プロローグ『2学期の始まり』
2学期編
9月2日、月曜日。
今日から高校1年生の2学期がスタートする。
これまで、俺・低田悠真は長期休暇が明けると気が重くなっていた。今日のように月曜日スタートだと尚更に。
ただ、今回は違う。全く気が重くなっていない。むしろ、楽しみなくらいだ。
そう思える一番の理由は、高嶺結衣という恋人の存在のおかげだろう。
6月から付き合い始めた結衣とは、夏休み中もデートやお泊まり、旅行などで思い出をたくさん作ってきた。夏休みを経て、結衣のことがさらに好きになって。結衣はクラスメイトだから、今日からまた一緒に学校生活を送れるのが楽しみなのだ。
また、高校には友達でクラスメイトの伊集院姫奈さん、隣のクラスにも友達の華頂胡桃、1学年上にはバイトの先輩でもある中野千佳先輩もいる。担任はプライベートでも親交のある福王寺杏樹先生で。彼女達の存在も、今日からの学校生活を楽しみだと思わせてくれる理由の一つだ。
「よし。これで大丈夫かな」
忘れ物がないことと、自室にある鏡で服装が大丈夫であることを確認。スクールバッグと、夏休み中の伊豆旅行で買ったクラスメイトへのお土産が入った紙の手提げを持って自分の部屋を出る。
1階に降りると、キッチンの食卓で母さんと現在夏休み中の大学生・芹花姉さんがのんびりと朝食を食べていた。
俺は水筒に冷たい麦茶を入れる。水筒をバッグに入れた。
「母さん、芹花姉さん、いってきます」
「いってらっしゃい、悠真」
「……いってらっしゃい、ユウちゃん」
俺が声を掛けると、母さんと芹花姉さんは笑顔でそう言ってくれる。ただ、姉さんはちょっと寂しそうにも見えて。
「どうした、姉さん」
「……ユウちゃんは今日から学校なんだよね。昨日までは一緒にいられる時間が多かったから、何だか寂しいな。だから、ユウちゃんを抱きしめてもいい?」
「ああ、いいぞ」
「ありがとう!」
嬉しそうな笑顔でお礼を言う芹花姉さん。
芹花姉さんが抱きしめやすいように、バッグと紙の手提げをソファーに置く。
芹花姉さんは食卓の椅子から立ち上がり、俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。姉さんの温もりや柔らかさ、甘い匂いが心地良い。
俺が夏休みの間は、俺は喫茶店のバイトや結衣とのデートなど、芹花姉さんはファミレスのバイトやサークルなどの予定があったけど、学校がある時期に比べたら一緒にいられる時間は多かった。だから、姉さんは寂しい気持ちになったのだろう。俺を抱きしめたくなり、実際に抱きしめるのがブラコンの姉さんらしい。
俺が芹花姉さんの頭を優しく撫でると、姉さんは「えへへっ」と嬉しそうに笑う。まったく、可愛い姉さんだよ。俺と同じようなことを思っているのか、母さんは俺達のことを見ながら「ふふっ」と笑っている。
「……うんっ。ユウちゃん成分を摂取できた。これで乗り越えられそう」
1分ほど俺を抱きしめると、芹花姉さんはそう言って俺から離れた。姉さんの顔には姉さんらしいニコッとした笑みが浮かんでいて。
「それなら良かった。あと、ユウちゃん成分って何なんだ?」
「ユウちゃんの匂いや温もりのこと。それを感じると私は元気になれるんだよ」
「そういうことか。姉さんらしいな」
「ふふっ。いってらっしゃい、ユウちゃん!」
「ああ。いってきます」
俺は家を出て、通っている東京都立金井高等学校に向かって出発する。
今日は朝からよく晴れている。雲がほとんどなくて。この綺麗な青空を見ていると、2学期のいいスタートが切れそうな気がした。
日差しが強く、直接浴びると結構暑い。ただ、空気が爽やかなので、建物や街路樹による日陰に入ると暑さが結構和らいで。季節が秋になったんだと実感する。
数分ほど歩くと、金井高校の校舎が見えてきた。あそこに結衣達がいると思うと胸が高鳴る。
夏休み中は高校に行くことがなかったので、このあたりの道を歩くのは1ヶ月半ぶり。学校に向かっている生徒達を含めて懐かしい光景だ。
校門を通り、自分のクラスの1年2組の教室がある第2教室棟へ向かう。
昇降口でローファーから上履きに履き替え、教室のある2階へ。久しぶりの学校だからか、廊下では友達同士で談笑している生徒がちらほらと見受けられる。
俺の席は窓側最後尾にあるので、後方の扉から1年2組の教室に入った。
「おー、低田か。久しぶり」
「おはよう、低田」
扉の近くにいた2人のクラスメイトの男子達が俺に挨拶をしてくれる。中学までは新学期に登校しても挨拶されることは全然なかったから新鮮な感覚で。
男子達に続いて、男女問わず何人ものクラスメイトが俺に向かって「おはよう」と声を掛けてくれる。中には笑顔で言ってくれる人もいて。これも、人気者の結衣と6月から付き合っていたり、バイト先の喫茶店で接客したりしたのが大きいだろう。
「みんなおはよう」
挨拶してくれたクラスメイト達を見ながら、俺は挨拶をした。そのことで笑顔になるクラスメイトが多くなって。それが嬉しかった。
「あっ、悠真君!」
今の俺達のやり取りが聞こえたのだろうか。自分の席で、胡桃や伊集院さん達と話していた結衣は嬉しそうな様子で俺に手を振ってくる。胡桃や伊集院さん達も手を振ってきて。
俺が結衣達に手を振ると、結衣は俺のところに駆け寄り、ぎゅっと抱きしめてきた。結衣の温もりや甘い匂い、体の柔らかさが心地いい。付き合い始めてから、登校するとこうしてくるのが恒例だ。2学期もこれは変わらなそうだ。
「悠真君、おはよう!」
「おはよう、結衣」
朝の挨拶を交わすと、結衣はニコッと笑ってキスしてきた。夏休み中も結衣とたくさんキスしたけど、結衣とのキスはとてもいいな。幸せな気持ちになる。結衣がキスしてくれたおかげで、2学期がとてもいい日々になると確信できた。
結衣は唇を離すと、恍惚とした笑顔になり、俺の胸に頭を埋めてきた。スリスリもしてきて。2学期になっても結衣はとても可愛い。
「悠真君、温かくていい匂いがする。2学期になっても悠真君を感じられて幸せ」
「結衣も温かくていい匂いがするぞ。俺も幸せだ。2学期もよろしくな」
「うんっ、よろしくね!」
結衣は俺を見上げて、明るい笑顔で返事をしてくれる。ほんと、俺の彼女はとても可愛いな。
結衣は再び俺の胸に顔を埋める。そんな結衣の頭を俺は優しく撫でる。結衣の髪はとても柔らかく、シャンプーの甘い香りがして。気持ちが癒やされる。
「……何だか、女性の甘い匂いもするけど……これはお姉様かな」
「あ、ああ。家を出発するときに芹花姉さんに抱きつかれてさ。俺の学校が始まるから寂しいって」
「ふふっ、お姉様らしい。お姉様なら全然OKだよ」
芹花姉さんがブラコンなのは結衣も知っているからな。だから、結衣もOKだと言ってくれたのだろう。
それにしても、結衣の嗅覚は凄いな。10分ちょっと前だけど、俺に抱きついてきた芹花姉さんの匂いを嗅ぎ分けるなんて。そういえば、結衣に初めて好きだと告白されたとき、結衣は教室にいたのに、教室の外にいる俺の匂いを感じ取ったっけ。
「ゆう君、おはよう」
「おはようございます、低田君」
胡桃と伊集院さんが笑顔で俺のところにやってくる。
「胡桃、伊集院さん、おはよう。2学期もよろしくな」
「うんっ! よろしくね!」
「こちらこそよろしくなのです! 結衣と低田君が仲良くしている光景をさっそく見られましたし、2学期も楽しくなりそうなのです」
「そうだね、姫奈ちゃん。姫奈ちゃんがこのクラスなのが羨ましいくらいだよ。2学期も昼休みとかには遊びに来るね」
「ああ」
俺がそう返事をすると、結衣と伊集院さんも笑顔で胡桃に向かって首肯した。
1学期は昼休みになると俺と結衣、伊集院さん、胡桃の4人でお昼ご飯を食べ、4人で過ごすのが日常になっていた。2学期になってもそれは続きそうだ。
それから少しの間、俺達4人で夏休み中のことについて話していく。みんなで行った伊豆旅行や、数日前に開催された花火大会のことを中心に。だから盛り上がって。こうして話すと、今年の夏休みは色々なことがあったのだと実感する。
胡桃が3組の教室に戻った頃には、クラスメイトの大半が登校していた。なので、結衣と伊集院さんと一緒に、旅行のお土産を配った。お土産は有名なクッキー菓子の静岡限定抹茶味だ。
結衣と伊集院さんとのお土産でもあるので、クッキーを渡すと多くの生徒は喜んでおり、
「美味え! 高嶺からお土産をもらえるなんて……! 低田っていう恋人がいるから、高嶺からお菓子をもらえる日が来るとは思わなかったぜ!」
「姫奈ちゃん、結衣ちゃん、低田君、ありがとう! すっごく美味しいよ!」
と、中にはさっそく食べている生徒もいた。お菓子なので、美味しく食べている姿を見ると嬉しい気持ちになる。
俺達3人以外のクラスメイト全員に配ったら、10枚近く余った。俺達3人が1枚ずつ確保しても5枚以上余る。そのため、胡桃や中野先輩など一緒に行った旅行メンバーに渡すことに決めた。
――キーンコーンカーンコーン。
胡桃が教室を後にしてすぐ、朝礼の時間を知らせるチャイムが鳴る。そのチャイムで俺と結衣と伊集院さんはそれぞれ自分の席に座った。その直後、
「みんな久しぶり。自分の席に座ってね」
ジーンズパンツにノースリーブの襟付きブラウス姿の福王寺先生が教室に入ってきた。トートバッグや大きめの紙の手提げを持って。
伊豆への旅行やコアマという同人イベントなど、夏休み期間中は楽しい時間を過ごせたからだろうか。先生の顔には明るくて柔らかい笑みが浮かんでいる。男子中心に何人かの生徒が「可愛い」と好意的な感想を口にする。
「朝礼を始める前に……知っている人もいるかもしれないけど、夏休み中に、伊豆にある姫奈ちゃんの親戚の方が営んでいる旅館へ旅行に行ってきました。姫奈ちゃんと結衣ちゃん、低田君などと一緒に。旅行のお土産にみんなへ抹茶味のゴーフレットを買ってきました。今から1枚ずつ渡すね」
福王寺先生は朗らかな笑顔でそう言った。先生からお土産をもらえるからか嬉しそうにしていたり、「おおっ」と声を出したりするクラスメイトが多い。
そういえば、福王寺先生は旅行のときに、うちのクラスや先生方へのお土産を買っていたな。
福王寺先生は紙の手提げから、抹茶味のゴーフレットの箱を取り出す。包装を開けて、窓側の席から順番にゴーフレットを1枚ずつ渡していく。
一緒に旅行に行った俺や結衣、伊集院さんはもらえるのだろうか。そんなことを思いながら福王寺先生を見ていると、
「はい、低田君」
先生は明るい笑顔で俺にゴーフレットを差し出してくる。
「俺にもくれるんですね。一緒に行きましたけど」
「もちろんだよ。だって、これはうちのクラスのみんなへ買ってきたお土産なんだから」
そう言うと、福王寺先生はニコッと笑いかけてくれる。ゴーフレットをもらえる嬉しさもあって、先生の今の笑顔にキュンとなった。
「ありがとうございます」
「うんっ。……あっ、あと芹花ちゃんの分も渡しておくよ。一緒に旅行に行ったメンバーだから」
「ありがとうございます。帰ったら、姉さんに渡しておきます。でも、姉さんの分も渡して大丈夫ですか?」
「ええ。20枚入りのを2箱持ってきたから。うちのクラスは36人だから4枚余るし。結衣ちゃんには妹の柚月ちゃんの分も渡すつもり」
「なるほどです」
4枚余るから、俺に芹花姉さんの分を、結衣に柚月ちゃんの分のゴーフレットを渡しても大丈夫か。あとで胡桃と中野先輩にも渡すのだろう。
俺は福王寺先生からゴーフレットを2枚もらった。家に帰って、姉さんに渡したら喜ぶだろうな。
「先生。俺と結衣、伊集院さんからお土産です。クッキーです」
そう言って、俺は抹茶味のクッキーを福王寺先生に渡した。
クッキーをもらえると思わなかったのだろうか。福王寺先生はとても嬉しそうな笑顔になる。
「ありがとう! 限定の抹茶味だ。あとでいただくね」
「はい。お口に合うと嬉しいです」
「きっと合うよ。このクッキー好きだし、抹茶も好きだから」
福王寺先生はにこやかにそう言う。きっと、クッキーを食べたらこういう笑顔になるんだろうな。
その後も、福王寺先生はクラスメイトにゴーフレットを渡していく。
結衣や伊集院さんを含めて嬉しそうにしている生徒が多い。中にはさっそく食べている生徒もいる。「うめー!」と喜ぶ生徒もいて。福王寺先生と一緒に旅行に行ったのもあり、この光景を嬉しく思う。
「これで全員に渡し終わったね。さっそく食べている人もいるけど、ゴミはゴミ箱にちゃんと捨てるようにね。では、朝礼を始めます」
明るい雰囲気の中で、2学期の学校生活が始まった。