プロローグ『マイシスター-就寝編-』
夏休み編2
8月3日、土曜日。
車窓からは薄暗い空の下にあるビルやマンション、商業施設などの建物が見えている。暗くなってきているので、建物の明かりがとても綺麗だ。そういった景色を見ていると、俺・低田悠真の住んでいる金井市も近くなってきたのだと実感する。
俺は昨日と今日で、恋人の高嶺結衣、結衣の妹の柚月ちゃん、クラスメイトで友人の伊集院姫奈さん、友人の華頂胡桃、学校とバイトの先輩の中野千佳先輩、俺の姉の芹花姉さん、俺と結衣、伊集院さんのクラス担任の福王寺杏樹先生と一緒に、静岡の伊豆地方へ1泊2日の旅行に行ってきた。今は先生が運転する車で、みんなが住む金井市に向かっているところだ。
旅行中はみんなで海水浴をしたり、温泉を楽しんだり、泊まった旅館・潮風見の食事を楽しんだり、旅館の近くにある恋人岬という観光名所に行ったり。結衣と2人では足湯を楽しんだり、泊まった部屋のふとんの中でたくさん愛し合ったり。本当に盛りだくさんで楽しい旅行だった。
盛りだくさんの旅行だったからだろうか。それとも、今日の午前中も海水浴をしたからだろうか。俺と運転する福王寺先生以外は、帰りの車の中でほとんど寝ている。途中、サービスエリアでの休憩が2回あったんだけどな。今も中学生から大学生の女子6人による可愛らしい寝息の合唱が心地良く聞こえてくる。特に、俺の両隣の席に座っている結衣と芹花姉さんの寝息が。
「悠真君……」
「ユウちゃん……」
俺の名前を呟く結衣と芹花姉さん。これで何回目だろう。数えていないけど、両手では数え切れないほどには呟いているのは確かだ。俺に寄り添って寝ていて、俺の体温や匂いを感じているからだろうか。2人とも可愛い笑顔だし、きっといい夢を見ているのだろう。
2人の寝顔を楽しんでいると、程なくして俺達の乗る車は高速道路を降りる。周りの景色やインターチェンジの地名を見ると、金井市のすぐ近くであると分かる。
「みんな、もうそろそろ金井市だよ……って、低変人様以外は寝ているんだ」
ルームミラー越しに福王寺先生と目が合う。
ちなみに、先生が口にした「低変人」というのは、ネット上で音楽活動するときの俺の名前だ。若い世代を中心に低変人の名は知られているけど、その正体が俺であると知っているのは、一緒に旅行した結衣達を含めてごく僅かしかいない。
「みんなよく寝ていますね。午前中は海水浴をしましたし、今は薄暗いからでしょうか」
「そうね。それに、車の中は涼しいものね」
「ええ。そういえば、修学旅行や遠足でも、帰りによく寝るクラスメイトがいました」
「いたいた。私は友達と話したり、音楽を聴いたりしていたタイプだけど」
「俺も音楽を聴いたり、スマホを弄っていたりしていました」
「そうだったの。……あと少しで到着するから、まだ寝かせてあげましょう」
「ええ。あと、まだ金井に着いていませんが……帰りも運転お疲れ様でした」
「……低変人様からの労いの言葉、嬉しいわ」
ふふっ、と福王寺先生は上品に笑う。ルームミラーに映る先生の目つきは、さっきよりも優しくなっていた。
みんな寝ているので、帰りの車の中では、今のように福王寺先生と小さな声で話したり、スマホのアルバムにある写真や結衣と芹花姉さんの寝顔を楽しんだりしていた。普段とは違った過ごし方だったけど、あっという間に時間が過ぎていったな。
インターチェンジを降りてからおよそ15分後。
俺達の乗る車は、昨日の朝の出発地点である福王寺先生の自宅のあるマンション前に到着した。
起きている俺と福王寺先生で結衣達のことを起こす。寝ている時間が長かったから、みんなあっという間に金井に到着した感覚とのこと。
8人全員で荷台から、旅行の荷物やお土産を降ろす。こうして降ろすと、結構なお土産を買ったなと思う。自分用や家族だけじゃなくて、クラスメイトやバイトの人達にも買ったからだろう。
「全員荷物を降ろしたわね。じゃあ、これで伊豆への1泊2日の旅行は終わります。呑み会だと、一丁締めっていうみんなで両手をパン! って一回叩くことをして終わらせることが多いわ」
「私の父が、たまに手を一度叩いてお酒を呑むのを終わらせますね」
「あぁ、やってるね、お姉ちゃん」
へえ、結衣達のお父さんの卓哉さんはそういうことをするんだ。
「呑み会の影響かもしれないわね」
「そうかもですね。旅の締めにはいいかもしれませんね。みんなはどうですか?」
結衣がそう訊くと、みんな「やろう」と賛同の声を上げる。もちろん、俺も。
「じゃあ、みんなで一丁締めしましょうか。私が『いよ~っ!』って言ったら、みんなで手を一度叩きましょう。じゃあ、行くよ。……いよ~っ!」
――パンッ!
一度も練習したわけじゃないけど、8人全員の手の叩きがほぼ重なった。そして、パチパチと楽しそうに拍手する。何か、こういう儀式めいたことをすると「終わったんだ」っていう気持ちになれるな。
「じゃあね、悠真君」
「ああ、またな、結衣。気をつけて帰るんだよ」
「ありがとう。悠真君もね」
ちゅっ、と結衣はお別れのキスをしてくる。
2人きりでいるときを中心に、旅行中は結衣とキスをたくさんしてきた。それでも、結衣と唇が重なると、この感覚がとてもいいなぁと思える。あと、いつでも会おうと思えば会えるけど、結衣とお別れすることに寂しさを抱いた。
結衣とキスをし終わって、俺は芹花姉さんと方向が同じ胡桃と3人で帰路に就く。自分の荷物とビーチ用品とお土産を持って。昨日の朝よりも持つ量が結構増えたけど、それはお土産なので嫌だったり、しんどかったりすることはなかった。
無事に帰宅し、俺と芹花姉さんは両親にお茶っ葉と温泉饅頭、抹茶味のゴーフレット、抹茶カステラをお土産に渡した。どれも喜んでくれたが、特にお茶っ葉には嬉しそうな反応を示していた。さすがは日本茶好きである。
俺と芹花姉さんによる旅行のお土産話をしながら、家族4人での夕食の時間を楽しむ。旅行中の結衣達8人での食事も楽しかったけど、自宅で家族4人での食事もいいなと思えて。旅行っていうのは、住んでいる家や一緒に住む家族の良さを確認するいい機会なのかもしれない。
その後は旅行の荷物の片付けやお土産の整理をしたり、お風呂に入ったりした。それらが終わった頃には午後10時近くになっていた。
旅行の疲れもあるし、明日は午前9時からバイトがある。だから、今日はもう寝るのもありかもしれない。そう思っていたときだった。
――ブルルッ。
スマホのバイブレーションが響く。さっそく確認すると、結衣からLIMEで新着メッセージが届いたと通知が。
『今、電話しても大丈夫かな?』
というメッセージだった。その文言を見たとき、胸が躍った。もちろん、俺は「電話してきていいよ」と返信を送る。
――プルルッ。プルルッ。
LIMEを通じて、結衣から電話がかかってきた。
「悠真です。どうした、結衣」
『悠真君の声が聞きたくて。旅行中はずっと一緒にいたからかな。家に帰ったら、悠真君の声が聞きたい気持ちが強くなってきてさ』
「そうだったんだ。電話していいかってメッセージが来たとき、胸が躍ったよ」
『そうだったんだね。メッセージして良かった』
ふふっ、と結衣の可愛らしい笑い声が聞こえてくる。きっと、スマホの向こうでは結衣が楽しげな笑みを顔に浮かべているのだろう。
『もし、悠真君さえ良ければ、明日……私の家に来ない? バイトの後にでも』
「もちろんさ。ただ、明日は午後2時までバイトだから、家に行くのはその後になる。それでいい?」
『もちろん! じゃあ、決まりだね! 実は、悠真君にお誘いしようとしたのも、電話してもいいってメッセージした理由だったんだよ。声を聞くだけじゃなくて、会いたいって思ったから』
「……凄く嬉しいよ。明日のバイトは、結衣を会うことを楽しみに頑張れそうだ」
『それを聞いて私も嬉しい』
旅の疲れが残っているかもしれないけど、明日のバイトは何とかなりそうだ。それに、中野先輩も一緒のシフトだから。
それから少しの間、旅行のことを話題にして、結衣との通話を楽しむ。
目の前に結衣はいないけど、楽しげな結衣の声と笑い声が聞こえると、温かい気持ちになって、旅行疲れが少し取れていって。そして、会いたい気持ちが強くなって。それだけ、結衣のことが好きなのだと改めて思う。
『それじゃ、早めだけどおやすみ。明日のバイト頑張ってね』
「ありがとう。おやすみ、結衣。また明日」
『うん! また明日!』
そう言って、結衣の方から通話を切った。
結衣のおかげで眠気が少し覚めたけど、明日は朝からバイトがあるからもう寝るか。
――コンコン。
うん? 部屋の扉がノックされた。こんな時間に誰だろう? 芹花姉さんかなぁ。
部屋の扉を開けると、そこには枕を持つ寝間着姿の芹花姉さんがいた。お風呂に入った後なので、髪型は普段のワンサイドアップではなくストレートヘアである。
「どうした、芹花姉さん。……まあ、枕を持っているから用件の見当はつくけど」
「ユウちゃんと一緒に寝たいなと思って。旅行では2人きりで泊まった結衣ちゃんが羨ましくて」
「それでさっそく寝に来たと」
「うんっ! 一緒に寝ても……いいかな?」
「うん、いいよ」
「ありがとう!」
とっても嬉しそうにお礼を言う芹花姉さん。
旅行中は行き帰りの車の中で、俺と隣同士に座れることを嬉しがっていたな。海水浴ではナンパ撃退のための嘘とはいえ、福王寺先生を姉と言ったことにがっかりしたり、俺の頬にキスしていたりしていたっけ。今回の旅行を通して、姉さんのブラコン度合いが深まったかもしれない。
「俺、明日は午前中からバイトがあるんだ。だから、もうすぐ寝るけど……それでもいいか?」
「うんっ。私も明日はお昼前からバイトあるから、早めに寝ようって思っていたの」
「そうだったのか。じゃあ、もう寝るか」
「うんっ!」
その後、歯を磨いたり、お手洗いで用を足したりと寝る準備をする。それらが終わって部屋に戻ると、芹花姉さんは楽しそうな様子で俺のベッドで横になっていた。
部屋の電気を消し、ベッドライトを点けて俺はベッドの中に入る。寝ている間に落ちてしまわないように、芹花姉さんには壁側に寝てもらうことに。
俺が仰向けの状態になると、芹花姉さんは俺の左腕をそっと抱きしめてくる。
「こうして寝てもいい? よく眠れそうなの」
「いいよ」
「ありがと~」
えへへっ、と笑う姿は弟から見てもかなり可愛いと思える。
芹花姉さんがくっつくことでベッドの中は結構温かい。でも、部屋は冷房がかかっているし、姉さんから甘いいい匂いがするから嫌な気持ちは全くない。
「ユウちゃん。私、結衣ちゃんと体格が似ているし、昨日は結衣ちゃんとふとんの中でイチャイチャしていたみたいだから、寝ぼけて私を襲っちゃダメだよ?」
ダメだよ、と言っている割にはちょっと楽しそうに見えるんだけど。
「安心しろ。寝ぼけてそんなことはしないから」
「……ユウちゃんがそう言うなら大丈夫そうだね」
笑顔を見せながらそう言うけど、ちょっと残念そうに見えるのは気のせいだろうか。
確かに、芹花姉さんと結衣は背の高さや胸の大きさが似ている。ただ、匂いや腕を抱かれた感覚が違うので、姉さんを襲うことはないだろう。逆に、姉さんが寝ぼけて俺を襲う可能性の方が高いんじゃないか。
「姉さんこそ俺に変なことするなよ」
「もちろんだよ」
「……じゃあ、そろそろ寝るか」
「そうだね。……2年ぶりの旅行だったけど楽しかったよ。結衣ちゃん達とも初めて行けたし」
「俺も楽しかった」
「そう言ってくれて良かった。また一緒に旅行に行きたいね」
「そうだな」
今回の旅行はとても楽しかったからな。今回行った8人で、またどこか旅行に行けたらいいな。
ふああっ、と芹花姉さんは可愛らしいあくびをする。
「おやすみ、ユウちゃん」
「おやすみ。明日はバイトがあるから、朝8時に目覚ましをかけておくよ」
「うん、分かった~」
柔らかい声色でそう言うと、芹花姉さんはそっと目を閉じる。帰りの車の中でもたくさん寝ていたけど、すぐに可愛らしい寝息を立て始める。
スマホの目覚ましアプリで、午前8時に鳴るようにセット。ベッドライトを消して、俺も目を瞑る。
今日は午前中に海水浴をして、結衣と一緒に海を泳いだからだろうか。それとも、帰りの車中で一切眠らなかったからだろうか。はたまた、姉さんが腕を抱いていることが気持ちいいからだろうか。目を瞑ってから程なくして眠りについた。