第2話『学校でも自然体で』
席替えをした後、ホームルームが終わって、そのまま終礼が行なわれる。
明日から授業が始まり、平常通り6時間目まで授業があるとのこと。明日からフルタイムで授業があるけど、席替えをして結衣が俺の前の席に来たから、学校生活を楽しく送ることができそうだ。
「以上で今日の終礼を終わります。今週の掃除当番は4班です。では、委員長。号令をお願いします」
福王寺先生がそう言い、委員長の女子生徒による号令によって、今日の学校はこれにて終わった。4班が掃除当番ってことは、伊集院さんのいる班が掃除当番か。
終礼が終わると、部活動のある生徒を中心に教室を後にする。中には、
「杏樹先生、さようならー」
「うん、さようなら」
「福王寺先生、ゴーフレット美味かったっす! また明日っす!」
「それは良かったわ。また明日」
福王寺先生に声を掛けて教室を出ていく生徒も何人もいる。生徒に声を掛けられた先生は穏やかな笑顔で応対していて。1学期に比べると、学校でも柔らかい雰囲気になったなぁ。
「ねえ、悠真君。今日の杏樹先生……1学期に比べて柔らかくなってない?」
結衣は俺の方に振り返り、俺にそう問いかけてくる。結衣も、今日の福王寺先生の雰囲気が1学期とは違うことが気になっていたか。
「俺もそう思ってた。素のモードに近い柔らかさだったよな」
「だよね」
「2人も今日の杏樹先生の雰囲気が気になっていたのですね」
俺達の会話が聞こえたのか、伊集院さんはそう言って俺達のところにやってくる。
「2学期になったのを機に、クールモードにはならないと決めたのでしょうか」
「その可能性はありそうだね、姫奈ちゃん」
「勉強や進路のことを話すときに真面目な雰囲気だったけど、1学期のようなクールさはあまり感じられなかったもんな」
「そうだね、悠真君。杏樹先生に訊きに行こうか」
「そうだな」
「そうしましょう」
俺と結衣は自分の席から立ち上がり、伊集院さんと3人で教卓の側に立っている福王寺先生のところに行く。
今も福王寺先生は穏やかな笑顔で、教室を後にする女子生徒に小さく手を振っていた。
「杏樹先生」
「……あっ、結衣ちゃん。それに、低田君に姫奈ちゃん。3人で一緒に来てどうしたの?」
「今日の杏樹先生は、1学期とは雰囲気が違うと思いまして。それが気になって。今日は柔らかい雰囲気でしたし」
「クールモードにはならないと決めたように見えたのです」
「素のモードの福王寺先生に近い感じがして。みんな気になって、こうして訊きに来たんです」
「なるほどね」
福王寺先生はそう言うと、俺達に優しくて柔らかい笑顔を向けてくれる。その笑顔はプライベートのときに何度も見てきた笑顔だ。
「姫奈ちゃんの言うように、2学期になったのを機に、学校でも自然体で振る舞おうって決めたの。もちろん、教師として授業などでは真面目にするのを心がけてね」
「そうなのですか」
学校でも自然体で……か。だから、今日の福王寺先生の雰囲気は柔らかくて、笑顔を見せることが多かったんだな。
また、心がけていることは忘れず、ホームルームで勉強や進路のことを話すときは真面目でしっかりとした雰囲気だった。
「杏樹先生。どうして、1学期のようなクールモードにはならないと決めたんですか?」
結衣は福王寺先生にそう問いかける。それは俺も知りたいことだ。
「プライベートで結衣ちゃん達には素で接しているよね。それが楽しくて。1学期の後半……私が風邪で休んだ後の頃から、学校でもちょっとずつ笑顔を見せるようになって。あなた達以外にも笑顔がいいって言われるのが嬉しくて」
6月頃に福王寺先生は風邪で休んだことがあった。
風邪が治り、再び学校に来たとき、先生はみんなの前で素のモードのときのような柔らかい笑顔を見せて。そのときは男女問わず可愛いと盛り上がった。振り返れば、あの頃から、先生は学校でたまに笑顔や微笑みを見せるようになったっけ。
「学校ではクールな感じで立ち振る舞ったのは教師としてしっかりするためだったり、生徒に舐められないようにするためだったりしたの。でも、素はあんな感じだから、クールな雰囲気でいることに疲れちゃうときもあって。クールビューティーって呼ばれるのは嬉しかったけどね。学校でも自然体で振る舞えば、今まで以上にいい教師生活を送れるかなって思ったの。1学期とは雰囲気が違うことにどう思われるか不安だったけど、素の私をよく知る生徒がうちのクラスに3人、隣のクラスに1人、2年生に1人いるから勇気が出て。それで、2学期からは、学校でも自然体で生活しようって決めたの」
穏やかな笑顔で福王寺先生はそう言った。
学校で見せるクールモードな福王寺先生と、プライベートを中心に見せる素のモードの先生とでは全然違うからな。先生にとって、学校にいるときは仕事中。だから、教師や社会人として気を張って、それに疲れることもあったのだろう。それでも、クールビューティーと言われることを嬉しがるのは先生らしい。
これまで、プライベートのときだけど、俺や結衣、伊集院さん、胡桃、中野先輩という現役の生徒に自然体で接したこと。学校で何度か見せた自然な笑顔が、俺達以外の生徒にいいと言われたこと。その積み重ねがあって、2学期からは学校でも自然体でやっていこうと決断できたのだと思う。
「そうだったんですね。とても素敵な決断だと思います」
「そうだね、悠真君。素の先生は素敵ですから、その姿をこれからは学校生活の中で見られると思うと嬉しいです」
「2人の言う通りなのです。それに、あたし達の存在が杏樹先生の後押しになれたことが嬉しいのです」
「そうだな、伊集院さん」
「そうだね、姫奈ちゃん!」
「3人ともありがとね。自然体だからか、1学期よりも生徒達に気軽に声を掛けてもらえたし。良かったわ」
ほっと胸を撫で下ろし、安堵の笑みを浮かべる福王寺先生。
柔らかい雰囲気の福王寺先生を可愛いと言っていた生徒が何人もいたし、終礼が終わった後にも先生に声を掛けて教室を後にする生徒も複数人いた。だから、自然体の先生も生徒達に受け入れてもらえるんじゃないかと思う。
「ゆう君、結衣ちゃん、姫奈ちゃん、お疲れ様」
胡桃の声が聞こえたので、そちらを振り返ると、スクールバッグを肩に掛けた胡桃がすぐ近くにいた。
「あと、杏樹先生が3人にお礼を言っているように見えたのですが」
「学校でも自然体の私で振る舞おうって決めて。その勇気をくれた3人にお礼を言っていたんだよ。もちろん、胡桃ちゃんのおかげでもあるわ。ありがとう」
「いえいえ。あと、杏樹先生の笑顔が好きなので、これからは学校の中でもそういう姿が見られると思うと嬉しいです」
胡桃は持ち前の柔らかい笑顔でそう言った。福王寺先生が風邪から復帰した直後、先生が学校で笑顔を見せたとき「可愛い笑顔を見せてくれると嬉しい」と言っていたからな。
「今まではクールビューティーって呼ばれていたけど、これからはキュートビューティーって呼ばれるようになるかもね」
「そうだね、結衣ちゃん」
「笑顔の杏樹先生は可愛いので、その可能性は十分にあり得るのです」
「キュートビューティーか。それもいいわね」
と、女性4人は盛り上がっている。
今日の福王寺先生を可愛いと言っている生徒は何人もいたから、いずれは「キュートビューティー」って呼ばれるようになるんじゃないだろうか。
「あっ、そうだ。胡桃ちゃん、旅行のお土産で抹茶のゴーフレットを買ったの。胡桃ちゃんの分もあるから」
「いいんですか? あたし、先生と一緒に旅行に行きましたけど」
「一緒に旅行に行ったからだよ。低田君達にも1枚ずつあげたわ」
「そうですか! ありがとうございますっ」
ニッコリと笑いながら胡桃はお礼を言った。
福王寺先生は紙袋から抹茶のゴーフレットの入った箱を取り出す。箱からゴーフレットを1枚手にとって、胡桃に渡した。
「まさか、先生からもらえるとは思わなかったので嬉しいです」
「喜んでくれて嬉しいわ」
「結衣と伊集院さんと俺のお土産もあるんだ。持ってくるよ」
俺は自分の席に抹茶味のクッキーを取りに行った。そのクッキーを胡桃に渡す。
「はい、胡桃」
「ありがとう! 凄く嬉しいよ! 3人ともありがとう!」
胡桃はニコニコしながらそう言う。福王寺先生のゴーフレットと一緒に美味しく食べてもらえたら何よりだ。
「あたしからはうなぎパイを渡します。クラスメイトへのお土産だったんですけど、買った枚数が多めで。5枚余ったので、学校でもお世話になっているゆう君達4人と千佳先輩に」
「ありがとう、胡桃」
「ありがとう、胡桃ちゃん」
「ありがとうなのです、胡桃」
「胡桃ちゃんありがとう。午後の仕事中にいただくわ」
俺達4人は胡桃からうなぎパイを1枚ずつもらった。うなぎパイは静岡県の名菓だし美味しいよな。
「あとは千佳ちゃんだけど、千佳ちゃんのクラスは別の校舎だからなぁ……」
「ですね、杏樹先生」
「俺が渡しましょうか? 昼過ぎから中野先輩と一緒にバイトがありますし、クッキーも渡すつもりですから」
「じゃあ、千佳ちゃんにもお願いできるかな、低田君」
「お願い、ゆう君」
「いいですよ」
「ありがとう。よろしく」
「ゆう君、よろしくね」
福王寺先生から抹茶のゴーフレット、胡桃からうなぎパイを受け取る。芹花姉さんだけでなく、中野先輩にも渡すことになったか。割ってしまわないように気をつけないとな。
「これから掃除するのに、いっぱい話しちゃったわね。姫奈ちゃん、掃除をやろうか」
「分かりました」
「じゃあ、私達は廊下で待ってるね」
「頑張ってね、姫奈ちゃん」
「頑張れよ」
「ありがとうございます」
「……あっ、そうだ。低田君」
福王寺先生は俺の名前を呼ぶと顔を近づけて、
「2学期も新曲を期待していますよ。低変人様」
と、いつもよりも甘い声で耳打ちしてきた。
福王寺先生の言う低変人とは、俺が自作の音楽をネット上で公開するときの名前だ。先生は低変人の熱狂的ファン。
低変人の正体が俺であることは隠しているので、普段は低田君と呼び、俺が低変人だと知っている人がいる場でのみ「低変人様」と呼ぶ。ただ、今のように学校で耳打ちするときにも低変人様と言うこともある。
「ありがとうございます」
とお礼を言うと、福王寺先生はニコッと笑った。至近距離で笑うのでキュンとくる。
夏休み中はバイトや結衣達との予定がたくさんあったので、去年までに比べると公開した曲数は多くない。ただ、ふと思いついたメロディーをギターやMIDIキーボードを使って結構録音したので、それらを使って新曲を作っていきたいな。
その後、俺はスクールバッグを持って教室を後にし、廊下で結衣と胡桃と一緒に掃除当番の伊集院さんのことを待つ。バイトは昼過ぎからなので、バイトの前に4人でお昼ご飯を食べることになっている。
扉が開いているので、掃除をしている伊集院さんと福王寺先生の姿が見える。先生は伊集院さんだけでなく、他の掃除当番の生徒とも楽しそうな笑顔で喋っている。あの様子なら、これからも自然体で教師として振る舞っていけるだろう。
バイト先の喫茶店で中野先輩に、帰宅して芹花姉さんにそれぞれ、俺と結衣と伊集院さんからのクッキーと、福王寺先生からのゴーフレットを渡した。中野先輩には胡桃からのうなぎパイも。
お土産をもらえるとは思わなかったのか、2人ともとても喜んでいて。それが嬉しくて、温かい気持ちになる。自分からのものでも、誰かから頼まれたものでも、お土産を渡すのはいいものだ。
福王寺先生から新曲を期待していると言われたのもあり、この温かい気持ちを曲にしようと決めた。キーボードを使って優しい雰囲気のピアノ曲を作り、『おみやげ』というタイトルでネット上に公開した。
公開するとさっそく、動画サイトのコメント欄はもちろん、結衣や福王寺先生など低変人が俺だと知っている人達からも「新曲最高だよ!」と感想をもらえて。また、パソコンのメッセンジャーを使い、『桐花』として俺とやり取りをしている胡桃からも、
『温かい雰囲気で素敵な新曲だね、低変人さん。これからの季節に合いそうだよ』
という感想メッセージをもらえて。そのことに、とても嬉しい気持ちになった。