第三十話 風
――新暦195年 7月 19日(火)
首都『フォルニア』・教会
09:30
呪詛はすでに貫通した部分から首元まで届いていた。アリーシャと駆け付けたアイザックは必死の解呪作業を引き続き行うが、速くなり始めたその侵攻を抑えることができない。
教会から研究所へと向かった3人が帰ってくるまでもたない可能性がある。厳しい状況の中、教会に遅れてやってきたツバキが現れる。すぐさまリリィのそばに近づき、変わり果てたその様子に言葉をなくした。
今にも消えてしまいそうなその姿が再び消えた友人と重なった。ウィンたちの経緯を聞いた後、ツバキはリリィの中へと入る。
弱弱しいリリィの魔力。ツバキは同調を行うことで自らの魔力をリリィへと送り込んだ。これで、ほんの少しだけでも呪詛の侵攻を抑える事ができる。
同調したことによってリリィの感情がツバキに入り込んでくる。死に対する恐怖、まだ生きていたいという悲痛な願い。そして、思い人のウィンにそばにいてほしいと切望していた。
『踏ん張りなさいよリリィ。あんたの王子様は必ず何とかしてくれるはずよ』
2人の決死の解呪作業、ツバキの全力の魔力提供が続けられる。教会の教壇付近は温かな光が発生し、それは教会の外にも漏れ出すほどだった。
その光景を1人の優男が多くの人が行きかう外の広場で微笑みながら見守っている。黒縁眼鏡をかけた優男は広げた右の手のひらを教会へと向けた。そこから放たれた目に見えない何かはリリィまで届き、その体の中に浸透していった。
一時的にだが、呪詛の侵攻が止まった。外からその様子を確認し、優男は広場から去りながら静かにつぶやく。
「僕がしてあげられるのはここまで。え? 会わなくていいのかって? その必要はないよ。いつかまた会えるんだから」
優男の姿は首都の喧騒の中に消えていった。
その直後、研究所から3人が帰ってきた。深刻な面持ちの彼らはリリィへと近づいていく。
「局長、アリーシャ、ツバキ。ご苦労様。後はウィンに任せて離れててちょうだい」
クランの指示を聞き、3人は解呪作業と同調を止めてリリィから離れた。
ゆっくりとウィンはその手に持った送魂銃を苦しそうにしているリリィに向けた。握られた手が白く光り輝き、銃口の方からは光が漏れ始める。
リリィを蝕む呪詛を全て消し去るためにありったけの存在の力を注ぎ込む。自分がどうなっても構いはしない。目の前の大切な人のためならばウィンは全てを捧げる覚悟があった。
その様子をそばで見ていたオズワルドは、すでに送魂銃へと注がれる存在の力が危険域を超えていることを伝えなかった。たとえ止めたとしても聞き入れることはないことを、その様子から察することができたからだ。
可視化できるほどに強大な存在の力は送魂銃の耐久力の限界近くまで溜まった。ウィンは静かに引き金に手をかける。
「今、助けてやるからな」
光球が爽やかな風とともに撃ちだされた。まっすぐにリリィへ向けて飛んでいくそれを見守りながら、ウィンはその場に崩れ落ちた。
リリィの小さな体に光球は入っていった。ウィンとレインの持つ能力が存在の力を通して体の中を駆け巡り、呪詛を綺麗に消し去っていく。
徐々に意識が回復していく中、リリィは心の中でウィンが全力で励ましているのを感じた。耳をつんざくほどの声量で応援しているウィン。その声はリリィの心と体を活気づけていく。
そして、呪詛が完全にリリィの体から消え去った。首元まであった侵攻の跡もなくなっていた。
「……ウィン?」
目覚めたリリィは思い人の名前をつぶやき、上半身を起こした。
周囲では口に手を当てて泣いているクランやアリーシャ。やりきった顔をしている見知らぬ中年男性がいる。だが、その中にウィンの姿はない。
どこにいるのかと探そうと思ったリリィが立ち上がろうとした時、その手に何かが触れた。
「……え?」
触れたのは床に仰向けに倒れている思い人の右腕の部分だった。
全く動く気配のないウィンの肩に手を乗せて軽く揺さぶるも、反応はない。
「ウィン、起きてよ。……起きてよぉ!」
返答をしないウィンを抱きかかえた。目をつぶったままの思い人に呼びかけ続けるがいっこうに返事は帰ってこない。
気づけばリリィの目には涙が浮かんでいた。治癒術も効果はなく、再構成術を使う必要はないが、起きない思い人に強い焦りを感じていた。
一体どうすればいいのか。慌て、悲しむリリィ。そんな中で、ウィンが静かに目を開けた。
「……元気そうだな、リリィ」
「ウィン!」
その目からは力が感じれれなかった。今にも閉じられようとするその意識のウィンにリリィが必死に呼びかける。
しかし、張り詰めるような緊張の中で腹の虫が響き渡った。その音の主はウィンだ。恥ずかしそうにしながらも、ウィンはしゃべった。
「リリィの手作りの料理、食べたい。腹が減っちまったよ」
「……うん!」
その言葉の後、ウィンは深い眠りについた。腕の中で寝息をたてて静かに眠る思い人をリリィはやさしく抱きしめた。
リリィが目を閉じれば、ウィンのものだと思われる爽やかな風が心の中で吹き渡っている。思い人がすぐ近くで見守ってくれるのを感じて、リリィは喜びの涙を流した。




