11 目覚めた先には
――新暦195年 7月 14日(木)
『プレザント』・とある事務所
16:40
「――?」
ウィンは目を覚ました。まだ覚醒しきっていないぼやけた視界に蛍光灯の光が入ってくる。寝心地が最悪な場所で、気を失う前のことを思い出そうとした。
黒い狼の姿となった男を見てからの記憶があいまいだった。うっすら覚えているのはただひたすらその男を追い掛けていたことと、リリィに銃を突き付けてしまったこと。
そうだ。あそこで自分を止めていなければ間違いなく撃っていた。何とか止めることができたが、危なかった。
リリィはどこにいるのだろうか。そう考えていた時に、ウィンはすぐ隣の気配に気が付いた。
「やあ。起きたみたいだね」
「どうわはぁ!?」
それが気になって顔を横に向けたそこには、見知らぬ優男の顔面が目と鼻の先にあり、ウィンは驚いて半身を起こした。
体温を感じるほど近づいていた優男はその様子を見て笑いながらも謝罪した。
「ごめんごめん。そんなに驚くとは思わなかった」
短めの銀髪の天然パーマに黒縁の眼鏡。赤い眼をした優男は、鍛えている感じはしないがそれなりに引き締まった体系だった。
何が何だか、なぜ自分がここにいるのか。理解できずに周囲を見渡す。
自分がソファに寝かされていたことに気が付いた。それなりに年季の入ったやつだ。ディアンの部品工房のおやっさんのところのソファよりも寝心地悪いなると、相当に使い込まれたボロソファだ。
しかしながら、そこを気にしていても仕方がない。何か今ここがどこだか分かる手掛かりがないか探す。その必死な様子を、すぐ近くで椅子に座って笑いをこらえながら優男が見ている。
いくつかの机と椅子。引き出しが多かいその見た目から、事務用のものだとウィンは推測した。だとしたらここはどこかの事務所か。しかし何故ここに自分が寝かされていたのかわからない。
混乱していると、右斜め前方にあった扉が開く、入ってきたその人影はウィンが起きていることに気が付くと、すぐさま走り寄って飛びついてきた。
「ウィン!」
「ちょまがっつ!?」
飛びついてきたリリィを何とか受け止めたものの、倒れた先にむき出しになっていたソファの骨組みに後頭部を強打し、ウィンは悶絶した。
それを見て慌てて離れて治癒術を使用しながらリリィが謝る。
「ごめん! 大丈夫?」
「あ、ああ。でも今度抱き着いてくるならもっとお手柔らかに頼む……」
後頭部の痛みが徐々に和らいでいく中、扉を閉めたウィルソンがこちらへとやってきた。
「お目覚めですかウィンさん。予想よりもかなり早いです。ご無事そうで何よりです」
「ありがとうウィルソンさん。でもここはどこなんだ……って、ん?」
話しかけてきたウィルソンに違和感を感じた。無愛想な様子は変わらないのだが、見た目が大きく変わっていた。
身に着けているのがスーツではない。地味な配色の普段着を身にまとい、いつもと変わらぬ無表情がそれと重なることで見た目のインパクトがかなり強くなっている。だが、それだけではない。ウィンに対しての対応が柔らかくなっている気がした。
半身を上げてそれを察知したのか、ウィルソンは説明を始める。
「これ以降付いていく中で、あのスーツ姿は目立ちます。ですので着替えてきました。これで旅する者の一人として疑われることはないでしょう」
「お、おう」
自信ありげに説明してくれるが、今までスーツと帽子をかぶっていた印象が強すぎて、目の前に立つウィルソンにウィンは反応に困ったように返答した。
「そして同行するのであればいつまでも様付けで呼ぶのもよくないと思いました。これからはさん付けで行こうと思います。私のことは気軽に『ウィー』とでもお呼びください」
「うぃ、ウィー?」
「はい。何でしょうか」
「いや……、何でもないっす」
「そうですか」
何かがズレているような気がしてならないが、ウィンは突っ込むことを止めた。こんなようでも彼自身はまじめなのだろう。その目からは一般人になりきろうとする熱意のようなものを感じた。
とりあえずは2人の無事を確認できてウィンは一安心した。その近くから、優男はにこやかな表情をしながらウィンに話しかけてくる。
「ともかく無事でよかったね。僕は『ケネス・リーガン』、フリーで運び屋をやってるんだ」
「運び屋ってことは……」
「そう。この僕が今回君たちを首都フォルニアへと送り届けるよ」
その笑顔を絶やさず、ケネスは立ち上がると、壁面に取り付けられたホワイトボードに近づいた。
すでにそこにはカダリア全体が大雑把に描かれている。そこに黒いマジックでケネスが書き込みながらウィンに対して説明を始めた。
「本来であれば中央ラインをそのまままっすぐ行けば首都なんだけど、生憎今封鎖されていて通ることができない」
南東に位置するプレザントの部分から線を伸ばしていくものの、その途中でバツ印を描く。ちょうどそこにはカダリアの中心部に位置する巨大な街『エルシン』がある。
「だから、西海岸沿いラインと下道を使用しつつ、君たちを送り届ける。これが今現在一番安全なルートだといえるね。『今現在』だけど」
最後に付け加えるように言って、ケネスは簡潔な説明を終えた。
アーノルドが言っていたのが彼なのだろうが、何故陸路の運搬系が大忙しの中なのにも関わらずこの仕事を引き受けてくれたのかウィンは理解できなかった。
ようやく働き始めた脳を使ってそのわけを考えていると、ソファのすぐ近くの椅子に腰かけたリリイが困ったような顔をしながら説明してくれた。
「ケネスさんがこの前の仕事で運んだ物の中に、麻薬がかなりの量仕組まれてたんだって。本人はそれを全く知らなかったのが証明されたんだけど、治安警備隊に捕まったってことで評判が地に落ちちゃったらしいよ」
「うわー……」
ウィンは苦笑いしながらケネスを見た。巻き込まれたとはいえ、信頼性が下がるとここまで仕事が来ないものなのかと、ケネスを哀れんだ。
その表情のウィンに、ケネスは笑いかける。その様子からは、全く落ち込んでいるのが感じられない。
「でも大丈夫。今回君たちを送り届けて信頼性の回復を実現していくから」
その見た目からは想像できないが、精神面では結構強い様だ。まだ挽回のチャンスがあると思える前向きなその姿勢は見ていて少し頼もしい。
ホワイトボードに書かれた線を消すとケネスは笑顔でその場にいる全員に呼びかけた。
「よし、それじゃあ時間になったし、そろそろ行こうか」
「え゛? もう出発するのか!?」
「そうか、ウィン君はずっと寝てたしね。まあ、もう決まったことだから。さあ、長旅にレッツゴー!」
楽しそうにケネスは手早く事務所の最後の片付けを始めた。とはいっても物がないために、それはあっという間に終了してしまう。
まさかもう出発するとは考えていなかった。というかそれを聞いて焦り始めてウィンは思い出し始めていた。
結構派手に暴れていた気がする。結構どころではなくて物凄いレベルで。町はあの後どうなったのだろうか。様々な心配が今になって頭の中を埋め尽くした。
その心配する様子に気が付いたリリィが近づき、小さな両手でウィンの右手を包んだ。
「大丈夫。ウィルソ……じゃなくてウィーが頑張ってくれて、何とかなったから。その経緯は道中で説明するから、安心して」
「……わかった。ありがとう、リリィ」
「どいいたしまして」
リリィはウィンを勇気づけるように微笑んだ。小さな手のぬくもりと、その笑顔を見てウィンは安心することができた。
そうともなれば、とにかく今は身支度を整えなければ。ウィンは静かにその場から立ち上がり、準備に取り掛かった。
※※※
「何故だ……っ! 何故このタイミングで……っ!」
一人のスーツ姿の長身の男性が白いものに腰かけて、頭を抱えていた。その顔は焦りを感じてひどく歪んでいた。
「不安要素は排除したはず……! だのに何故だ! 何故いまさらになって破壊されてしまった……!」
予想外過ぎる事態だった。このままうまくいけば全てを掌握するのは時間の問題だったのに、ここにきてこんなことが起こるとは。
唯一の不安要素は消え去ったはずだった。まさかそれが上手くいっていなかったとでもいうのだろうか。それだとしてももう一ヶ月は経っている。
怒りと焦りに満ちて歪む顔。そんな状態の男に、扉越しに報告がやってきた。
「『ログネス』様! たった今情報が入りました!」
「早く! 早く報告を!」
一体どこの誰がやったのか知りたい。早く。早く。
頭を抱えるログネスはイライラと何かに耐えることで必死だった。
「内通者によると、『天才式・虚無障害発生器for禁忌バージョン』は青年の銃撃によって撃ち落とされたっとのことです」
「撃ち落とされただと!?」
長ったらしく自己主張の激しい結界発生器の名称を聞いて、あの腹立たしい臭い豚を想像してログネスはさらに苛立ちながらも、その報告に驚愕した。
撃ち落とされた。まさか。そんなことあってはいけない。だとしたらあいつしかいないじゃないか。
「その青年は一か月前に消息を絶ったレイン・クウォーツゲルだと思われます!」
「そんなバカなことがあってなるものかああぁぁぁ!」
ログネスの絶叫が小さな部屋の中に響き渡った。そしてついにあれに耐えきれなくなった。
「あああぁぁぁぁがぁぁぁぁぁ!? 腹がぁぁぁぁ!」
響き渡るのはとても汚い不協和音。ログネスの下腹部から放たれた音は、汚らしい音を上げ続け、洋式便器へ固形物と液状のものを生み出し続けた。
結界への過度なダメージは、それを展開している支配している者に伝わってくる。その影響が今、ログネスを襲っているのだ。
「うんぬあぁぁぁぁぁ……! あんの脳筋猿2匹が……! 絶妙なタイミングで暴れ始めやがってんほのおおぉぉぉ……!」
発生器が撃ち落とされた影響ももちろん大きいが、閉じ込めた中で暴れる2人の男の馬鹿力がさらに追い打ちをかけていた。
痛みに悶え、涙目になりながらも、ログネスは震える声で指示を出す。
「し、至急隠ぺい工作を……! ここでばれたら今までの全てが水泡に帰すことに……!」
「そ、それが、現地にたまたま居合わせたという調査員が発生器の写真を撮影。すでに首都へとデータが送られ、その写真から解析が始まっているそうです」
「いいいいいっぃいぃぃぃやあああぁあぁぁぁぁ!」
人生一番の絶叫がこだまし、それと同時に排泄音も響き渡る。焦りで歪んで頭を抱える男が腹を壊して絶叫するという、最悪の絵面。
やられた。やらかしてしまった。ここにきてこんな。ああ、やってしまった。ただただ、ログネスは頭を抱えた。
もう時間はほとんど残されていない。無駄とも呼べるほどに正確で素早い技術開発局の変態解析班も恐らく加わっているはずだ。
急がなければ、次の一手を。出し抜いて、蹴落として、その上へと上り詰めるために。
「何故だ、何故だ! なぜ故の何故だあああぁぁあ!」
気持ちを切り替えるための最後の絶叫が響き渡った。
「うんぬおおおおぉぉぉぉぉぉお!?」
そして、終わることのない腹痛と凄まじく汚らしい排泄音は響き渡り続けた。




