第二十一話 呪詛
「本当に、これならやれるんですね」
猫の亜人のおばさんが、少年に問いかけた。それに対して少年は笑顔で答える。
「もちろんです。その包丁には特殊な術式が組み込まれてまして、どんな人にも気づかれることなく近づき、障壁を無視して刺すことができる優れものなんですよ」
「わかりました。何から何まで本当に、本当にありがとうございます。これで娘の仇を討つことができます」
「いえいえ、利害が一致したんですから、当然のことをしたまでです。それに、もしそれがだめでも、教えたとっておきの最終手段がありますからね。では、いってらっしゃい」
少年の明るい送り出しを受け、おばさんはふらふらとした足取りで工場の中へと向かった。その後ろ姿を見送ると、少年は街の中へと歩いていく。
この街の中で唯一であり、それなりの規模の商店街に到着し、その中にある地下で営業するレストランへと入っていった。
そこでは少年を待っていたローグがいた。機嫌が悪そうに、テーブル席でこのレストランの名物であるハンバーグを食べている。
「お待たせ―。そっちも順調に済んだみたいだね」
「おお、『リバー』か。すまないが先に食べさせてもらってるよ」
「お構いなくー。あ、ウェイトレスさん、僕も同じのお願いします」
通り過ぎざまの女性ウェイトレスに、『リバー・テスラ』は無邪気な笑顔で注文した。可愛らしいその様子に女性は笑顔で応えると、厨房へと向かっていった。
椅子に座り一息をついたリバーに、ローグは感心しながら言った。
「4年ぶりの現場復帰だというのに相変わらず見事な手際だな。こちらもおかげで助かっているよ」
「いやいや、まだまだこれからだよ。4年間の穴は大きいからね」
この少年、リバーはこれまでの4年間バリー・アクトンという偽名を使って、オズワルドの元でその研究成果を盗み出すために暗躍していた。
助手として働く中で、直接ではないが研究成果の横流しも行っており、レギオンズとログネスに危険性の高い研究成果を流していた。今のログネスがここまでうまく立ち回ることができたのも、リバーの活躍があってのことだった。
ウェイトレスが持ってきてくれた水を一口飲み、作り始めたであろうハンバーグに期待した。
「ちにみに、今回の仕込みで使った隠蔽術式はもう使っちゃダメだよ。教授が勘付くからね」
「了解だ。だが惜しいな、あれほど完成度の高いものを」
「仕方がないよ。魔術使えないのに、その方面に関しての勘が異常に良くてすぐ気づく変人だからね」
今回戻ってきたローグには盗み出した術式を使ってとある仕込みをしてもらった。これが後になって効いてくるはずだし、ログネスへの手助けはこれで最後になる予定だ。
何だかんだで長い間協力関係にあったが、ログネスの神経質になりすぎるあの性格は面倒だったと、リバーは思い返した。
近くの席に料理が届けられるのを見て、リバーは唾を呑んだ。そういえば作業に没頭していたので、今日はまだ何も食べていない。まだかまだかと待っているとレストランに大柄の男性が入ってきた。
「あ、リーダー。こっちこっちー」
「ん。すまん、遅れた」
リバーがリーダーと呼んだ男性は同じテーブル席にやってきた。サングラスをかけているので目元は見えないが、どことなく威圧感が感じられる。
「ログネスと最後の話をつけてきた。あいつも送り届けてけじめをつけると約束させたから、俺たちはこれ以降は傍観するだけだ」
「長かったねー。楽しかった気もするけど、面倒くさかったよねあいつ」
「同感だ」
自分たちの仕事はこれで終わった。ログネスが勝つか、負けるか、負けるとしてもどうあがいていくのかを想像して、リバーは微笑みながらハンバーグを待った。
※
「何で……!? 何で効かないの!?」
治癒術を使用しているのにも関わらず、ウィンの傷口が塞がらない。真っ黒に変色し始めているその傷に、リリィは焦りを隠せなかった。
「あなたが……、あなたが悪いのよ! あたしの娘を殺したあなたが!」
おばさんが拘束されつつも、その場で嬉しそうに叫ぶ。その手から離れた包丁が、アスファルトの地面に落ちた。
それを拾い上げたツバキが驚愕した。パッと見では分からないが、透明な術式がびっしりと刻み込まれている。それも、そのほとんどが呪詛の術式だった。
「ユウキ、リリィ、呪詛を解呪した経験はある!?」
「そんなことやったことないよ!!」
「すまん、私もない!」
「ああもうっ、マジでやばいわよこれ!」
このまま解呪できずにいれば、どんなに強力な治癒術や再構成術をしようしても傷口は塞がらない。それに傷口から侵入した呪詛は体中の魔力を汚染していくため、体がもっても魂がやられる可能性がある。
慌てふためく3人。それをそばで見ていたフレンは、その場から走り出して工場から姿を消した。
もしかしたらあいつ自身もグルだったという可能性を考えて、ツバキは下唇を噛んだ。これほどの死臭を感じる場所で、何かが起きない方がおかしいと考えるべきだった。
満足そうに笑うおばさんを押さえつけるユウキ、泣きじゃくりながら効かない治癒術を行使し続けるリリィを見て、ツバキは内心諦めていた。今から助けを呼んだとしても間に合わない。
噛んでいた下唇から血が滲み始めた時、ツバキは目を疑った。
「……何よそれ。あんた何やってんの」
ウィンの体から呪詛が消えていく。解呪で無力化できたとしても、完全に消えることはない呪詛が消滅を始めている。
初めての光景に驚くツバキ。やがて呪詛は完全に消失し、傷口の変色が無くなった。リリィの治癒術がようやく効力を発揮し、傷口を塞いだ。
仰向けになった後、ウィンは上半身を起こした。涙でぐしゃぐしゃな顔になったリリィが安否を確認する。
「……ウィン? 大丈夫なの?」
「ああ。でも、ちょっと待ってくれ」
静かにウィンの左手がおばさんの方へと向けられた。そして手元が光るとそこにはいつもとは違う拳銃が握られていた。
リリィはそれに見覚えがあった。初めて会ったとき、ウィンが熊を撃ったときの拳銃だった。
「待て待て待て。頼むから止まってくれ!」
その手から拳銃を引きはがそうと、右手で左手を掴む。ウィン自身の一人芝居に何をやっているのかと、周囲にいるツバキたちは疑問を持っていた。
「分かるけど待て! 今あのおばさん撃っても何にもならないぞ!」
左手の指が引き金にかかったところで、リリィが気づいた。ウィンの瞳の色が片方だけ違うことに。
左が深緑。右がいつものウィンの濃紺の瞳。何か危険なことが起きているがそれを止めることができていないようだった。
リリィは立ち上がり、ツバキに呼びかける。
「ツバキ、入ってきて!」
「わ、わかったわ」
そのリリィの迫力に若干気圧されながらも、言われた通りにツバキはリリィの中へと入っていく。
すぐさまお互いを同調させて、脚部に魔力を集中する。それなりに強力な一発を繰り出せるほど溜まったところで、ウィンに確認した。
「ウィン、一撃やるけどいい?」
「おう! 思いっきり頼む!」
本人の意思の確認が取れたところで、ウィンの腹めがけて強烈な蹴りを入れる。同時に溜め込んだ風の魔力が解放され、ウィンを数メートル先へ吹き飛ばした。
断末魔さえ上げる暇もなく吹っ飛び、体のいたる所を強打しながらウィンは何とか止まった。リリィは急いで駆け寄って、治癒術を行使する。
ウィンの左目は濃紺戻っていた。左手に握られていた拳銃もどこかへと消えていた。
「ごめんね、ウィン」
「いてて。でも、助かった。あそこで蹴り飛ばしてくれなかったら俺間違いなくあのおばさん撃ってたと思う。ありがとうな、リリィ」
「――んでよ」
ユウキに拘束されていたおばさんが小さく何かつぶやいやいた。やがて、大きく体をばたつかせ始めた。
「何で死なないのよ! 何でよ! 何でなんでなんでしねなないのよ! 殺して死ね! ころすねしね」
まともなしゃべり方ではなかった。もはや自我すら保てていないその様子に、ユウキは戦慄した。
離れたところにいるリリィとウィンもそれを確認し、恐る恐る近づいていく途中で、フレンの声が響き渡った。
「何してるんだよ! 早く、早く!」
先ほど走り去っていったフレンが治安警備隊と駐在団員を連れて工場へと戻ってきた。全速力で駆けるフレンの速度はかなりのものだった。
たどりついたフレンが息を切らしながら現場を見渡す。しかし、自分が予想していたものとは違う光景が広がっており、唖然とする。
「殺す死ねねね! なでころしてやる! むすぬすねの仇ぃぃぃぃ!」
ユウキは危険を感じると拘束を解除し、奇声を上げ続けるおばさんから距離をとる。
おばさんの体が異様に震える。やがて、変化が始まった。膨れ上がった上半身は、衣服を突き破るとともにその皮膚をも突き破り、醜悪な肉塊が周囲に溢れ出した。
肉塊は徐々に球体へと形を変えてゆく。その球体の全体に、びっしりと黒い術式が浮かび上がった。あまりにも衝撃的な光景に、その場にいた全員が言葉を失っていた。
そして術式が消えると、球体の上部を突き破っておばさんだった怪物が姿を現す。四足歩行でそれとは別にカマキリのような鋭利な鎌の腕が2本生えている。虫に近い黒い光沢を放つ見た目だったが、巨大な猫の尾がゆらゆらと動いていた。
見たことのない怪物の出現に驚いていると、球体の内部からあらかじめ術式に記憶されていたメッセージが空中に浮かび上がる。
(これが表示されたということは彼女が生まれ変わったということだね。これは復讐に燃える彼女が望んだ結果だよ。それでは最高のひと時を楽しんでね。byリバー)
おばさんだった怪物が甲高い咆哮を轟かせる。呪詛の塊のその怪物は、真っ直ぐにウィンへと向かっていった。




