10 殺意
いつも通りの学校帰り、いつも通りの友達、いつも通りの家。ほんの少ししか変化はないが、そんな毎日を何だかんだいって楽しむ少年は自宅に到着した。
今日は父が開発局から早めに帰ってくる日なので、少年は大好きな武器いじりを楽しみにしていた。
「たっだいまー!」
勢いよく玄関の扉を開け、靴を適当に脱ぎ捨てながら少年は家の中を駆ける。目的地は両親がいるであろうリビングだ。
毎日泊まり込みを続けているので会えない父に会える。心を弾ませながら少年はリビングの扉を開けた。
「父さん! 今日は――」
少年の声は途切れた。
扉を開いた真正面の窓のところに、苦悶の表情のまま腹に大きな穴を開けて母が横たわっていた。
状況が理解できない。喉の奥から何かがこみ上げてくるのを感じながら、少年はテーブルのある右の方へと視線を移す。
「……ああ?」
大きな獣がこちらを見て面倒くさそうな声を上げた。いや黒い狼の亜人だ。その男の腕には力尽きた父が頭を掴まれている。
黒い狼は左手で頭をかきつつ、父を適当に投げ飛ばしてこちらに向かってきた。
「じゃあなクソガキ」
※※※
青年は目を覚ました。しかし、動けない。視界も周囲が舞い上がった塵に覆われて把握できなかった。
視線を下に落とすと、腹から下が瓦礫の下敷きになっていた。もがくも体に力が入らない。感じるであろう激痛もない。どうやら手遅れなのかもしれない。そう考えた青年の視界に何かが入ってきた。
「こんばんわー、レイン隊長殿ー」
現れたのは黒い狼の亜人。その顔には見覚えがある。というよりも忘れるわけがない。
こちらの様子を見ると黒い狼は笑っていた。
「あちゃーこりゃ助からないわな。いくらレイン隊長殿でも寝込み襲われたらひとたまりもないんでございますねー」
こちらを馬鹿にした態度で話し続ける黒い狼に、青年は激しい怒りを感じていた。
体さえ動けば今すぐにでもその苛立たしい顔に風穴を開けることができるのに。動かない自身の体を恨む。
この時のために、自分はこれまで死にもの狂いで努力を重ね、血反吐を吐きながらも自分を鍛えてきた。それなのにこのざまである。青年の心には無念と怒りの感情が激しく渦巻いていた。
やがて、黒い狼は笑いを止め、ゆっくりと右手を近づけてくる。両親の仇を討ちたいという怒りの念と死にたくないという恐怖の念が心の中で満たし、今にも溢れかえりそうになる。
持てる限りの力で青年は黒い狼の亜人を睨み付ける。そのもがく様子を見て、仇は嘲笑しながら告げた。
「それじゃ、『呪詛弾』もらってくわ。その後は勝手にくたばりな、レイン隊長殿」
※※※
力がほしかった。あの黒い狼を殺すための力が。大切なもの全てを、どんなことからでも守り通せる力が。
ひたすらに頑張る。今までそういった訓練も練習もしていなかったなんて関係ない。才能がどうとかも関係ない。家柄なんか関係ない。
終着点はない。あってはならない。あいつを確実に殺すためなら、たとえ力を手に入れるために誰から恨まれることになっても気にしない。
殺す。殺すんだ。黒い狼を。獣の亜人を。生かしておいてはいけないんだ。
青年は空に向かって叫んだ。それが知性のない物でもいい。この怒りを吐き出すためにただひたすらに叫ぶ。
そして、大きく踏み込んだ。一直線に憎むべき対象へと向かっていく。
そいつを殺すために赤熱した剣を振り下ろす。それを硬質化した体毛で受け止められるが、赤く高熱を帯びた剣に耐えかねて黒い狼は後方へと飛びのいた。それに対して左手に握った大型拳銃で追撃を行いつつ距離を詰める。
放たれたそれを弾きつつ、黒い狼はフェンスを飛び越えて逃走を開始した。迷うことなくそれを追い掛ける。
7階建ての役所を飛び降り、上空から迫るこちらに向けて赤い光弾を放ってきた。避ける必要はない。それを真正面から受け止め、自らの力で打ち消す。それを見て驚愕した黒い狼に、落下速度を利用した強烈な蹴りを繰り出した。すさまじい衝撃が周囲を襲う。
大きく砕かれめくりあがったアスファルトに黒い狼はいない。殺せなかった。でもまだ殺せる。まだ近くで殺せる。
集中すると、町の外の森林へと全速力で逃げる黒い狼の魔力を見つけた。半分以上が仮面のようなものにに覆われている顔の口元が喜びで歪む。
自らの力で空中へ浮遊し、殺したい奴へ向けて全速力で移動を始めた。やがて、町の端の工事現場のところで追い付き、その背後の横っ腹を横なぎに切り付けた。
硬質化しても防ぎきれなかったその斬撃に黒い狼が苦悶の声をあげる。そのまま空中で回し蹴りによる追撃をおこない、資材置き場に吹き飛ばした。
大きな音を立てて資材が崩れ落ち、やがて静かになる。周囲では逃げ惑う人が多くいるが気にしない。こいつはここで殺さないといけない。まだ生きているのを察知し、崩れた資材の山へ近づく。目の前に迫ったところで光弾が資材を蹴散らしながら向かってきた。
目くらましだとしても無駄なのに。そう思い、光弾を打ち消しつつ前進していく中で繰り出されてきた右ストレートを右手で受け止めた。そのまま離すことなく黒い狼の右拳を握りつぶした。
絶叫する黒い狼を見て、自分自身も楽しくなって狂ったように笑い声をあげる。やっと殺せる。やっとここで。白く歪に変化した右腕の血を払い、眼前で怯える哀れな黒い狼に近づいていく。
逃げられないように右足を千切れない程度の力で踏み砕き、悲鳴を上げ続ける黒い狼の眉間に左手の大型拳銃の銃口をつきつける。
念願のその時が来た。これまでの努力が報われる時が来た。やっとその時が来た。
「死ね」
静かにそう言い放った。引き金に指をかける。これで殺せる。これで終わり。
しかし、邪魔が入った。頭上で何かが断ち切られるような音がした。気になって見上げると、そこには降り注ぐ何本もの鉄骨があった。勢いよく落下してきたそれは青年と黒い狼を巻き込んだ。辺り一面が土埃が舞い上がる。
一瞬身動きがとれなくなったが、咆哮とともに積み重なっていた鉄骨をすべて吹き飛ばした。周囲に飛ばされた鉄骨が、建設中の建物に直撃する。
邪魔されたがまだ足を潰している感覚はある。急いで左手の大型拳銃を構えた。だがそこに黒い狼の姿はない。あるのは太ももから下を切り落とされて残っている右足だけ。
どこにいった。周囲の魔力を捜索するも、見当たらない。逃げられたか? 隠れているのか?
青年は右手にもう一丁の大型拳銃を握り、周囲の隠れられそうなところへ無差別に攻撃を始めた。その銃口から放たれる異常に強化された一撃は、重機や建造物を軽々しく破壊していく。
どこだ。どこにいった。早く殺してやるからどこにいった。早く殺したいのにどこにいった。
周囲の隠れられそうな物を破壊しつくし、やり場のない怒りを咆哮にに変えて空へと叫ぶ。殺せるのに逃げられた。逃げられたら殺せない。殺したいのに殺せない。
ひたすら叫び続けた。枯れることのないその声で。そんな中で、青年は背後に突然2つの気配が現れたのに気付いた。
殺せる。そう思い大型拳銃を構えながら振り向く。
「……ウィン?」
青年の動きが止まった。目の前にいたのは今にも泣きだしそうな顔で震えている狐耳の少女。
獣の耳だった。獣ならあいつの仲間かもしれない。その後ろにいるスーツ姿の人間も。
引き金に指をかける。躊躇する必要なんてない。情に訴えかけようとするのは奴らの汚い手口に間違いない。殺す。
「お守り……してくれてるんだね。ありがとう」
そういって狐耳の少女は泣きながらも強がったような笑顔を見せた。
少女はネックレスを身に着けていた。小さく加工された魔鉱石のネックレス。それと似たようなものも青年は身に着けている。
青年は緑色。少女は琥珀色。手渡されたんだ、あのミミズの化け物を倒す前に。白い異形の姿となっていた青年の口が開く。
「リリィ」
「……うん。私だよ」
小さく、目の前の少女の名を呼んだ。それに静かにリリィは答える。
殺したい。黒い狼を。獣の亜人を。でも違う、彼女は、この少女は、リリィは殺しちゃいけない。絶対に。
自らに青年は言い聞かせる。引き金を引きそうになっている手を必死に止めようともがく。
青年に引っ張られる自分に活をいれつつ、主導権を握るためにウィンは自ら言い聞かせるようにつぶやいた。
「俺はリリィと一緒にいたいんだ。これからも、何があったって……!」
ウィンはこれからの自分の将来像を青年へとぶつける。
記憶を失った自分を受け入れ、それどころか町の一員として扱ってくれたあの町にいたい。そこで出会って、いろいろなことを教えてくれて、いつも可能な限り一緒にいたリリィとこれからも一緒にいたい。
俺は確かに黒い狼を倒すために必死に努力して、死ぬ気で勉強もしたんだろう。でも、それでも、『今』の俺は、『ウィン』はただあの町の一員として暮らしていきたいと心の底から願っている。
『今』の俺は、『ウィン・ステイシー』なんだ。
「だから、頼む。分かってくれよ!」
ウィンは叫んだ。自分のために。リリィのために。
すると、全身が温かな光に包まれていく。その光が消えたそこには、人の姿に戻ったウィンが立っていた。
だが、突然凄まじい疲労感に襲われ、前のめりに崩れ去ってしまう。それを慌てながらもリリィが受け止めた。
薄れ行く意識の中でウィンは温かいリリィの腕の中で、静かにつぶやいた。
「ただいま、リリィ」
「お帰り、ウィン」




