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第四十二話 逃避の果て

 振り向くことができなかった。振り向きたくなかった。

 ログネスが言ったことは全て本当のこと。一切の嘘偽りのない真実。

 封印していた記憶があふれ出る力で蘇ってしまった。自分勝手で弱々しい、愚かな存在だということを思い出した。


「……ウィン?」


 背後から投げかけられるリリィの呼びかけに、応えることができない。その資格は自分にはないと考えている。

 生きるため、欲望のために利用されていたことを知ったリリィが自分に対してどんな反応を見せるか、怖くて怖くて仕方がない。

 全身が震えている。リリィだけでなく、他の皆もこちらを向いているのを感じ取れた。もう、ここにはいられない。

 またたきを利用した高速移動で背後にいた皆の顔を見ることなく、ウィンは自らの能力を行使しながら全力で逃げ出した。


「ウィン、待って!」


 部屋を出る際にリリィの叫び声が聞こえてくる。それが怒りによるものか、悲しみによるものかの判別は、今のウィンにはできなかった。

 追いかけてくる気配もあるが、力を行使しているウィンの魔力は他人には感じ取れないため、徐々にその差が開いていく。施設から飛び出して首都の中を駆けるときにはもう追跡してくる気配はなかった。

 何もかもから逃避を続けるウィンの頭の中に、気持ち悪い笑みを浮かべたログネスが浮かび上がる。



『最高に愚かな臆病者よ』



 消滅の間際に放たれたその一言が、頭の中で何度も、何度も、何度も、何度も響きわたる。

 すれ違う人の全てが自分を非難しているように感じながら、無我夢中でウィンは走り続けた。

 どこに逃げればいい。どうすれば逃げられる。どうすれば生きることができるのか。焦る心はその答えを見つけることに必死だった。

 





     ※






 首都の見渡せる高い場所、ウィンは防衛兵団寄宿舎の屋上にいた。

 普段は立ち入り禁止であり、来たこともなかったその場所から首都を見渡していた。

 眼下では慌ただしく動く団員たちの姿が見える。そういえば、絶望邪神像が後1時間もしないうちに上陸するはずだ。それの対応で急いでいるのだろう。

 だが、もう自分には関係のないこと。この国から逃げることを決めたウィンは、最後にこの首都の全貌を確認してから旅立つことにしていた。

 下町でのアリーシャとの出会い、両親が殺されたことなど、楽しかったことや悲しかったことがたくさんあったこの街との別れにウィンは名残惜しく感じるが、ここにいることは出来ないと自らに強く言い聞かせる。

 フェンスから手を離し、ウィンは静かに振り向いた。



「やあ。1日ぶりだね、ウィン」


「……!?」



 ケネスがいた。死んだはずである存在が、目の前にいる。

 彼の死を作戦会議の後にウィンは聞かされていた。そう、死んだはずなのだ。


「あ、大丈夫だよ。ほら、幽霊とか悪霊的な感じじゃないから。触ってみてよ」


 笑顔のケネスはそう言ってウィンの手を取り、自らの手を触らせた。温かい体温が感じ取ることができる。

 訳が分からずに、混乱するウィン。その様子を見たケネスは笑っていた。


「そりゃあ驚くよね。死人がいきなり現れれば。でも、ちょっと君と話したいことがあって来たんだよ」


「……悪いけど、また後で会った時じゃ駄目か? 俺、急いでるんだけど……」


 楽しそうにしているケネスには悪いが、一刻も早くここから立ち去りたい一心のウィンはケネスを急かした。

 いつもとかけ離れたその沈み込んでいるウィンに、ケネスは静かに言った。



「また逃げるの? その先にあるのはそれに見合った道しかないと思うけど」



 ケネスが言い放ったことは、ウィンの心に深く突き刺さった。

 だとしても、ウィンにはそれ以外の方法は思いつかない。こんな自分にやれることは限られているはずだ。


「じゃあ、お前はどうしろっていうんだよ」


「それは君が決断しなくちゃ。他人の判断に身をゆだねちゃ駄目だよ。それは後悔した時の逃げ道になっちゃうからね」


「……勝手なこと言ってんじゃねえよ!」


 決断した。だが、こうなった。これ以降自らの意思で決めていくことに、ウィンは嫌気がさしていた。

 こんな状態の自分の目の前に現れたのだから、てっきり導いてくれるのかと心の中で期待している自分がいた。しかし、それを裏切るようなことを言うケネスに対して不満が爆発した。


「人生から逃げ続けた俺に残されてるのは、これからも逃げ続けることだけだ! お前も俺の立場になれば分かる! もう、嫌なんだよ、生きているのが、でも死にたくない、そんな俺は逃げるしかないんだ、全てから!」


 屋上に悲鳴にも聞こえるウィンの叫びがこだまする。もうこの声に気づいて誰かがやってきてもかまわないとウィンは考えていた。

 その言い分を聞いたケネスはきょとんとしていた。驚いた様子でもなければ怒っている様子でもない。ただ、目の前にいるウィンが不思議でしょうがないような様子だった。

 少し考えた後、ケネスは話し始める。


「ちょっと気になることがあるんだけど、少なくとも『ウィン』は逃げてなんかいなかったと思うよ、僕は」


「……え?」


「実は、君のことは生まれた時から見続けてたんだ。その中で、『ウィン』としての人生を歩み始めた君は、逃げるどころか自分の人生を受け入れていたと思うけど。僕の思い違いかな?」


 その言葉には嘘は感じられない。というか、これまでずっと見続けていたということを聞いて、さらに驚いたウィンは言葉が出てこない。

 唖然とするウィンが面白かったのか、ケネスは少し笑いながら続けた。


「その方法がどうであれ、君は新しい人生を始めた。そこでこれまでとは違う人生を送ることができていた。逃げることもなく、そこにいる大切な人と一緒にいるための明るい希望を持つ人生をね」


「……でも、俺はリリィを危険にさらした。そんな男が許されるとでも?」


「逆に考えればいいのさ。それは運命的な出会いを演出するための方法の1つだったと」


「……そのポジティブ思考は尊敬するよ」


 呆れたように、ウィンは苦笑いした。それを見たケネスは笑顔になった。


「やっと笑ったね。暗いことを考え続ければ、人間は必然的にその行動もネガティブなものへと変わっていく。だから、気楽に行かなきゃ疲れちゃうよ?」


「そんな……、もんなのかねえ……」


 不思議だった。逃げることしか頭になかったウィンの心に若干の光が差し込み始めていた。

 確かに、言われてみれば『ウィン』としての人生は逃げることがほとんどなかったのを思い出した。何か問題がぶつかっても乗り越えて行こうとする強い思いがあった。

 リリィが呪詛で苦しんでいるときもそうだ。それ以前の自分であれば、間違いなく責任に押しつぶされるのに耐えられずに逃げ出したに違いない。でも、『ウィン』は違った。自らを犠牲にしてでもリリィを救おうとする覚悟があった。

 これまでの自分とは正反対の性格の『ウィン』。その姿は、自分がそうでありたいという理想を具現化したような存在だった。


「『ウィン』も間違いなく君自身。だったらそれでいいじゃない。その新しい人生を君は望み、そうありたいと知らず知らずの内に決断していたんでしょう?」


「俺が……、そうか、俺は……」


「誘導尋問しているわけじゃないよ。僕のここまでの助言を聞いて、今の君に決断してほしいんだ。これから、どうするかを」


 そういってケネスは優しく微笑む。ウィンは何故か親子や兄弟に近い感覚をケネスから感じ取っていた。

 生まれた時から見ていた。少し気持ち悪い気もするが、彼はウィンを、レインを誰よりも知っていると考えていいだろう。

 ウィンは決断した。これから自らが進んでいく道を。『ウィン』であれば進むであろう道を。




「俺はこれからも『ウィン』として生きる。もう、迷いはしない」


「……うん。それが聞けて、僕は満足だよ」




 感慨深そうにケネスは何度も頷いた。喜んでいるその様子を見て、ウィンは笑った。

 決断はした。もう逃げることはしない。真正面からやれるだけやって生きていく。

 しかし、そんな中でも1つだけ不安があった。リリィのことだ。施設を飛び出してきてしまったので、話をすることができなかった。一体あの話を聞いて、自分のことをどう思っているのだろうか。

 それを察したのか、ケネスは両手を握ってウィンの前へと突き出した。それに力を籠めると、勢いよく右手を上げて左手の手のひらをウィンに見せつけた。


「はい、手品~にゃっ! って言われても、このネタ分かんないよね」


「マジかよ、これは……」


 その手のひらにあったのは、小さく加工された緑色の魔鉱石が特徴的なネックレス。ウィンのために作られたリリィのお手製のお守りだ。

 これがここにあるということは、リリィにはウィンがここにいると分かっているはずだ。でも、どうしてこれがここにあるのか。


「さっき会った時に渡しておくって言って預かってきた。びっくりしてたけど、喜んでもいたね。あ、大丈夫。他の人には僕の姿見られてないから安心して。死人が蘇ったとか騒ぎになると厄介だからね」


 そういうと、ネックレスが手渡される。大切なそのお守りをウィンは首に通した。

 緑色の魔鉱石をつまみ、その輝きを確認する。温かみのあるそれを眺めていると、ケネスが告げた。


「それじゃ、僕は行くよ。また会おうね、ウィン」


 突然過ぎる別れの言葉。ウィンが前を向いた先にはもうケネスの姿はなかった。周囲を見渡し、魔力も探ってみるがどこにもいない。

 いきなり現れて、色々助けてもらった。礼を言えなかったことに少し後悔する。だが、また会えるような気がする。またいつか、どこかで。

 フェンス越しの首都の景色を再びウィンが見ようとしたところで、背後にあった屋上の扉が開く。


「……ウィン?」


 そこにいたのは大きな狐の耳を持った少女の姿。リリィだった。やはり、このお守りの反応を頼りにここまで来たようだった。

 静かに、こちらに近づいてくる。ウィンも、リリィの目の前まで歩いていった。

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