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第三十二話 帰還

――新暦195年 7月 20日(水)

  首都『フォルニア』・中央病院4階の廊下

  06:05



 強い雨が窓の外で降り注いでいる。予報通りの大雨だった。朝食を終えたリリィは廊下の窓からその様子を眺めていた。

 ウィンの送魂銃で一命を取り留めたリリィ。しかし、それと代わるかのように最後に手作りの料理を食べたいと言い残して深い睡眠状態となってしまったウィンは、背後にある病室にいる。

 胸に手を当てるリリィ。その先にある心の中ではまだウィンの力が働いている。くよくよするなと後押ししてくれるそれに、リリィは勇気づけられていた。

 そういえば、今日でディアンでの騒動からもう1週間が経っていることにリリィは気付いた。ここまで来るのに、本当にいろいろなことがあったと思い返してしみじみと思った。

 もしここに来ることもなく、ディアンでそのまま生活ができたならばどうなっていたかを考えてみた。しかし、そのほとんどがウィンと一緒に幸せ過ごしている自分のことしか浮かばず、恥ずかしくなって想像を止めた。

 勝手に身もだえしていると、暗い表情のツバキがやってきた。


「大丈夫リリィ? まさか呪詛の影響?」


「い、いや、違うよ。大丈夫」


 その返答に少し安心しつつ、ツバキは話をつづけた。



「昨日の内は大変だったから言わなかったけど、あのね……、ケネスが死んだわ」


「え……」


「橋の上で戦ってた時にはもういなかったのよ。それでユウキとランに聞いてみたら、彼、ちょうど爆発のあった車両の中央に乗っていたそうなの」



 信じられなかった。昨日の朝まではいつものように笑顔を振り撒いていたあのケネスがもういない。

 動揺する様子のリリィに、ツバキはポケットから小さなケースを取り出して渡した。開けたケースには、一掴みの銀色の髪の毛が入っていた。


「残ってたのはこれだけ。たぶん苦しむ間もなく死ねたと思うわ」


「そう……、なんだ」


 今回の仕事を終えれば評判も上がって仕事が増えるはずだと何度も言っていた。でも、死んでしまったらどうしようもない。

 サノゼまで送り届けてくれた後、あの車両に乗らずに報酬を受け取ってプレザントへ帰っていればこんなことにはならなかったかもしれないのに。ただただ、後悔の気持ちが生まれ続けた。


「いいやつだったわ。いいやつだったから、死んだのかもしれないけど。ケネスの分も生きていかなきゃね」


「……うん」


 いなくなった存在を2人はその場で悼んだ。その中でも雨は弱まる気配を見せずに降り続けていた。



 突然、病室の扉が開いた。振り返るとすでにウィンはこちらに背を向けてエレベーターへ向けて廊下を歩いて行ってしまっていた。

 その後ろ姿に2人は疑問を抱いた。先ほどまで寝ていたウィンは病衣を着ていたはずなのだが、その身にまとっているのは防衛兵団の軍服だった。

 リリィは嫌な予感がした。少し不安になりながらもその後ろを追い掛けていく。


「おはようウィン。でも大丈夫なの? 動くのはまだ止めた方が……」


 そのリリィの呼びかけに対し、ウィンが反応することはない。それが気にくわなかったツバキは不満そうな顔をしながらウィンの前方へと回りこもうとした。だが、その顔を見た瞬間、顔を引きつらせながらその場に止まった。

 不安がどんどん大きくなっていくのをリリィは自分自身でも分かっていた。エレベーターまでもう距離はほとんど残っていないが、呼びかけ続ける。


「そうだ、朝ごはんまだだよね。ちょっと待ってもらえばわっふ」


 足を止めたウィンの背中に顔をぶつけて小さな驚きの声を上げた。リリィは少々痛む鼻をさする。



「獣臭いから、近づかないでもらえるか」


「……え?」



 顔だけ後ろを振り向き、冷たい一言がリリィに浴びせられた。

 恐る恐る見上げ、リリィはその顔を見た。その表情に明るさは感じられなかった。深緑の目がこちらを軽蔑するように向けられている。

 リリィはその場に固まってしまった。不安が確信へと変わってしまった。今の彼は、ウィンではない。レイン・クウォーツゲルだ。

 その様子から、以前に体を一定時間支配していた時のような不安定な感じはなかった。完全にその体の主導権を握っているのがリリィでも分かった。

 思い人なのに違う。複雑な心境になったリリィはそれ以上声をかけることができなかった。

 その様子を確認したレインは前を向いてて歩き出した。たどり着いたエレベーターのボタンを押すと、ちょうど待機していたのかすぐに扉が開いた。そして乗り込む時に、リリィに対して何かを投げつけてきた。

 慌てつつもそれを落とさないように受け取ったリリィ。手の中にあるそれを見て、リリィは崩れ落ちた。


「……そんな。何で……、何で……」


 それは、緑色の球状の魔鉱石が取り付けられたネックレスだった。ウィンがいつも身に着けてくれていたそれが、リリィの手の中にある。

 レインは扉を閉め、下の階へと向かっていった。リリィはそれを追い掛ける気にはなれず、その場で泣き崩れた。

 自分の思い人はもういなくなってしまったかもしれない。もしかしたら、自分を助けるために消えてしまったのかもしれない。その絶望が心を満たし、リリィはその場から動くことが出来なくなってしまった。

 ツバキは悲しみに暮れるその様子を見守ることしかできなかった。中央病院の廊下に、リリィの悲痛な嗚咽が響いた。






     ※






 強い雨の中を傘もささずにレインは足早に防衛兵団本部へと向かっていた。服も体全体もずぶ濡れだが、そんなことは気にしない。一刻も早くたどり着くことが重要だ。

 一ヵ月。あまりにも長い時間が過ぎてしまった。もし、自分が力を暴走させなければこんなことにはならなかったかもしれない。その考えが、レインを焦らせていた。

 最初から怪しむべきだった。何のつてのない自分に、哀れむふりをして迫ってきたと思われる男の顔を浮かべて、拳を強く握る。

 これまでの間、偏見と指示によって多くの者を手にかけてきた。間違いなく、死ぬ必要のない人物もいたはずだ。もちろん救える人物も。あの時の獣の亜人に対する憎悪に支配された自分自身を止められるのであれば、殺してでも止めたいと今のレインは考えていた。

 しかしながらもうその結果は変えられない。ならばやるべきことは決まっていた。

 たどり着いた本部に入ると、多くの警護を引き連れたエイブラハムが今まさに出発しようとしていた時だった。

 ずぶ濡れのレインに周囲の人たちが警戒する。すぐさまレインは炎と風の術式を行使して体全体を濡らす雨を蒸発させた。その様子を見たエイブラハムと周囲の人が驚いている。

 静まり返った本部の1階。その中で、レインは敬礼しつつエイブラハムに言った。



「防衛兵団首都本部所属、第25遊撃特務実行部隊隊長レイン・クウォーツゲル。ただいま帰還いたしました。ログネス・フォン・ロンギヌスに関しての情報提供に参りました」


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