第19話『朝ご飯』
朝風呂から出た俺達は、集合時間の午前7時近くまで502号室でゆっくりと過ごした。窓から見える朝の景色を眺めたり、テレビで朝のニュースを観たりしながら。
午前7時頃。
俺は結衣と一緒に502号室を出る。
すると、その直後に501号室の扉が開き、中から胡桃達が出てきた。みんな、昨日の夜と同じで浴衣姿だ。よく眠れたのだろうか。眠たそうにしている人は1人もいない。8人全員で「おはよう」と朝の挨拶を交わした。
「では、朝食の会場に向かうのです」
伊集院さんのその一言で、俺達は1階にある朝食会場・風見の間へ向かい始める。8人一緒ではエレベーターに乗れない可能性もあるので、階段を使って1階まで降りることに。
「そういえば、昨日……悠真君と私が501号室を出た後、柚月達はどんなことをしていたの? 杏樹先生は私達がいた頃から寝ていましたけど」
階段を降り始めたとき、結衣がそんなことを問いかけた。
昨日、結衣と部屋を出た後、胡桃達から一切メッセージが来なかったな。だから、あの後に胡桃達が何をしていたのかは知らない。俺達も2人きりの時間を楽しんでいたし、遅い時間になっていたから、胡桃達にメッセージを送ることはしなかった。
「お姉ちゃんと悠真さんが部屋を出て少ししてから、旅館の近くにあるコンビニにお菓子や飲み物を買いに行ったの。杏樹さんは熟睡していたから、杏樹さん以外の5人でね。部屋に戻ってからは、買ったものを楽しみながら胡桃さんが持ってきたBlu-rayを観たよ」
「前の日……木曜日の深夜に放送されていたアニメを録画したBlu-rayをね。この旅館を事前に調べたら、客室にはプレーヤーがあるってホームページに書いてあったから持ってきたの。もし、Blu-rayに入っている作品を知っていたり、観ていたりする人が多かったら一緒に観ようかなと思って」
「なるほどな。胡桃らしい」
これまで、胡桃とは録画したアニメを同時に再生し、パソコンのメッセンジャーを使って感想を語り合ったことは数え切れないほどにある。そんな経験があるから、みんなと一緒にアニメを観たいと考えたのだろう。
「胡桃が持ってきたBlu-rayに、みんな観ているアニメが1作あったのです。なので、第1話から最新話まで一気に観たのです」
「全部で4話だったから、日付が変わった頃まで観たね。杏樹先生が寝ていたから、最初は小さめの声で話していたけど、アニメが面白かったり、色々なことを話すのが楽しかったりしたから、最終的には普通の声で話したね」
「でしたね、芹花さん。先生は全く起きなかったですね」
「夕食に地酒をたくさん呑んだからね。ぐっすり寝たよ、千佳ちゃん」
あははっ、と福王寺先生は楽しそうに笑う。
「杏樹先生の寝顔、可愛かったですよ。それも話題の一つになりました」
「ふふっ、そうだったんだ」
「華頂ちゃんが持ってきたBlu-rayを観終わったら、みんな寝たよ。あと、2人きりの時間を楽しんでほしいから、悠真と高嶺ちゃんにはメッセージや電話はしないってことにしていたんだよ。昨日はずっとあたし達と一緒だったから」
「そういうことだったんですね。……ありがとうございます」
「ありがとうございます」
落ち着いた笑顔で結衣は胡桃達にお礼を言った。結衣に倣って、俺も感謝の意を伝えた。胡桃達の優しい気遣いに胸が温かくなる。俺は結衣と笑い合う。
福王寺先生はぐっすり寝ていたけど、胡桃達は昨日の夜を楽しく過ごしていたんだな。それが分かって、何だか嬉しい気持ちになった。日付が変わった頃まで観てその後に寝たなら、今の胡桃達の様子からして……結衣と俺が愛し合っているときの声とかは聞こえていないようだ。
あと、家から持ってきたBlu-rayを泊まる部屋で観るのって楽しそうだ。今後、旅行に行ったときにはアニメのBlu-rayを結衣達と観たいな。
「今日は5時過ぎに目が覚めて。そうしたら、姫奈ちゃんと芹花さんが起きていて。大浴場はもう開いていたから、3人で入りに行ったんだよ」
「そうだったんだね、胡桃ちゃん。私達は6時過ぎに起きてお風呂に行ったからね。それじゃあ、大浴場では胡桃ちゃん達に会わないわけだ」
胡桃と伊集院さん、芹花姉さんも朝風呂に入っていたんだ。そういえば、小さい頃、早く起きて芹花姉さんと一緒に大浴場へ行ったことは何度もあったな。
「と・こ・ろ・でぇ。お姉ちゃんと悠真さんはあの後、どういう風に過ごしていたんですかぁ?」
ニヤリと笑みを浮かべながら問いかけてくる柚月ちゃん。この笑顔からして、俺達がどんなことをしていたのかおおよその見当はついていそうだ。胡桃と伊集院さんは頬をほんのり赤くしており、中野先輩と芹花姉さん、福王寺先生は微笑んでいる。
今の柚月ちゃんの質問で、昨日の夜……特に部屋に戻ってからのことを鮮明に思い出してしまう。あぁ、ドキドキして体が熱くなってきた。
そして、訊かれた1人である結衣は……頬を赤くしながら柔らかな笑みを浮かべている。俺と同じように、部屋でのことを思い出しているのだろうか。
「悠真君と一緒に旅館の周りを散歩して、近くにあった足湯に30分くらい浸かっていたよ」
「そこって、旅館から歩いて7、8分のところにある足湯のことなのですか?」
「そうだよ、姫奈ちゃん」
さすがは伊集院さん。この旅館に何度も来たことがあるだけあって、周辺に何があるのか分かっているんだ。
「足湯の近くにあるコンビニでお菓子と飲み物を買って。旅館に帰って、日付が変わる頃までお喋りしたり、テレビを観たりしたの。その後は……布団の中で悠真君とラブラブしてたよ。とっても素敵で思い出深い時間だったよね、悠真君」
「……そうだね」
素敵で思い出深いのは本当だったので、そこは素直に答える。だからか、結衣はとても嬉しそうな笑みを俺に向けてくれた。
布団の中で俺とラブラブしてたと結衣が言ったからだろうか。質問者の柚月ちゃん、胡桃、伊集院さんは顔が真っ赤になり、さっきは平然としていた中野先輩と芹花姉さんも頬がほんのり赤くなっていた。きっと、彼女達の頭の中では、布団で結衣と俺が色々しているのだろう。
顔を赤くする10代の学生の側で、唯一の20代社会人の福王寺先生だけがさっきと同じく微笑んでおり、
「ふふっ、低田君と結衣ちゃんらしい過ごし方ね」
と楽しげな様子で俺達に言った。もしかしたら、6人の中ではこの人が一番、俺達のラブラブな時間について色々なことを妄想しているかもしれない。
また、今の福王寺先生の言葉に、501号室に泊まった他の5人が頷いていた。
「2人にとって、思い出深い時間になって良かったわね」
「はい、杏樹先生!」
「旅行のいい思い出になりました」
きっと、これから結衣と旅行に行くことはたくさんあるだろう。でも、初めての旅行は今回だけで。昨日の夜のことはきっと忘れないと思う。もちろん、胡桃達と一緒に夕食を食べ、トランプで遊んだことも。
昨晩の話をしていたので、それからすぐに1階に辿り着いた。俺達は風見の間へと向かう。
今が一番の朝食時なのだろうか。風見の間の中には多くの宿泊客が。俺達のように浴衣姿の人が多い。あと、朝食会場だけあって、食欲をそそるいい匂いがしてくる。
風見の間には、8人用のダイニングテーブルはなかった。
ただ、端の方にある4人用のテーブルが2つ空いていた。旅館側のご厚意により、2つのテーブルをくっつけ、8人で一緒に食べられることに。これには結衣達も喜んでいた。本当に有り難い。
俺は結衣達と一緒に朝食を取りに行く。
「美味しそうな料理がいっぱいあるね、悠真君」
「そうだな」
バイキング形式なので、好きなものを好きなだけ取ることができる。美味しそうな料理がたくさんあるけど、食べ過ぎには気をつけないと。お腹を壊したら自分だけじゃなく、結衣達の旅行も台無しになってしまうかもしれないから。
低田家の朝食はご飯中心の和風が多い。それもあって、俺はご飯を食べた方が調子のいいことが多い。パン中心の洋風の朝食も好きだけど。なので、ご飯と味噌汁をベースに和風のメニューをお盆に乗せていった。飲み物は、俺にとってこの旅行でおなじみとなった伊豆の冷たい緑茶。
ゆっくりと選んでいたからか、俺がテーブルに戻った頃には、結衣と胡桃、伊集院さん、柚月ちゃん、芹花姉さんが座っていた。俺は結衣と芹花姉さんの指示により、彼女達の間にある椅子に座る。また、テーブルを挟んだ正面の椅子には、昨日の夕食と同じく胡桃が座っていた。
スマホで自分が取ってきた朝食メニューの写真を撮る。……なかなかいい感じに撮れたな。美味しそうだ。
「おっ、悠真君は和風なんだね。美味しそう」
「ご飯を食べた方が調子のいい日が多いからな。結衣は洋風か。美味しそうだ」
結衣のお盆にはバターロールにクロワッサン、オムレツ、茹でたソーセージ、生野菜のサラダ、ポテトサラダ。飲み物は温かい紅茶か。洋風でバランスの良いメニューを取ってきている。
結衣のメニューを見ていたら、福王寺先生と中野先輩もお盆を持って戻ってきた。
「これで全員取ってきたわね」
「それでは、今回もあたしが言うのですよ。いただきます!」
『いただきまーす』
伊集院さんの号令で、俺達は朝食を食べ始める。
俺は最初に味噌汁を一口飲んだ。出汁が利いていて、味噌の濃さもちょうどいい。夏だけど、温かいものを飲むとほっとするなぁ。焼き鮭やほうれん草のごま和えなども美味しい。和風のものを選んで正解だったな。
夕食だけでなく、朝食も美味しい。全部食べきって、まだ余裕がありそうなら、別のおかずやパン、フルーツなどを食べてみるか。
「美味しいっ」
時折、隣から結衣のそんな声が聞こえてくる。結衣も自分の選んだものに満足しているようだ。美味しそうに食べているのは胡桃達も一緒。
「ところで、みんな。今日はどう過ごす? とりあえず、午後6時か7時くらいまでに金井に到着すればいいかなって私は考えてる」
朝食を食べ始めてから少し経ったとき、福王寺先生がそんなことを言ってきた。そういえば、2日目に何をするかは全然決めていなかったな。海水浴を楽しむとか、旅館の食事や温泉を堪能するというのは旅行前に決めていたけど。
「とりあえず、金井に帰る時間は福王寺先生の言う通りでいいんじゃないかと。その時間なら、今日も色々と楽しめそうですから。今日も晴れますから海水浴も良さそうですし、伊豆まで来ているので、どこか観光スポットへ行ったり、ご当地グルメを楽しんだりするのも良さそうですよね」
俺がそう言うと、胡桃達は「そうだね」と肯定の返事をしてくれる。夏休みの旅行なので、海水浴か観光かグルメなどを楽しむのがいいだろう。
「あの。一つ……行ってみたいところがあるのですが」
そう言って、結衣が右手を顔の高さまで挙げる。
「どんなところかな、結衣」
「恋人岬です。恋愛のパワースポットで。あと、今日は晴れていますから、海や富士山も綺麗に見えるんじゃないかと思いまして。この旅館よりも北側にあるので、帰る途中にでも行けたらいいなと思っているのですが……どうでしょうか」
いつもとは違い、ちょっと緊張気味な様子でプレゼンする結衣。
恋愛のパワースポットと聞くと、恋人岬に行ってみたくなる。
「恋人岬はこれまで何度か行ったことがあるのです。そこは西伊豆地域からの絶好の富士山ビュースポットでもあるのです。結衣の言うように、晴れた日は展望台からとても綺麗な富士山と駿河湾が見られるのですよ」
「姫奈ちゃん……」
すぐに、伊集院さんが恋人岬についての補足説明をしてくれる。そのことに結衣は嬉しそうだ。何度も行ったことのある伊集院さんの説明は説得力がある。恋人岬へ行きたい気持ちがより増してくる。
「俺は行ってみたいです。恋愛のパワースポットというところに惹かれました」
「あたしも行ってみたいです。昨日、ここに向かって走っているときに見えた海が綺麗でしたし。富士山も一緒に見られたら最高だと思います」
俺だけじゃなく、胡桃も恋人岬に行きたいと意思表示をしてくれる。
「入るだけじゃなくて、見る海もいいよね、華頂ちゃん。静岡まで来たんだし、綺麗な富士山は見ておきたい」
「お姉ちゃんと悠真さんの仲がより良くなりそうなら、あたしも行きたいです!」
「私も柚月ちゃんと同じ!」
「恋愛のパワースポットか。私の好きなBL漫画で推しキャラが2人いるんだよね。その2人はいつも喧嘩ばかりしているんだけど。その2人の幸せを願ったら、公式に反映されてカップルになるかな、姫奈ちゃん」
「そ、それはさすがに分からないのです。ただ、やってみる価値はあるかもしれないのですよ、杏樹先生」
福王寺先生だけ行ってみたい理由が特殊だけど、反対意見はなさそうか。
「では、結衣が提案した恋人岬に行ってもいいという人は挙手をお願いします」
意思確認のために俺がそう問いかけると……8人全員が挙手。
「じゃあ、恋人岬に行くことは決定ですね」
「ありがとうございます!」
結衣はとても嬉しそうにお礼の言葉を言った。恋人岬に行くことで、旅行がより楽しいものになるのは間違いないだろう。
それからも、朝食を食べながら今日のことについて話し合っていくのであった。