第4話『映画デート』
8月16日、金曜日。
午前10時過ぎ。
俺は武蔵金井駅に向かって自宅を出発する。
今日も朝からよく晴れており、今の時間でも蒸し暑い。もう気温は30度を越えているんじゃないか? 8月も後半に突入したのに厳しい暑さは健在だ。ちなみに、最高気温は33度の予報になっている。
今日は結衣と映画デート。胡桃と3人で以前行った花宮市にある映画館で、『天晴な子』というアニメーション映画を観る予定だ。数日前に結衣から誘われた。
俺達は午前11時の上映回で観る予定だ。なので、結衣とは10時15分に武蔵金井駅の改札前で待ち合わせをすることになっている。
映画を観た後は花宮でお昼ご飯。その後に結衣から胡桃へ渡す誕生日プレゼントを買うことになっている。胡桃の誕生日が8月20日なのだ。当日は誕生日パーティーも開かれる。結衣のプレゼント選びに協力できたらいいな。
住宅やビル、街路樹による日陰を歩いていくと、武蔵金井駅が見えてきた。こうして待ち合わせをすると、大抵は結衣が先に着いていることが多い。結衣にもうすぐ会えるかもしれないと思うと、歩く速度がそれまでよりも上がる。
それから程なくして、武蔵金井駅に到着。北口から駅の構内に入る。
待ち合わせ場所の改札前を見ると……いた。ジーンズパンツにブラウンのノースリーブの縦ニットという格好だ。左肩にトートバッグを掛けており、スマホを弄っている。他にも待ち合わせをしていそうな女性は何人もいるけど、結衣にはオーラがあるな。それに惹きつけられているのか、男性を中心に結衣を見ている人が何人もいる。
「結衣」
改札前に向かいながら、俺は結衣のことを呼ぶ。
俺の声が聞こえたようで、結衣はすぐにこちらを向き、ニッコリと笑いながら大きく手を振ってくれる。……俺の彼女、滅茶苦茶可愛いな。
「ご主人様! ……じゃなくて悠真君!」
「ははっ」
結衣の呼び間違えに、思わず声を出して笑ってしまった。
あと、俺をご主人様と呼んだからか、変な目つきで俺を見てくる人がちらほらと。別に気にしないさ。メイドカフェで接客されたからな。
結衣の目の前に到着すると、結衣は俺の目を見ながらはにかむ。
「メイドカフェのバイトの影響で、ご主人様って言っちゃった」
「呼び前違えも可愛かったよ。それだけバイトをしっかりやっていた証拠だな。俺達への接客も良かったし」
「……そう言ってくれて良かった」
ほっと安心した様子を見せる結衣。そんな結衣の頭を優しく撫でる。
「今日の服もよく似合ってるよ。スカートもいいけど、今みたいにパンツ系の服装もいいなって思う。そして、ノースリーブニット最高です」
メイド服姿も良かったけど、私服姿も素敵だ。あと、ニット越しの胸って、どうしてこんなにも柔らかそうで魅力的なんだろう。顔を埋めたい。
「ありがとう! 悠真君もVネックシャツが似合っててかっこいいよ!」
持ち前の明るい笑顔でそう言うと、結衣は俺のことをそっと抱きしめた。そのことで結衣の温もりと柔らかさ、香水と思われるシトラス系の爽やかな香りが感じられて。真夏でも結衣の温もりは気持ち良くて。抱きしめられて本当に心地いい。
両手を結衣の背中に回し、俺は結衣にキスをした。
「ありがとう、結衣。今日も楽しいデートにしよう」
「そうだね! じゃあ、さっそく行こうか!」
「ああ」
俺達は改札を通って、花宮駅の方に向かう下り方面のホームへ。席に座れる可能性が高くするために、先頭車両が停車する位置まで歩く。
時間がちょうど良く、先頭車両の停車する場所まで到着すると、まもなく電車が到着する案内が放送された。
それから程なくして電車が到着し、俺達は乗車する。
狙い通り、先頭車両だと2つ以上連続で空いている座席が複数箇所ある。俺達は乗車した扉から一番近い座席に座った。
「座れて良かったね、悠真君」
「そうだな。座れたし涼しいし快適だ」
「そうだねっ」
えへへっ、と結衣は嬉しそうに俺と手を重ねて、体を俺の方に少し傾ける。
電車は定刻で武蔵金井駅を発車する。扉の上にあるモニターによると、この電車は15分で花宮駅に到着するとのこと。結衣と一緒なら15分はあっという間だな。電車の中での時間を楽しもう。
「前に胡桃ちゃんと映画に行ったときにも話したけど、電車に乗るとワクワクするよね」
「そうだな。付き合い始めてからのデートも、お互いの家か金井にあるお店に行くことがほとんどだもんな」
「そうだね」
お家デートや地元の金井デートも楽しいけど、今後は電車に乗ってどこかにお出かけするのもいいかもしれない。
「あとは悠真君と2人きりで映画を観るのも初めてだから、それにもワクワクしてる」
「そうだな。俺も結衣と2人で観るのが楽しみだ」
「そうだね! 今日観る『天晴な子』は『あなたの名は。』を作った監督の新作だし」
結衣の言った『あなたの名は。』というのは、3年ほど前に公開されたアニメ映画。高校生の男女が入れ替わるストーリーや圧倒的な映像美が話題となり、記録的なヒット作となった。これから観る『天晴な子』でも映像美は健在らしく、公開から2週間ほど経つが早くも大ヒットを記録している。
「『あなたの名は。』も映画館で観て感動したからなぁ。新作も楽しみだよ」
俺がそう言うと、結衣はニコッと笑った。
去年、この作品の公開が発表されたとき……まさか、恋人と一緒に観に行くことになるとは想像もしなかったな。
それからは前作『あなたの名は。』や、映画館で前回観た『ひまわりと綾瀬さん。』などの話をしながら電車での時間を過ごす。話が盛り上がったこともあり、花宮駅までの15分間の行程はあっという間だった。
花宮駅に来るのは、胡桃と3人で『ひまわりと綾瀬さん。』を観に行ったとき以来なので、当時のことを鮮明に思い出す。結衣も同じようで、あのときの思い出話をしながら映画館まで歩いた。
「映画館到着! 涼しいね!」
「ああ」
午前10時半過ぎ。
映画館に到着すると、ロビーには結構な人数のお客さんがいる。俺達のようなカップルはもちろんのこと、若い数人ほどのグループや親子連れもいて。今日は16日だけど、お盆休みや夏休みとして仕事を休む人は多いのかも。
「じゃあ、チケットを発券するか」
「そうだね」
俺達はチケットの券売機の横にある発券機へ向かう。
胡桃と3人で映画を観に来たときは券売機で座席チケットを購入した。ただ、途中で3人並んで観られるかどうか胡桃が不安がることもあって。その経験を踏まえ、今回は座席の予約が開始された直後に、どこに座るか結衣と相談して俺が予約したのだ。
券売機の列はかなり長いが、発券機の列は数人ほどしか並んでいない。そのため、俺達が並んで2、3分ほどで俺達の順番に。
券売機を操作して、ちゃんと予約されていることを確認。そのことに安心しつつ、2枚のチケットを発券した。
「はい、結衣」
「ありがとう、悠真君! はい、チケット代」
「うん」
座席のチケットを渡した際、結衣からチケット代の1000円を受け取った。
「予約して正解だったな。当日に買うなら、もっと早く来なきゃいけなかったから」
「そうだね。隣同士に座って観られるかどうかの不安もないし」
「そうだな」
券売機の上にあるモニターに、各作品の各上映回の残席状況が表示されている。これから俺達が観る『天晴な子』の午前11時の回は、残席が残り僅かを示す『△』となっていた。予約していなかったら、隣同士に座ることはおろか11時の上映回で観ることが難しかっただろう。
「これからも映画を観に行くときはネットで予約しよう」
「それがいいね。上映時間までちょっと時間があるし、売店に行こう!」
「うん、行ってみよう」
俺達は売店へ向かう。
ヒット作だけあって『天晴な子』関連のグッズがたくさん売られている。主人公の男の子やメインヒロインの女の子などキャラクターのイラストが使われたものも多いけど、単なる背景画や風景画によるグッズも展開されている。映像の美しさに定評のある監督の作品だからなのだろう。
俺はパンフレット、結衣はパンフレットと東京都心の風景が描かれたポストカードセットを購入した。結衣曰く、綺麗な風景画に惹かれたのだそうだ。
売店での買い物が終わったときには、入場開始時刻まであと少しとなっていた。
俺達はお手洗いを済ませ、フードコーナーでカップル向けのポップコーン&ドリンクセットを購入した。ちなみに、ポップコーンは塩味。ドリンクは俺がアイスコーヒー、結衣がアイスティーに。
ポップコーンとドリンクを買い終わったときには、11時の上映回の入場が開始されていた。
劇場の入口へ行き、スタッフの男性にさっき発券したチケットを見せる。
「1番スクリーンへどうぞ」
俺達は無事に劇場の中に入ることができ、1番スクリーンへ。
1番スクリーンはかなり大きいが、既に多くの席に人が座っている。さすがは人気作。そんなことを思いながら、俺達はチケットに記載されている座席番号のところへ。
「ここだな」
そこはスクリーン後方にある、通路外側の2席のみが並んでいる席だ。スクリーンの中心から右側にずれてしまうが、2席だけというところに結衣が惹かれて予約したのだ。
俺は奥側、結衣は通路側の席に座る。また、俺達の間にある肘掛けのホルダーに、ドリンクとポップコーンが乗せられたトレイをセットした。
「これでOK。……スクリーンの中心より右側だけど、後ろ側の席だから結構見やすいな」
「そうだね! ここは2席しか並んでいないし、何だかカップルシートみたい」
「分かる。2人だけの空間って感じがちょっとするよな。普通の座席だけど、カップルとか夫婦をターゲットにこういう2つだけ並ぶ座席を設けているのかもしれない」
「その狙いはありそうだね」
楽しげにそう話す結衣。
スクリーンは見やすいし、結衣との2人きりっぽい雰囲気も味わえるし。まだ映画始まっていないけど、ここの席は最高だと思える。次からも、結衣との映画デートでは2席のみ並ぶ座席を予約しよう。
席に座ってから数分ほどで照明が消え、スクリーンには公開日の近い作品の予告が流れる。アニメーション映画だからか、予告もアニメーション映画や学生や若い世代向けの作品が多い。
「ポップコーン美味しいよ、悠真君」
「そうなんだ。じゃあ、俺も……」
「食べさせてあげる」
そう言うと、結衣はカップからコーンを2、3粒ほどつまみ、俺の口元まで持ってくる。
「はい、あ~ん」
「あーん」
結衣にポップコーンを食べさせてもらう。
口の中に入った瞬間、ポップコーンの香ばしさと塩味が口いっぱいに広がっていく。
「……本当だ。美味しいな」
「美味しいよねっ」
結衣はそう言うとニコッと笑う。何だか、今の結衣を見ていると、メイドカフェでオムライスを食べさせてもらったときのことを思い出す。あのときの結衣、可愛かったな。
左手でポップコーンを2粒掴み、結衣の口元に持っていく。
「俺からも。はい、あーん」
「あ~ん」
俺は結衣にポップコーンを食べさせる。
結衣はモグモグと食べながら「美味しいっ」と呟いた。その姿もまた可愛らしい。上映中はスクリーンじゃなくて結衣の方ばかり見てしまうかも。
ポップコーンを食べ終わると、結衣は俺に体を寄せて左肩に頭を乗せた。
「上映中はこの体勢でもいい?」
「もちろんいいよ」
「ありがとう」
そうお礼を言うと、結衣は俺の左頬にキスしてきた。暗いし、結衣と寄り添っているから今のキスは結構ドキッとする。ここは涼しいけど、段々と暑く感じてきた。
結衣とのそんなやり取りもあって、上映前の予告の時間もあっという間に終わった。
以前見た映画館の公式サイトによると、本編は110分とのこと。結衣の温もりや匂いを感じながら映画を楽しむことにしよう。