プロローグ『1学期の終わり』
夏休み編
7月19日、金曜日。
梅雨の時期らしく、雨の降る日が多くてジメジメとした蒸し暑い気候だ。梅雨前線による雨雲はいつまで関東上空に居座るつもりなのだろうか。そう思っていたけど、今朝の週間予報では来週の半ばあたりから連日晴れるそうだ。梅雨という名のトンネルの出口がようやく見えてきた。ただし、出口の先に待っているのは『猛暑』の2文字だろうけど。まあ、雨が降り続くよりはマシか。受け入れてあげよう。
今日は通っている都立金井高等学校の1学期の最終日だ。
まずは、テレビ中継による終業式。中学まで、こういう式は校庭か体育館に集まって行なわれていたので、テレビは凄く楽だ。教室だから涼しいし。いつの時代も長いことに定評のある校長先生のお話も、中学までに比べたら多少は聞くようになった。
終業式の後は本日のメインである通知表の配布。担任の福王寺杏樹先生から出席番号順に配布される。喜ぶ生徒もいれば、愕然とする生徒もいる。
「低田君」
「はい」
俺・低田悠真の名前が呼ばれたので、福王寺先生のいる教卓へ向かう。
「よく頑張ったね。2学期もこの調子でね」
福王寺先生は嬉しそうな笑顔でお褒めの言葉を言い、俺に通知表を渡した。
自分の席に戻り、通知表を開く。
「……うん?」
各教科に定期試験の得点のような数字が記載されている。
記載のミスなのか。それとも、意図したことなのか。通知表を隅々まで見てみる。すると、背表紙に評価と評定の説明が書かれていた。それによると、各学期の評価は100点満点で記載し、学年末に1年間通した評定を5段階で記載するとのこと。
説明を踏まえ、改めて成績を見ると……いい成績を取れているかな。福王寺先生が担当する数学Ⅰと数学Aは100点満点だ。もしかしたら、通知表を渡すときに先生が嬉しそうにしていたのはこれが理由かもしれない。
端の方にはクラス順位と学年順位も記載されている。クラスでは2位で、学年では8位か。体育の成績は平均程度だったのが影響していそうだ。
あと、誰がクラスでの成績順位が1位なのかおおよその見当はついている。もし、俺が予想する生徒が1位なら、学年順位も1位の可能性が高そうだ。
「高嶺さん」
「はい」
やがて、俺の恋人・高嶺結衣の名前が呼ばれる。結衣は席から立ち上がり、教卓にいる福王寺先生のところへ向かう。
「さすがだね。2学期も頑張ってね」
「ありがとうございます」
結衣は福王寺先生から通知表を受け取る。俺のときと同様に先生が笑顔であることからして、結衣はいい成績を取れたんじゃないだろうか。
結衣は自分の席に戻って、通知表を開く。すると、すぐに結衣は爽やかな笑みを浮かべる。そして、俺の方に体を向け、両手共に人差し指だけ立てた。変わらず笑みを見せているし、クラスも学年も1位だったのかな。そんな結衣に俺は小さく手を振った。
クラス全員に通知表が配られた後は、1学期最後のホームルーム。一部教科についての夏休みの課題が配られたり、夏休み中の諸注意を話されたり。
あと、幸い俺には関係ないが、赤点教科の特別課題も配られた。また、教科によっては夏休み中に赤点者対象の補習もあるそう。通知表をもらったとき以上に、勉強を頑張ってきて良かったと思えた。
「それでは、これで1学期最後のホームルームを終わります。曜日の関係で、2学期は9月2日からのスタートになります。みなさん、良い夏休みを過ごしてください。また、9月に会いましょう」
福王寺先生がそう言い、委員長の号令によりホームルーム、そして1学期の日程が全て終わった。その瞬間にクラスの雰囲気がぱあっ、と明るくなる。1学期が終わった開放感。また、40日以上ある高校生最初の夏休みに向けての期待感からだろうか。俺もこれで自由になった感覚はある。
部活動のある生徒中心に、次々と教室を後にする。
「悠真君! お疲れ様! これで1学期が終わったね」
「1学期お疲れ様なのです、低田君」
バッグを持った結衣と、結衣の友人の伊集院姫奈さんが俺のところへとやってくる。2人の表情も結構明るい。
「2人ともお疲れ様。これで夏休みだな。あと、結衣が通知表をもらったとき、俺に向かって両手の人差し指を向けてくれたけど……」
「ああ、あれはクラスも学年も1位だったよっていう意味」
「やっぱりそうだったか」
俺の予想通りだったか。凄い子だなぁ、結衣は。実技の教科も含めて1位とは。そんな結衣の頭を俺は優しく撫でる。
「さすがは結衣なのです。中学のときから結衣の成績が凄くいいのですから」
「そうなんだね。俺はクラス2位で学年では8位だった。体育が何とか平均程度だったからかな」
「そうだったんだね。凄いよ、悠真君!」
明るく嬉しそうに言ってくれるから、学年1位の結衣に凄いと言われても素直に嬉しいと思える。
「あたしはクラス8位で、学年では47位だったのです。あたしも体育は平均的で。苦手な英語科目も、定期試験前に結衣達が教えてくれたので、何とか平均の成績が取れたのです。それがなかったら、もっと低かったと思うのですよ。赤点の可能性もあったかと」
「試験対策の勉強、よく頑張っていたもんね」
結衣は優しい笑顔でそう言うと、伊集院さんの頭を撫でる。思い返すと、試験対策の英語の勉強では、俺達に質問して頑張っていたからな。
俺も課題や試験勉強のときに、分からないところを結衣達に何度か教えてもらった。この成績を取れたのは彼女達のおかげでもある。
「2人ともありがとう。勉強教えてくれたこと何度もあったから」
「いえいえ」
「こちらこそなのですよ」
結衣と伊集院さんは微笑みながらそう言ってくれた。きっと、今後も高校生活を送る中で助け合ってゆくのだろう。
「俺は今日も掃除当番があるから、2人は廊下で待っていてくれるかな」
「分かったよ、悠真君。お掃除頑張ってね」
「頑張ってください」
結衣は俺にキスをして、伊集院さんと一緒に教室を後にした。教室にはそれなりの数の生徒が残っているけど、みんなの前でキスするのも慣れたから恥ずかしさはあまりなかった。突然だったからちょっとビックリしたくらい。
今日はこれから一緒に駅周辺にあるお店でお昼ご飯を食べ、午後はカラオケで行く遊ぶ予定になっている。
それから、俺は一緒の掃除当番の男子生徒達と福王寺先生と一緒に、教室の掃除をしていく。たまに、結衣と夏休みを過ごせるなんて羨ましいぜ、と言われながら。
去年までの夏休みとは違い、今年は結衣という恋人がいる。高校1年生なので、バイトの予定が入っているのも違う点か。きっと、新鮮で楽しい夏休みの日々を過ごすのだろう。今までで一番楽しいと思える夏休みになればいいな。
そもそも、恋人ができて夏休みを迎えるとは。入学したときには想像もできなかった。世の中、何が起こるか分からないものだ。
15分ほどで掃除が終わり、俺も下校することに。
「福王寺先生、さようなら」
「さようなら、て……低田君。2学期に会いましょう……と言っておくけど、きっとバイト先のムーンバックスとかで会いそうね」
「ははっ、そうですね」
俺がバイトする喫茶店・ムーンバックス武蔵金井店は、金井高校からだけでなく、福王寺先生のご自宅からも徒歩圏内のところにある。位置的に、先生が通勤時に立ち寄っても回り道にはならないし。きっと、バイト中に先生と会うことは何度もあるだろう。
あとは……虫の駆除で呼び出されることがあるかも。1ヶ月ほど前、先生の自宅に出没したクモを駆除するために自宅へ行ったから。
「あと……」
呟くようにして言うと、福王寺先生はゆっくりと顔を近づけ、
「夏休み中に新曲を聴けたら嬉しいです。低変人様」
と甘い声で囁いてきた。その声と、耳に掛かる生暖かい吐息にドキッとした。
ちなみに、福王寺先生が名字ではなく『低変人様』と言ったのは、俺がネット上で『低変人』名義でインストゥルメンタルの曲を公開しているから。そして、先生は低変人の正体が俺だと知る数少ない人物の一人であり、大ファンなのだ。
「ありがとうございます。定期試験が終わってから制作している曲もありますし、構想をいくつも浮かんでいるので、何曲か公開できると思います」
「ふふっ。楽しみにしてる」
福王寺先生は可愛らしい笑顔を見せた。
「では、さようなら」
「ええ」
俺に手を振る福王寺先生に軽く頭を下げ、俺は教室を後にする。
廊下に出ると、結衣と伊集院さん。そして、俺達の友人で隣のクラスの華頂胡桃の姿が。3人とも俺の姿を確認すると「掃除お疲れ様」と笑顔で言ってくれた。それだけで、掃除の疲れが吹っ飛んだ。
「みんなお待たせ。胡桃、1学期お疲れ様」
「お疲れ様、ゆう君。2人から聞いたけど、かなり成績が良かったみたいだね」
「おかげさまで。胡桃はどうだった?」
「あたしはクラス6位で、学年だと38位だったよ」
「おぉ、凄い」
胡桃は元々、文系科目や英語科目がかなり得意だからな。数学などの理系科目も、試験勉強の際に俺や結衣などに質問して、分からない箇所を次々と克服していった。勉強への真摯な姿勢が良い成績に結びついたのだろう。
「千佳先輩に『悠真君の掃除当番が終わった』って送ったよ。そうしたら、校門で待ってるって返信きた」
千佳先輩というのは、2年生文系クラスの中野千佳先輩のことだ。俺にとってはバイトでの先輩でもある。先輩も一緒に昼食とカラオケに行く約束になっている。
俺達は中野先輩が待つ校門に向かって歩き始める。
部活や生徒会、委員会には入っていないため、次に来るのは2学期。そう考えると、一歩一歩が重く感じられるのであった。