えする必要はないと判断した所存です」
ランドの問いかけに対してウィルソンは淡々と返答した。今ここにいるウィルソン以外、事態に付いてはいけない状態だった。
人が殺されている。しかも道中でとなればここまで生き残ったウィルソンを追ってくる可能性は十分にあり得る。ランドはリンドウに対して静かに耳打ちすると、リンドウは町の出入り口を目指して足早に部屋を出て行った。
周囲が静かになったのを確認すると、ウィルソンは懐から折り畳み式の機材を取り出した。明らかに入れることはできない大きさから考えて、スーツの内部に格納方陣があることが考えられた。
スリープ状態を解除し、先端が吸盤のようなものになっているコードを機材から伸ばして指示を出した。
「ウィン様、右手をお出しください」
「は、はい」
その指示通りウィンが右手を差し出すと、その吸盤を右手の甲へと取り付けた。
「――っ!?」
小さな電流のようなものが、体全体を探るように駆け巡った。あまりにもいきなりだったので少し声を出してしまう。痛みは感じなかったが凄まじい違和感があった。
「ウィン!?」
その瞬間を目にして慌ててリリィが近づこうとしたが、ウィルソンがそれを遮る。まるで氷のように冷たいウィルソンの青い瞳を見てしまい、リリィはたじろいだ。
しばしの間の後、ウィルソンは吸盤を取り外してコードを機材へと戻した。そして機材の小さなモニターに表示された情報を読み取ってそれを手早く懐に戻すと、ウィンに真っ直ぐ向き直り、告げた。
「照合の結果、貴方様は『レイン・クウォーツゲル』様であることが確認されました。レイン様、もといウィン様はこれ以降の生活の行方に関わらず、首都にある防衛兵団本部への出頭が命じられています」
それを聞いてその場にいる全員が固まってしまった。名前が分かったことよりもその後のことで驚いたのだ。
首都への出頭。ここから車を休むことなく走らせたとしても4日はかかる。余裕をもって考えたとしたら約1週間はかかりそうだ。転移術を使えばまだ負担は減りそうだが――
「尚、今回の出頭の道中にて転移術といった長距離短時間移動術の使用は禁止とされています。こちらの端末をお持ちの上、陸路にてお越しくださいとのことです」
「マジっすか……」
「マジです。ですが、同行者の随伴は認められています。それほど苦にはならないかと」
会話の中で受け取った端末を見ながらウィンはうなだれた。ただでさえつらい事故に巻き込まれた直後にこの要請は心にも体にもきた。
自分の名前が知ることができたのは嬉しかった。だが、それ以外のことを伝えてくれないのはなぜなのだろうか。
「ウィルソンさん。名前以外の情報は――」
「公表、または伝えることは禁止とされています。これは上からの命令ですので絶対です」
「そこをなんとか」
「絶対です」
「あっはい」
これ以上の情報を聞き出すのは無理そうだとわかりウィンは早々に諦める。微動だにしないウィルソンの圧は中々のものだった。
もしかして前の俺は何かまずいことをしてしまったのだろうか。それとも結構すごい人物で、急いで帰らなければならないほど凄い人物なのだろうか。いくつもの疑問や不安が頭の中で生まれては消えてを繰り返していた。
それを心配そうに見つめるリリィと、深く考え込んでいるランド。その重苦しい雰囲気の中、早くも帰り支度をしながらウィルソンは言った。
「調査、そして報告は完了しました。お疲れ様です。ではこれにて私は帰りますので」
周囲と本人を一切気にすることなく帰路に就こうとしたウィルソンを扉の目の前でランドが止める。
その行動に疑問と不満を持ったのか、冷たいまなざしを向けて自分よりも大きい存在に対し抗議を始めた。
「私は急がねばなりません。道を開けてくださいませんか?」
「いや、まだ聞きたいことがあります。調査員殿。いろいろ分からないことが多すぎる」
「私に残された時間は3分程度しかありません。この狭さ、あなた方との距離では転移ができないのです」
残されているのは3分。この言葉を聞いた瞬間、ウィンとランドは今までの会話の中では見せることのなかった焦りの感情をウィルソンから感じ取れた。
何故かと問いただそうとしたランドよりも先に、機械的な口が開いた。
「襲撃から逃れるため転移を繰り返した結果、犯人と思われる存在は転移等をせずに自力走行でこちらを追尾してくるのを確認しました。なのでわざと目的地であるこの町から離れたところへ転移し、十分に引き付けたところでこちらにくることで距離を稼ぎました」
ウィルソンは襲撃からの行動とその後を丁寧且つ迅速に説明していく。こちらに入り込む隙すら与えずにそのまま続ける。
「ここに到着した後は迅速に目的を果たし、追尾してくるであろう犯人がここに到着するまでにこの町を離脱。そのまま『アナリス』にある防衛兵団南西支部に逃げ込むことを予定していました」
カダリア南西部に位置する都市アナリス。海にも面しているので国内だけでなく海外からも多くの物資が運び込まれて数多くの取引が行われており、商業都市としてかなり発展している街だ。
そこには首都と同規模の防衛兵団の拠点がある。確かにあそこであれば警備も厳重であり、戦力もこの国で随一のものがそろっているはずだ。
「ここにやってきてレイン『隊長』殿が戦力的に健在であれば事はここで済むと考えていましたが、この様子ではそれは厳しいとわかり前述した予定に切り替えました」
補足のようにそうウィルソンは付け加えた。だが、その場にいる3人はその説明の中の一部分を聞き逃さずに聞いていた。
「……レイン『隊長』殿?」
「……口が滑りました。忘れてください」
本人も相当焦っているのか、してはいけないミスをしたようだ。それほどまでに早くここを去りたいのだろう。
自らの過ちを反省しているのか、困惑しているのかわからないがウィルソンは小刻みに体を震わせていた。表情に変化はないが顔以外の体全体に変化が出てしまうようだ。
もしかしたらまだ何か聞き出せるかもしれない。ランドがさらに問いかけようとしたとき、ウィルソンの震えが止まった。そして、静かにつぶやく。
「遅かった」
次の瞬間、窓ガラスが割れて大きな何かが勢いよく飛び込んできた。ウィルソンとランド方へと向かったそれは扉に直撃し、轟音とともに粉砕して廊下の壁に突き刺さる。
2人の血はないことから考えてどうやらウィルソンがまとめて転移したようだ。部屋に残されたのはウィンとあまりに突然のことに腰を抜かしてその場に座り込んでしまったリリィだけだった。だと思いたかった。
「何……、あれ……」
震えて今にも泣きだしそうなリリィが窓の方を指さして言った。その方向を見ると、窓の枠のところに立ち座りしている人型の何かがいた。
「だめ、また、にげられた。でも、あたらしいの、いる。やらなきゃ、そうだ、やらなきゃ」
生きているとは思えない真っ白な肌。異様に痩せ細った体の上にはボロボロに破れた防衛兵団の軍服を身に着け、手の爪は鋭く無造作に伸びていた。そしてもっとも印象的なのは、目がないこと。あるはずの眼球はなく、真っ黒な2つの空洞が顔に空いているようだった。
男だったと思われるその何かは、小さくぶつぶつとつぶやきながら顔を廊下の方からリリィの方へと向ける。
「あ……、や……」
動きたくても体がいうことを聞いてくれず、リリィはただ眼前に佇む怪物に恐怖することしかできなかった。
「だい、じょう、ぶ。すぐ、しぬ、くる。こわく、ない」
そういった後、怪物はリリィに向けてとびかかった。少女の悲鳴があたりに響き渡る。
肉が断ち切れる音がした。すさまじい音とともに。2回、3回。まだ続く。何度も何度も何度も。撃ち込まれたそれが怪物を壁に貼り付けにしている。
無我夢中だった。気づけば右手の手元が格納方陣から取り出すときに発生する光に包まれ、ミミズの化け物を倒したときと同じ大型拳銃を握っていた。
何故か脱臼しない。というか痛みもない。今はとにかくこいつが動かなくなるまで体中を撃ち続ける。
「あ、え、ば。く、な、で」
そうつぶやくと怪物は動かなくなった。ウィンは撃つのを止めて立ち上がる。
一瞬立ちくらみに襲われるも、なんとかリリィの方へと歩み寄った。状況が理解できず、怪物の血にまみれて呆然としていたリリィに話しかける。
「立てそうには……ないな。大丈夫かリリィ?」
「……ウィン?」
ウィンの声を聴いて安堵したためか、震えながら大きな瞳からぽろぽろとリリィは涙を流し始めた。
まだ自力で歩くことはできそうになかった。しかしながらいつまでもここにいるのはまずい。ウィンはその震える小さな体を抱きかかえて診療所をの出口へと向かった。とりあえず悪臭には耐えてもらうしかない。
今いるのは2階。廊下を抜けて、リリィに負担がかからないようにゆっくりと階段を下りて行く。眼前に出口が見えた。あともう少しといったその時――
「ゆ、る、な、い。お、え、こ、す!!」
背後から聞こえてきた怪物の叫び声。あれだけ撃ったのにまだ動けるのかと驚きつつも出口へと走る。外へと出たところで階段を猛スピードで駆け下りてくる音が聞こえてきた。
「ランドさん、頼みます! ごめんリリィ!」
出口のすぐ近くにいたランドに向けてリリィを投げ渡した。予想外だったがランドはそれを何とか受け止めた。
間髪入れずに振り返り、出口の方へと銃口を向ける。そこにはすでにこちらに向かって飛びかかっている怪物の姿があった。
放たれた一撃は確実に仕留めるために頭部へと一直線で向かう。しかし、怪物は器用に空中で頭を逸らしてそれを避けた。衝撃破をものともせずに怪物はウィンへと向かってくる。
接近してきた怪物が目と鼻の先まで迫ったが、最小限の動きでそれをかわしたウィンは大型拳銃と同様にいつの間にか取り出した物を振り下ろす。
肉と骨を断ち切る感触が、その手に握られた赤熱する剣から伝わってきた。間髪入れずに怪物に大型拳銃による追撃を行い、胴体の部分を人がいないところへと弾き飛ばす。
地面に転がり落ちた胴体は土煙を上げながらも止まった。焼き切られたためか、首が繋がっていた部分から血液が噴き出してくるということはなかった。
「あ、な、し……」
そこから離れた地面に転がった怪物の頭部は、まだわずかに動いたその口を動かす。止めを刺そうとウィンが近づこうとしたところで、怪物は完全に沈黙した。
何故こんな動きができたのか。両手に武器を握るウィンは理解できずにその場に立ち尽くしていた。
「ウィン!」
呆然とするウィンの耳に、リリィの叫びが飛び込んできた。我に返ったウィンは、背後から何かが迫っていることを確認して急いで振り返る。
同じような怪物がいた。その鋭い爪が後少しでウィンの喉元に到達しようとしていた。これは無理だな。ウィンがそう考えた矢先、リリィが悲痛な叫びをあげた。
色々この1か月楽しかった。短い走馬燈が頭の中を過るのを感じながら、ウィンは静かに目をつぶった。せめて苦しまずにやってほしいと願いながら。
よく耳をすませば風の音が聞こえてくる。それによって揺れる木の葉の音も。しかしながらどうしたものか。臭い。それこそあの化け物の内臓物と同じ匂いがする。もしかして地獄に送られてしまったのだろうか。
できれば前の自分の所業よりも、この1か月を過ごした自分のことを考慮してほしかったと死神に文句をつけてみようとも考えた。
「――っ! くがっ!」
そんなことを考えていたら苦しそうにもがく声が聞こえてきた。
嘘です、すいません。ですから自分は少しでも楽な刑で頼みます。そうウィンは心の中で懇願した。まあ却下されるだろうと思いながら。
「あらあら~、どうしたの~」
フワフワとした女性声が聞こえてきた。まさか天国からの助けが来たとでもいうのだろうか。
声から予想すると美女であるのではあるまいかと期待するウィンの耳に別の声が聞こえてきた。
「……え!? レイン!? あんた生きてたの!?」
先ほどとは違う気の強そうな女性の声。というか、自分自身が生きていることにウィンは驚いている。死んだはずなのに。
瞼が開けられることに気づき、ゆっくりと開けてみる。眩しい日の光で少し目がくらんだが、信じられない光景が目の前にあった。
「こんにちは~。お久しぶりです~」
美女がいた。しかし肌は青白い。瞳と髪の毛は透き通るような綺麗な青で染まっている。スタイルも抜群。人間ではないだろうが、まごうことなき美女がいた。
そしてその背後には、空中に浮かぶ大きな水球に閉じ込められて声にできない悲鳴を上げている怪物の姿があった。
状況が全く理解できない。眼前には微笑み続ける絶世の美女。そしてもがき苦しむ怪物。困惑するウィンだったが、横から何かで頭をたたかれた。
「『ウンディーネ」に見惚れてんじゃないわよ! 心配してたんだからね!」
そこには長い赤髪を1つにまとめた長身でそこそこの美人な女性がいた。手には扇子を持っている。それでウィンの頭をたたいたのだろう。
生きてはいる。それはよかった。後は誰かこの状況を説明してほしい。ウィンはそう考えた。