13 進展
――新暦195年 7月 15日(金)
どこかにある研究所
07:20
研究室の椅子に座り、机によだれを垂らしながら異臭を放つ中年男性が寝ていた。盛大ないびきが研究室に響き渡っている。楽しい夢を見ているのだろうか、その顔は笑顔だった。
そんな中、廊下の方から聞き慣れない足音が近づいていることに気が付いた男性は、よだれで濡れた右頬を着ていた白衣でふき取り、眼鏡をかけなおして、開かれるであろう扉の方を向いた。
客人とは珍しい。この場所が分かって入ってきたとなると、新しいお客様だろうか。とは言っても売る物は限られている。どうしたものか。
そんなことを考えていると、扉がゆっくりと開いた。
「おやおや、あなたは……クラン様ではないですか?」
「ひょうよ。ひひゃしふりね、おすわるとけーにっつきょうしゅ」
(そうよ。久しぶりね、『オズワルド・ゲーニッツ』教授)
中年男性のオズワルドの前に現れたのは赤髪の美しい長身の女性、そして四強であるクランだった。
予想外の来客に喜びつつ、オズワルドは感慨深そうに話しかけた。
「いやはや、5年ぶりですかな。クラン様が訓練学校を卒業して以来ですな~。お元気そうで何よりです。はい」
「ひょういっははなしはあほれいいわ。とりあえす、あたひにもんくをいわすについてきてくれる? ひょひけんはないは」
(そういった話は後でいいわ。とりあえず、あたしに文句を言わずに付いてきてくれる? 拒否権はないわ)
左手で鼻をつまみ、眉間にしわをよせながらクランは厳しめの口調で言った。
その様子から考えてこれは色々ばれたかとオズワルドは察し、抵抗することなく立ち上がった。
「分かりました。ではすぐにでも参りましょう。ところでどこに――」
「まへ! まっへ! ちかつからいね! たたてひゃえひおいやはいのに、それいひょうちかつくとめにくるからまっへ!」
(待て! 待って! 近づかないで! ただでさえ臭いヤバいのに、それ以上近づくと目にくるから待って!)
近づいてきた異臭の根源であるオズワルドをクランは必死に止めた。その目には涙が浮かんでいる。余程嫌なのだろう。
このかぐわしいこの天才の香りが、目の前の美女を悩ませてしまったようだ。なんて私は罪深くもこれほどまでに天才なのだろうか。そんなことをオズワルドは考え、自らの存在に惚れ惚れしていた。
「ふんひーね! いふりーほ! てっていてきにおねはい!」
(ウンディーネ! イフリート! 徹底的にお願い!)
クランは右手に持っていた扇子の先をオズワルドへと向けた。するとオズワルドの左右を挟み込む形でウンディーネとイフリートが現れる。
しかし、現れた彼らの表情が一瞬にして嫌悪のものへと変わった。
「あら~、これは随分と……」
「よくもまあこれほどになるまで放置したものだな……」
色々な物を拭いたためか所々が変色している白衣。一体何日体を洗わなければ発生するか見当もつかない体臭。黄ばみと歯石だらけの口は奇跡的に虫歯はないものの、獣の口臭を遥かに超える異臭を放っている。
いやいやながらもウンディーネとイフリートは作業を開始した。温水の竜巻が瞬時に発生し、オズワルドの全身を包み込む。
「あああはあっあ~。私の体が~、天才の私の体が清められていくのおおぉ~!」
オズワルドの甘美な声が研究室に響き渡った。そしてそれ以外の3人は全く同じことを考えていた。
(((気持ち悪い)))
「んほおおぉぉ~! らめええぇぇぇ~!」
※※※
――同日
首都『フォルニア』・防衛兵団本部5階大会議室『カダリア全土発生障害対策本部』
8:30
「サーチャーから追加資料到着しましたー。コピーしまーす」
「結界範囲の特定はまだか?」
「現地調査員と護衛団員からの結果待ちでーす。遅くとも昼頃にはー」
「ちょっと待って、コンタクト落とした」
「プライバシーの侵害とか言われて調査員が足止め食らってるらしいです」
「治安警備隊を出動させてで黙らせろ。今は情報がほしいんだ」
「局長はー? 解析マダー?」
「ねえコンタクトどこかいっちゃったんだけど」
「昼飯の確保はできてる?」
「一階の大食堂に届けてもらう様に手配済みです」
「コピー配布しまーす」
かなりの広さの会議室。その中を多くの人が入り乱れていた。防衛兵団、魔術研究機関、調査機関、技術開発局、政府関係者が混ざってごった返しになっている。
この対策本部が先月の14日に設立されてからわずか数日で手詰まりとなり、ここにいる者のほとんどが諦めかけていた時に、予想外の朗報が舞い込んできた。
≪プレザントを中心として一部地域の障害が解除された≫
昨日飛び込んできた調査員の報告で、再びこの対策本部に活気が戻った。解決への糸口が見つかったのだ。
長距離転移術を利用したやり取りでどんどん情報が流れ込んでくる。ほぼ徹夜明けでここにいる皆が作業に当たっていた。
配布されたコピーに会議室にいる面々が目を通している中で、開きっぱなしになっている扉から目の下に大きなくまができているやつれた男性が入ってきた。
「解析完了ー。皆々様中央に注目ー」
「局長! お疲れ様です!」
入ってきたのは魔術研究機関局長の『アイザック・イングラハム』。ところどころに白髪が目立つぼさぼさの茶髪の頭を掻きながら、中央のテーブルへと印刷してきた資料を置いて椅子に乱暴に座った。
会議室にいる全員が中央のテーブルを囲むようにして集まり、それぞれが資料を手にしたのを確認すると、アイザックが説明を始めた。
「今回のこの現象を引き起こしてたのは、『業・魔核』を動力源にした広範囲障害を引き起こす結界発生器。これ1つでカダリア全土の10%を包み込める代物だ」
その報告を聞いて会議室にいた全員がざわついた。信じられない。あり得ないといった声が聞こえてくる。
魔核は様々な物の動力源とすることができるのだが、その魔核は錬成術によって組み合わせたりすることでさらに魔力精製能力をあげることができる。現時点では先ほどの話にあった業・魔核がその最大強化だとされている。
まさか業・魔核とは。にわかに信じ難いその情報に、ちょうど資料をとってテーブルに合流した1人が問いかける。
「局長、業・魔核では単独の使用は――」
「それもこれで万事解決。この資料見ろー。それに合わせて解説すっからさー」
アイザックは机に置かれた資料の一部分を指さした。指定された箇所が存在する3枚目の内容を見てその場にいた者たちの大半の顔がひきつったり、青ざめたりした。
予想通りの反応にアイザックは疲れを見せながらも簡潔に説明を続ける。
「業・魔核の錬成時には人間の魂が必要となるのは周知の事実だ。そして生み出された業・魔核は錬成に使われた者の血縁者か親しい間柄でなければ使えない。だからこれ作った奴はこれを思いついたんだ」
そういって心底嫌そうな顔をして、アイザックは資料に書いてある発生器の内部図を会議室のモニターへと映し出した。
資料以外にも分かり易いようにと配慮して映されたそれに、会議室内が凍り付く。
「首都地下監獄に投獄されている犯罪者を錬成の基として業・魔核を作り、犯罪者の家族を肉塊に変えて生きたまま冷却術と密閉術などを併用した独自の術式で腐らないように球状の中に入れる。こうすることで、業・魔核の圧倒的な魔力を行使しつつ、その一部を肉塊の保存にも回すことで結界を維持し続けることができる。そういった感じだ」
一通りしゃべり終えたところで一旦深呼吸をし、さらに続けた。
「今回使われていたのは囚人番号405。そして首都にて1人暮らしをしていた405の母親だ。405の独房と母親のところを調査に向かわせたら、かなり高度の幻覚術式が使われているのを確認。あたかも母親はいつも通り生活し、405もまだ一緒に生活していると他の囚人と看守は錯覚していたそうだ。全体を確認したらあと13人囚人が同様に消えていることも発覚した。そいつらも今頃はどこかの球状の中にいると考えていいだろう」
「……作ったのは人間の皮を被った悪魔ですね」
「いや、そりゃ悪魔に対して失礼だ。俺たち人間の方が遥かにやばいからな」
周囲からでた感想に、アイザックはため息交じりに応える。事実、悪魔でも一瞬ためらうレベルの物がこうして作り上げられているのだ。
関係者様にも行き渡るように十分な部数を刷ってきた資料はもう底を着きかけていた。それだけ今回の調査結果に注目が集まっているということなのだろう。
重い空気の中、資料の先の部分に目を通した男性が驚きの声を上げた。
「局長……! これマジですか!」
「マジも何も、ここが設立されてからこいつ疑うこと何度かあっただろうが。その予想が当たったってことだな」
資料の後半。球状の物体に使われていた術式の行使者である人間が書かれていた。
その男の名は、『ログネス・フォン・ロンギヌス』。現カダリア臨時首相を務めている国にとってもかなりの重要人物だった。
「これが一番時間かかったわ。本部のデータだけじゃなくてまさか紙媒体の方にも手を出すことになった時はさすがに心が折れそうになったぞ」
先ほどよりもさらに大きい、特大のため息をつきながらアイザックは説明を開始する。
「恐らくこの結界器本体の設計自体は俺の知人がやったはず。あいつの癖がよく出てる。技術開発局の解析班の連中も手伝ってくれたから間違いはないはずだ。問題なのはその結界器に使用されていた馬鹿げてると思えるほどに複雑に組み合わされた改造術式だ。似たようなのがあるか探した結果、紙媒体の中に答えがあった」
「……『アダムス・フォン・ロンギヌス』?」
「そう。現臨時首相のご先祖様だ。この術式の基盤となっている障害発生術式はそのアダムスが『前』世界において確立したものだった。資料が残ってたのが奇跡的だったわ。復元術様様だな」
魔術研究機関の本部にてその術式はかなり前に復元されて、紙媒体に記憶されて残っていたのだ。90ある保管庫の紙束の山から総動員してこれを見つけるのが一番苦労したらしい。
「照らし合わせて削り取っていった結果、残っている残滓から考えても犯人がログネスだということが濃厚になってきた感じだな」
長ったらしい説明を続ける中でアイザックは眠気を覚ますためにその場で首を前後左右に動かす。長時間同じ体勢だったこともあり、体の節々が違和感を訴えている。
しかしながら休むわけにはいかない。ここからが正念場であることを自らの体にアイザックは言い聞かせる。その思いは、対策本部の面々も同じだった。
活力が取り戻された会議室内。その中で、アイザックにとって随分久しい友人の声が聞こえてきた。
「なるほど。実に興味深いことになっているようですねえ」
突然の声に驚き、その主がいる方向に会議室の全員の視線が集まった。そこには資料に目を通しながら瞳をキラキラと輝かせているオズワルドと疲れ顔のクランがいた。
扇子を開いてあくびでだらしなく開いた口元を隠しながらクランは報告した。
「局長。言われた通り、少年から場所聞き出して連れてきたわ。あたしもう帰って寝ていい?」
「ご苦労クラン副長。支部に帰ってゆっくり休んでいてくれ。後は俺たちが何とかする」
「は~い……」
再び大きくあくびをしながら、クランは転移術で去っていった。その後、残されたオズワルドは中央の机の方へと意気揚々として近づいていく。その場違いな明るさにイラッとくる者が数名現れ始める。
空いていたアイザックの隣の席に躊躇うことなくオズワルドは腰かけた。資料を片手に楽しそうに話しかける。
「久しいですなあ局長殿。お元気でしたか?」
「あんたの研究成果おかげで今カダリア全土が大混乱だ。どうしてくれるこの糞天才野郎」
「いやはや、そんなに褒めていただきますと照れてしまいますな」
「褒めてねーよ糞天才」
そんなやり取りの後、アイザックとオズワルドはがっちりと握手をした。訳が分からないといった感じで魔術研究機関以外の面々の目が点になっている。
研究成果ということは、今回問題となっている結界発生器の設計者なのだろうが、何故こんなにも親しげなのだろうか。それが今会議室にいる大半の疑問だった。
ざわつく会議室内部。彼らの疑問に答えるようにアイザックが話し始めた。
「こいつは確かに例の物の設計者だが、さっきも言った通り恐らくこいつ自身がこれをつくることはない。そうだろオズワルド」
「ええ。これは数年前に私が設計したもので、約1年前にログネス様にお売りしました。国が1つ作れるくらいの額で。ちなみに証拠映像がこちらです」
オズワルドが軽快に指をぱちんと鳴らすと、突然モニターが空中に現れ、会議室に設置されているテレビにも映像が流れ始めた。
ログネスとその秘書官を真正面から映しているその映像では、間違いなく今回の結界発生器である『天才式・虚無障害発生器for禁忌バージョン』の取引が行われていた。
「驚いたのがこの映像を記録していたそれ以外のカメラが全て壊されていたのですよ。まあ、天才である私も対策した結果何とか映像を残すことができました」
「ちなみにどこに隠したカメラだ?」
アイザックは素朴な疑問をぶつける。するとオズワルドは喜びながらズボンの前チャックを下そうとした。
「わかったから止めろ。一応女性もいるからな」
「しかしながら、天才的である私の元気の塊を見ればやる気も――」
「いいから止めろ」
「仕方がないですなあ」
オズワルドは渋々チャックから手を放した。要するに股間の部分に隠していたカメラで撮っていたのだ。汚らしいが重要な証拠になるのは間違いない。
映像が保存された小型記憶媒体が数個ほど会議室の面々にオズワルドから手渡された。早速これを証拠にログネスの身柄確保へと動くために、政府関係者がその場にいた何人かに指示を出し、数名が会議室から足早に出て行った。
慌ただしくなってきた会議室の中で、資料に描かれたログネスの術式を見てオズワルドは苦笑いした。
「まさか天才である私の発明にさらに手を加え、これほど強力な物へと改造するとは。執念に近いものを感じますねえ」
「同感だ。だが、それを設計し、売ったお前にも罪はある」
「それは自覚しています。その罪を晴らすため、反省するためにも私はここへ来たのですから」
見た目は異様に明るく振る舞っているオズワルドだが、心の中では深く反省していた。
人を豊かにする研究が、害をなすものとなる。研究のための資金稼ぎとはいえ、危険人物となる存在にそれを売り渡したのは許される行為ではない。今回の発生器で被害を被った人のために、オズワルドは持てる全てをぶつけると決めていた。
そう心の中で決意しながらも、資料を目に通すオズワルドは下唇を噛んだ。悪用されたのは、発生器だけではないからだ。
「ついこの間ディアンの鉱山にていつものふざけ半分の手口で子持ち鉱石回収ワームと鉱石異常発生装置を使用しました」
「お前が嫌いなサーチャーの調査員への嫌がらせだな。調査員のたどり着く先の場所で許可証発行して先に行動開始する手口か。クランからその件に関しては話を聞いている」
「そうですか。油断しました。まさか研究所に知らぬ間に侵入を許していたとは」
先ほどクランがやってきたときに、研究所内においてログネスの僅かな侵入の痕跡があることが発覚したのだ。
異常発生装置を鉱山内部に取り付け、子持ち鉱石回収ワームで異常発生した鉱石を採取する。ワームは人に危害を加えることはないが、その見た目の気持ち悪さからよく騒動になる。鉱山に調査員が赴く際によくオズワルドがやる嫌がらせだった。
しかしながら、それが逆手に取られてログネスに利用されることとなってしまった。研究所内にて魔物化するように改造が施されていたのである。これがわからぬままでいたら、オズワルドは大量殺人の犯人として捕まることになっていただろう。そうなれば証拠を残したくないログネスの思う壺だ。
すでに『状況復元術』でその様子をカメラに収め、先ほどの記憶媒体の中に入れてある。しかし、起こってしまった結果が変わることはない。ワームに襲われて犠牲になった人へオズワルドは心の中で謝罪していた。
「ちなみに、私の優秀な助手はどこに?」
「助手と名乗る『バリー・アクトン』とかいうガキか。たぶん今1階で朝飯食べてると思う。あいつも協力的で助かったわ」
ワームが駆除されるのはいつものこと。それに対し許可証を片手に助手を向かわせて現地の調査員と警護団員に弁償を要求する。これがいつもの手口であり、助手は欠かせぬ存在だった。
今回はそのいつものことが予想よりも早かったために、偵察に向かわせた結果助手は捕ってしまった。優秀な助手には悪いことをした。さぞ怖かっただろうに。
そうオズワルドが考えていると、アイザックが問いかけてきた。
「そうだ、アナリスとディアンに出没したお前の副産物に関しても聞いておこうか」
「はい? 副産物?」
「何言ってるんだ。お前の研究の中で生まれたって聞いてるんだが」
そういうとアイザックは何枚かの写真をオズワルドに差し出した。おぞましく変化を遂げた団員がそこには写されている。
「呪術系の研究の中で生まれたんだろう? これをレギオンズに――」
「……何故これが。これは2年前に完全に抹消したはず――」
アイザックの問いかけは途絶えた。オズワルドが異様と言っていいほど深刻な顔をしているからだ。
旧知の仲だがら察することができる。一瞬考え、結論に至った2人は顔を見合わせた。
「「やられた」」
同時にそういって2人は駆けだした。会議室にいる面々を押しのけて、全速力でエレベーターへと向かう。
今のアイザックの状態では転移術を使うことができない。もし無理に行使しようとすれば、体の一部だけが転移してしまうことも考えられる。
とにかく自らの足で急ぐしかない。慌てふためく2人の様子に驚いて声をかけてくる者を無視して2人は駆ける。
「完全に私のミスです。優秀だからと言って油断していたこの馬鹿な天才のミスです!」
「どうして疑うことがなかった!」
「4年前に彼に出会ったときには見たんですよ、彼の心境を! 天才的な私の術式行使マシンで! その時は子供の純粋な探求心しかなかった!」
「お前が見抜けなかったとなると相当の手練れか。厄介すぎるな。ああ、ちくしょう、そういえばさっき資料配り終わったとき、周囲を見たが何部か足りなかった気がしたんだ!」
「あなたもじゃないですか!」
「ああそうだよ! 悪かったな!」
極度の焦りが2人を襲う。まさかこんなにも近くに一番厄介な存在がいるとは予想していなかった。
どんなことをいってももう言い訳にしかならない。転移術が使える者が会議室にいないのも奴の予想通りなのかと思うと、2人はさらに苛立ち、焦った。
運よく到着したエレベータに飛び込み、1階のボタンをオズワルドが壊れそうになるほどに連打する。乗り込もうとした者たちが異様ともいえるその光景にためらい、外に残った。
「早く、早く、早く!」
とても長く感じるこの一瞬。1秒が1分に感じるほどの精神的ストレスが2人を襲っている。
ようやく扉が閉まり、2人を乗せたエレベーターが降下していく。その途中の階でエレベーターが止まるたびに、鬼の形相のアイザックが乗り込みを拒否していた。
背後の大きな窓から見える首都の全貌は美しいものだったが、焦る2人にはそれが目に入ることはない。オズワルドに連打された1階のボタンはすでに半壊している。階層を表示するパネルをアイザックが凝視していた。
1階にたどり着き、汗だくになりながらも人の波をかき分け、大食堂にたどり着く。朝食を食べる団員や職員が大勢いる中で、2人はバリーを探した。
しかし、見つからない。どこかに隠れているのか。そう考えていた時、用務員のおばさんが2人に話しかけてきた。
「アイザックさんと……、オズワルドさんですか? 男の子からメモを預かっているんですが」
手渡されたメモ。汗だくの2人は息を切らしながら、そこに書かれていた一文を読んだ。
『資料ありがとうございます。貴重な研究の成果、すべていただきました。また機会があったらお会いしましょう』
※※※
「球状物体内部にあった別の血液は一ヵ月前に襲撃されたのち、安否不明だったレイン・クウォーツゲルのものと判明。彼は訓練学校時代にて、あらゆる魔力が関係する物を消し去る、または打ち消すことができる能力を発現……」
防衛兵団本部の屋上で、少年が手に持った資料の中間部分を音読しながら確認していた。
彼のほかには屋上には誰もいない。それもそのはず、彼が入り口に細工を施してここに来れないようにしているからだ。
「中央病院に保管されていた彼の血液をログネスが手に入れていたことが調査で明らかに。血中に存在している彼のこの力を応用して、他人の視界から消し去る術式を球状物体に書き込んでいたと考えられる。実際、それだと思われる術式も復元された物から確認されている……。ふうん、そうなんだ」
すると、1階の出入り口から慌てた男2人が出てきたのを確認した。その様子は見ていて滑稽だった。
彼のこと、レインのことは前々から危険人物だとは思っていた。それに、消し去るという特殊な能力以外にも彼は呪詛弾を所持している。厄介極まりない存在だ。
レギオンズが一ヵ月前にログネスの協力で襲撃した際に、レインは姿を消した。見つけたのはそれから一ヵ月後。オズワルドの元に潜入してあらゆる研究成果を根こそぎ盗み出し、抜け出そうとしていた時期だった。
辺境の町に彼はいた。以前のことを忘れて楽しそうにしていた。少年はそれを見て虫唾が走った。イライラする。何を考えることもいないでいるその様子が。まるでレギオンズで活動している自分が否定されているようだった。
しかし、近々死ぬことになるだろう。新しい力が目覚めたと聞いているが、そんなことは予想の範囲内だ。それを超える戦力はレギオンズにもあれば、ログネスの元にもある。
もしこれ以降生き残ることができたのであれば、リーダーの言う通り、彼こそが生み出されたものだと認めざるを得ない。そうならないことを少年は祈りながらも立ち上がり、転移術の準備を始めた。
少年が帰るのは皆が待つ安息の場所。4年の時を経てようやく帰ることができ、少年は喜んでいた。
「それじゃあね教授。貴重な研究成果、存分にレギオンズで活用させてもらうよ」
慌てふためくオズワルドとアイザックを眼下に捉えたまま、少年は屋上から消えた。
少年の術式が解除された屋上に、職員たちがやってきた。何事もなかったかのよう談笑しつつ、売店で買ってきた朝食を食べ始める。誰も、屋上が封鎖されていたことに疑問を持ってはいないようだった。




