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第四十三話 青年の奮闘宣言

 寄宿舎の屋上で、ウィンとリリィが向き合う。しかしながら、どんな言葉をかければいいか分からず、沈黙してしまう。

 予報外れの快晴の中、湿った空気を押し流すような強風が吹いた。その風に後押しされたように感じたウィンは、その場に勢いよく膝をついた。

 その様子にリリィが驚いていると、ウィンはさらに上半身を折って深々と下げた額を床に叩き付けた。そして、叫ぶ。


「俺は最低なことをした! 本当に、本当にごめん!」


 最大級の誠意を込めてウィンは謝罪した。それで許されるは思っていない。リリィとこれからも一緒にいたいと願う心がそうさせた。

 叩き付けた額からは血がにじむ。次の謝罪の言葉を考えるウィンだったが、それは予想外の出来事によって遮られた。


「……っふふ、良かった。いつものウィンだ」


 そういってリリィは笑い始めた。その様子に驚いたウィンは顔を上げた。

 一通り笑い、可笑しさと安堵でその目に涙を溜めながら、リリィは話し始める。


「ログネスが言ったように、また逃げちゃうかと思ったけど、安心したよ。やっぱり、ウィンはウィンだもんね」


「……つまり、どういうこと?」


 言っている意味が分からず、ウィンは首をかしげた。


「だって、私が知ってるウィンなら、そのこと謝って私とこれからも一緒にいてくれると思ってたから」


 優しく微笑んだリリィが言ったことに、ウィンは動揺した。少し手前の自分だったら、謝ることなく姿を消していたのは間違いないからだ。

 決心したとはいえ、逃げ腰の自分のことを思い出したウィンは口を開くことができなくなってしまった。

 視線を落としたウィンに、リリィは話し続ける。


「熊を追い立てて私を襲わせたっていうけど、絶対に守り通す気だったでしょ? 臆病者だからって、その心のどこかに『ウィン』はいたはずだよね」


 さらに距離を詰めたリリィは屈んで、ウィンと視線を合わせる。

 目と鼻の先で潤んだ瞳のまま話を続けるリリィに、ウィンは釘付けになった。


「そしてウィンは私を守ってくれた。もし、あの時ウィンが追い立てていなくても私は熊に襲われてたと思う。今の私がいるのは、ウィン、あなたのおかげ」


「でも……、俺は……」


「その後の一ヵ月、ウィンは追い立てたことや、それ以前の逃避行を忘れてたんでしょ? それなら、私と一緒にいた時のウィンは嘘なんかついてないし、何も悪くはない」


「何でそう言い切れるんだ。忘れてるからってそんな――」


 ウィンの言うことを遮るように、リリィは両手で震えるウィンの右手を握ってきた。

 小さいながらも温かいその手。優しさに溢れるその手に、ウィンの震えがさらに増してゆく。


「私が知ってるウィンは、明るくて、楽しくて、何があったって前向きで、たまに弱いところ見せるのが可愛くて、でも頼りになるところもたくさんある。そして、私と一緒にいてくれる、大切な人なの」


「……」


 何も返答することができない。それでも、リリィは止まらなかった。



「私はそんなウィンが大好き。我が儘かもしれないけど、これからも一緒にいてほしい。それでも、どこかへ行っちゃうなら、忘れないでほしい。ウィンのことを、あなたのことを愛していた私のことをたまに思い出してほしいな」



 一筋の涙がリリィの頬を伝う。透き通るほどの純粋なその心を向けられたウィンは、震えが止まった。

 

「ひゃっ」


 無意識のうちに眼前のリリィをウィンは抱きしめていた。いきなりの抱擁だったが、リリィが嫌がっている感じはしない。

 お互いの体温を間近で感じ、リリィは顔を赤くしていた。早くなっていく小さな鼓動をウィンは胸越しに感じ取っていた。


「ありがとう。必要としてくれて」


「こっちこそ、一緒にいてくれて本当にありがとう。ウィンがいない日常なんて考えられないし」


「それ、ちょっと依存強すぎじゃないか?」


「そうかも。でも、ウィンも嫌じゃないでしょ?」


「ああ。否定できない」


 お互いが思いあう相思相愛であることを確認しつつ、抱き合ったまま2人は笑った。

 不安に思っていた自分が馬鹿らしく思える。リリィの『ウィン』への好意と信頼は、ログネスから語られた真実ごときで揺るぐことはなかったのだ。

 寛大なリリィに深く、深く感謝しながら、ウィンはさらに強くリリィを抱きしめた。胸越しに感じられる鼓動がさらに早くなっていく。


「ケネスにも色々と助言されたんだ。俺は幸せ者なんだと思ったよ。こんなに俺のことを考えてくれてる人が周りにいて」


「うん。これからも頼ってくれていいよ」


「お言葉に甘えさせてもらうよ。よし、それじゃあ……」


 リリィとの抱擁を解き、ウィンはその場に立ち上がった。少し名残惜しそうな顔をしているリリィの目の前で、ウィンは快晴の空を人差し指を立てて宣言し始めた。




「俺、ウィン・ステイシーはここに生涯の奮闘を宣言します! もう逃げません、償いも頑張ります、リリィと一緒にいます! 以上!」




 分かり易くまとめ、高らかに行ったその宣言を床に座って見ていたリリィは小さく拍手していた。

 もう何の不安もなければ迷いもない。これからは、全力全開で『ウィン』という新しい人生を歩んでいく。心の中には今の空と同じように雲一つない爽快な青空が広がっていた。

 そして最後に気合を入れるため、リリィの目の前に勢いよく座ったウィンは、とあることを懇願した。


「リリィ、俺を全力で殴るかひっぱたいて欲しい。遠慮はいらないからな」


「うええ、本当にやるの?」


「ああ。これがリリィに対しての償いでもあるし、気合を注入するいい機会だしな」


「じゃ、じゃあ、行くよ」


「おう。ばっちこーい」


 リリィの右の平手が勢いをつけるために少し後方に向けられる。可愛らしいその手からの一撃を、ウィンは心を落ち着けながら待った。

 しかし、その時のテンションで動いているウィンは忘れていた。リリィはツバキに稽古をつけてもらっていたということを。

 勢いよく振りぬかれたリリィの右手が、ウィンの左頬に叩き付けられた。


「うぼうぉう!?」


「うわあ!? 大丈夫、ウィン!?」


 凄まじい衝撃だった。油断していたために身体強化術を行使していなかったので、もろにダメージが入る。口の中から飛び出していったいくつかの歯が、床にころころと転がっていった。

 真っ赤に腫れ上がる左頬。口からは出血が止まらず、歯が抜けたことも影響し、少々滑舌が悪くなってしまった。


「ゆひゃんしてたわ。ツハキのとっふんはまちかいなく成果がててるな」


「分かったからしゃべらないで。今治してあげるから」


 すぐさま行われたリリィの治療によって、ウィンは全快した。さすが、治癒術と再構成術の精度は抜群。抜けてしまった歯も元通り。


「ごめんね。本当に全力でやっちゃった。何でもするから許して」


「ん? 今何でもするって言った?」


「え、言ったけど……」


「じゃあ、その場で目をつぶってもらえるかな」


「……分かった。凄いね、さっきまであんなに沈んだ様子だったのに」


 リリィは渋々その場で目をつぶった。一体何をされるのか、少し怯えたように震えていた。

 しかし、何もしてこない。どうしたのか不安になっていると、唇に柔らかくて温かい何かが触れた。

 驚いたリリィだったが、目を開けることはなかった。それがゆっくり離れたところで、ようやく開いた。

 唇にまだ残っている温かさにリリィは頬を染めながら、ウィンを見た。


「ロマンチック要素の欠片もないことしたね、ウィン。これじゃあ女の子は喜ばないよ」


「マジか。個人的にはアリかと思ったんだけど……」


 照れながら頭を掻くウィン。嬉しそうに大きな耳を動かしているが、するのであればもう少し心の準備を整え、しっかりと雰囲気を作り上げてからしてほしかったとリリィは思った。

 恋に関して自らも不器用であることは自覚しているが、もう少しちゃんとしたいと思うリリィは恥ずかしがりながらも要求した。


「抱きしめながらもう1回して。出来るよね?」


「あ、ああ。さっきもしてたし、大丈夫だろ」


 とはいいつつも、先ほどは無意識のうちにやっていたためか、いざ意識しながらやるとなるととても恥ずかしかった。

 少し腰を曲げ、背伸びした小さなその体を抱き寄せる。座って抱き合っていた時よりも、さらに密着した感じがして、2人とも顔を赤く染めていた。

 吐く息の熱が感じられるほど顔を近づけた状態で、ウィンは言った。


「絶対にどこにもいかない。逃げない。頑張って幸せにするから」


「……じゃあ、誓いのキスを」


 静かに目を閉じたリリィとウィンはお互いの思いを確かめるように唇を重ねた。ゆっくりと離れた後、頬を染めて満足感に浸っているリリィにウィンは問いかける。


「もう1回する?」


「……後3回くらい」


「了解」


 その要求に応え、ウィンはリリィと再び唇を重ねる。

 2人きりの屋上。これまでに感じたことのない喜びと満足感に2人は満たされていた。






     ※






「――ああ、体が痒いっ! あんなもの見せつけられるなんて堪ったもんじゃないわよ! 末永く爆死しなさいよ、あの2人!」


 寄宿舎近くにある防衛兵団本部の屋上で、ツバキが2人の愛し合うその様子を見てもだえ苦しんでいた。

 お互いの絆がさらに深まったうえであのノリから発展していくのはツバキ的にはギリギリOK。しかしながら、いざ見せつけられるとなれば話は別だった。

 やはりインパクトが強い。あの子が幸せになってくれると考えると、嬉しくて涙を流してしまう。泣きながらもだえるその奇妙過ぎる様子に、隣にいたケネスが苦笑いしていた。


「ヤバいことになってんぞツバキ。厚化粧が涙で崩れて怪物みたいになってる」


「いいのよもう! これが泣かずにいられるもんですか! 何であんたは平気なの!?」


「いや、俺も嬉しいよ。あの2人が結ばれるのは、俺の悲願でもあるからね」


 そういってケネスは満足そうな笑みを浮かべる。ツバキはそれを見てようやく落ち着いたのか、もだえるのを止めてその場で深呼吸する。


「それで、今度はどうするの? またあたしたちに付いてくる感じ?」


「いや、俺はちょっとゴウシュウに行ってくる。どさくさに紛れて不穏な動きをする連中がいるから、それの様子見」


「なるほどね。なら良かった、あんたのこと知らないふりして旅するの大変だったのよ」


「その件に関してはマジですまん。まさか合流するとは思ってなかったんだ。ツバキ、日本周辺から離れようとしなかったから、付いてこないと思ってたんだよ」


 申し訳なさそうにケネスは両手をツバキに対して合わせる。それに対し、ツバキは腕を組んで不満げな表情をしていた。


「あの子がようやく現れたのに、感傷にいつまでも浸ってはいられないからね。ていうか教えてくれてもよかったんじゃないの? 彼女が転生したこと」


「マジですまんかった。こっちにも色々事情があったんだよ」


 ただひたすら謝るケネスに、怒り続ける自分が馬鹿らしくなったツバキはため息をついた。

 再び寄宿舎の屋上を見る。キスを終えた2人は照れながらも嬉しそうに会話している。そして、ツバキは横にいるケネスを見た。また涙が出そうになったツバキだったが、それを必死に抑えた。

 

「本当に、本当に幸せそうね……」


「ああ。彼女はようやく手に入れたんだ。思い人と添い遂げることができる体を」


 感慨深そうな表情のケネス。その雰囲気はこれまで演じてきた優男の面影はなかった。

 

「それじゃ、俺は行くよ。あの2人のこと、よろしく頼むぞ毒岩鉄」


「本名で呼ぶんじゃないわよ!」


「悪い、悪い。じゃーなー」


 ケネスだった青年は、転移術とは違う特殊な移動方法でその場から姿を消した。

 それを見送ったツバキは精霊体となって空中を優雅に浮遊しながら、寄宿舎の屋上へと向かった。化粧が崩れてぐしゃぐしゃになった怪物のようなその顔のままで。

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