後編2
午後1時45分。
1年2組の教室がある第2教室棟の昇降口前で、芹花姉さんのことを待つ。姉さんとはここで待ち合わせしている。もうすぐ来る予定だ。
今も雨がシトシトと降っており、運動系の部活が外で活動していないから静かだ。雨音の中、特別教室のある特別棟から、吹奏楽部の練習の音が小さく聞こえてくる程度。
全校で三者面談をしているから、父兄の方が来たり、生徒が父兄の方と一緒に帰ったりする様子が見える。
「あの人かな」
学校の正門から、私服姿の金髪の女性が入ってきた。その人のことをよーく見てみると……やっぱり芹花姉さんだ。ブラウンのロングスカートに、ベージュのノースリーブの縦ニットという格好。大学から直接来たのもあってか、姉さんは大きめのトートバッグを持っている。
芹花姉さんは第1教室棟に入っていく。卒業生なので、今は来校者という立場だ。おそらく、事務室に行って来校の手続きをしているのだろう。
それからすぐに、芹花姉さんが第1教室棟から出てくる。そして、こちらに向かって大きく手を振ってきた。
「ユウちゃ~んっ!」
俺への独特の呼称の声が響き、芹花姉さんは小走りで俺のところにやってくる。首から提げた来訪者の札が小刻みに揺れる。そんな姉さんに俺は手を振った。
「ユウちゃん、お待たせ!」
「時間通り来てくれて良かった。大学お疲れ様、姉さん」
「ありがとう。ユウちゃんも授業お疲れ様」
「ありがとう。じゃあ、さっそくうちの教室の前まで行くか」
「うんっ」
俺は芹花姉さんと一緒に第2教室棟の中に入る。
放課後になってから1時間以上経っており、今はどのクラスも三者面談中。なので、第2教室棟の中はとても静かだ。
「第2教室棟久しぶりだなぁ。高2が終わったとき以来かな」
「そうなんだ。確か、3階に2年生の教室があったな」
「今もそうなんだね。まさか、卒業してから初めて来るのがユウちゃんの三者面談になるとは思わなかったよ。2学期にある文化祭が初めてになるかなって思っていたから」
「俺もこういう形で芹花姉さんと一緒に高校の中を歩くとは思ってなかった」
「そっか。お姉ちゃんは嬉しいよぉ」
芹花姉さんは言葉通りの嬉しそうな笑顔を見せる。もしかしたら、こういう時間を過ごしたくて、姉さんは三者面談に出席したいと言ったのかもしれない。
2階に上がり、1年2組の教室の前まで向かう。教室の入口近くには、順番を待つ生徒と保護者用が座るための椅子がある。俺達はそこに腰を下ろす。
教室の中から何人かの声が聞こえてくる。その中には俺の出席番号一つ前の橋本の声もあって。次は俺なんだなぁ。
「ユウちゃん、三者面談緊張する?」
「中学のときに比べたら全然。担任が福王寺先生だからかな」
プライベートで何度も会ったことのある人だし。緊張はあまりない。それよりも、芹花姉さんと福王寺先生と3人しかいないから、何か変な展開にならないか不安な気持ちの方が強い。
「お姉ちゃんがちゃんとフォローするから安心してね! 大船に乗ったつもりでいてね」
「……頼もしいな」
芹花姉さんの言う『大船』が小さくなったり、泥船に変わったりするかもしれない懸念はあるけど。でも、姉さんの笑顔を見ると安心する自分もいる。期末試験もよくできたし、進路希望調査票もしっかり書いたからきっと大丈夫だろう。
芹花姉さんと椅子に座ってから10分ほど。時刻にして午後2時直前に、教室前方の扉が開いた。そこからは橋本と、母親と思われる女性が出てきた。橋本には軽く手を挙げ、女性の方には「こんにちは」と言って軽く頭を下げた。姉さんは2人に対して「こんにちは」と挨拶していた。
いよいよ自分の番なのかと思うと、さすがにちょっと緊張感が。
「次は低田君か」
そんな声が聞こえたと同時に、七分袖の黒いジャケット姿の福王寺先生が姿を現す。午前中はブラウス姿だったので、きっとジャケットは三者面談用なのだろう。教師モードのクールビューティーな雰囲気が醸し出されている。
「ちゃんと来ているね。芹花ちゃんも」
俺と目が合うと、福王寺先生はプライベートのときによく見せる可愛らしい笑みを顔に浮かばせる。
「さあ、入って」
俺と芹花姉さんはゆっくりと立ち上がり、1年2組の教室の中に入る。
教卓の近くにある4つの座席がくっつけられている。福王寺先生の指示で、俺達は窓側に向かって隣同士に座る。先生は俺と向かい合う形で座った。
「まさか、芹花ちゃんとこういう形で会うとはね」
「私も予想外でした。ユウちゃんの保護者として三者面談に来られて嬉しいです!」
「中学の頃は両親のどちらかが出席したからなぁ」
「ふふっ。ところで、お母様の具合はどう?」
「午前中に、LIMEで『病院行って、薬もらってきた。それ飲んで寝てる』とメッセージが来ました。それ以降は何もないですし、おそらく薬を飲んでゆっくり寝ているかと」
「そうなの。早く快復するといいわね。……では、三者面談を始めましょうか」
「はい」
「よろしくお願いします」
俺の保護者として学校に来ているからか、芹花姉さんは真面目な様子でそう言う。とても頼れそうなオーラが出ている。
福王寺先生は手提げからクリアファイルを取り出す。そのファイルから1枚の紙を取り出し、俺達の前に置いた。
紙を見てみると、色々と数字が書かれているな。よく見てみると、俺の期末試験の点数や順位が書かれていた。
「まずは期末試験についてね。どの教科もよくできているわ。学年順位も2位」
「ユウちゃん凄い!」
甲高い声でそう言うと、芹花姉さんは嬉しそうな様子で俺に向かって拍手。それにつられてなのか、福王寺先生も俺に拍手している。パチパチと拍手の音が響く。
「ご褒美にほっぺにキスしてあげようか?」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「……じゃあ、代わりに頭撫でてあげる」
芹花姉さんは俺の頭を優しく撫でてくれる。さっそくブラコン全開だな。結衣と付き合い始めてから、ブラコンの強さが昔のようになってきている気がする。
ちなみに、昨日、学年2位のご褒美に結衣にキスしてもらった。そんな結衣が学年1位だったので、俺からもご褒美にキスしたけど。
「てい……低田君にほっぺにキス……ちょっといいなって思っちゃった。ほんのちょっとね」
「何言っているんですか。あなた教師でしょう」
「安心して。しないから。低田君には結衣ちゃんっていう恋人がいるし」
まるで、俺に恋人がいなければキスするかもしれない言い方だな。もし、そんな状況だったら本当にキスしそうだから怖い。今もはにかみながら俺のことを見ているし。
あと、教室には3人しかいないけど、俺のことを低変人とは言わずに名字で言ったな。廊下に次の生徒が待っているかもしれないからかな。
「勉強についてはこの調子で頑張りましょう。この期末試験のシートは持ち帰ってね」
「分かりました」
「あとは……期末試験の最終日に提出してもらった進路希望調査票についてね」
そう言うと、福王寺先生は先ほどと同じく、自分の手提げからクリアファイルを取り出し、ファイルから1枚の紙を机の上に出した。それは先日提出した進路希望調査票だ。
調査票には進路を希望する大学と学部が2つ記載してある。今さらだけど、1年の1学期から具体的な進路先を書かせるとは。早いうちから、進路についてちゃんと考えさせるためなのかな。2年から文系理系でクラス分けされるし、その選択のためでもあるかも。
「低田君は第1志望に二橋大学の文学部。第2希望に東都科学大学の理学部って書いたのね」
「はい。どちらも同じくらいですが。ただ、日本文学に興味があるので、二橋の方を第1志望の欄に書きました」
「第2希望は東都科学を書いたんだね。それってお姉ちゃんが通っているから?」
目を輝かせてそう問いかけてくる芹花姉さん。
「例の活動でパソコンはよく使っているから、情報処理の分野に興味が出てきて。理学部の中でも情報科学科だな。東都科学大学は近いし、国公立だし……まあ、現役で合格できれば1年間だけだけど姉さんのいるキャンパスに通えるからな。姉がいるのは安心感がある」
「なるほどね!」
自分が少し関わっているからか、芹花姉さんはとても嬉しそうだ。そんな姉さんを見て福王寺先生はクスクスと笑う。
「親御さんの出身校だったり、お兄さんやお姉さんが通っていたりするから調査票に書く生徒は何人もいるわ。低田君だったら、どちらでも合格して、ちゃんとした大学生活を送れそうな気がするよ」
「そうなるように頑張ります。ただ、文系理系と違うんですよね。調査票を提出するときにこれでいいのかと迷ったんですけど、良かったのでしょうか?」
「色々な分野に興味を持つことはいいことだよ。ただ、文理選択は2学期の12月に最終決定をする予定になってる。だから、それまでにどちらにするか考えましょう。もちろん、先生も相談に乗るよ。これから始まる夏休みの間にオープンキャンパスが開催される大学も多いから、そこで教授や在学生の話を聞くのもいいわ」
「ちなみに、東都科学大学も8月にオープンキャンパスがあるからね!」
「そうなんだ。夏休みにいくつか行ってみます」
夏休みの間に文理選択について、じっくりと考えることにしよう。
あと、何度か結衣と一緒にオープンキャンパスに行きたいな。結衣は確か二橋大学の文学部って進路希望調査票に書いてあったはず。
「ちなみに、芹花ちゃんはどんな理由で理系クラスに進もうって決めたのかな?」
「参考にしたいな、姉さん」
「生物や化学の分野に興味があったから、大学でも学んでみたいって思ったんだ。数学や物理も得意だったから理系クラスにしたよ。迷いはあまりなかったかな。当時から小説は好きだけど、それは趣味で楽しめばいいかなって。……あと、今だから話せるけど、古典や世界史がちょっと苦手っていうネガティブな理由もあったよ」
あははっ……と芹花姉さんは苦笑い。ポジティブな理由に越したことはないだろうけど、中には苦手な教科があるから、それを学ぶことが少ないクラスにしようって考える人もいるのかな。
「なるほど。素敵な理由ね。こういう分野が特に興味があるとか、大学ではこれを学びたいって考えられると、クラス選択もしやすくなると思うよ」
「分かりました」
「ちなみに……この調査票には書いていないけど、音楽関係の方に進むことは考えなかったの? 例の活動を何年もしているし」
そう問いかけた福王寺先生の目がキラリと光る。低変人の大ファンだし、気に入っている曲がいくつもあるからな。音楽を仕事にすることに期待しているのかも。
「あれはあくまでも趣味で、好きでやっていることですから。お金をもらっていますけど、仕事にしようとは今のところは思っていないですね。もちろん、長く続けていきたいとは思っています」
「なるほどね。……今後も色々な曲を聴けるのを楽しみにしているわ」
「お姉ちゃんも楽しみにしているよ!」
「ありがとうございます」
高校生になってから、福王寺先生や結衣達から低変人の曲の感想を直接もらったり、ずっと応援してくれている『桐花さん』の正体が胡桃だと分かったりと、それまでに比べて活動のモチベーションは上がっている。今後もマイペースに低変人としての音楽活動を続けたい。
福王寺先生は進路調査票をクリアファイルに戻す。
「では、今回の面談はこれで終わりましょう」
「はい。ありがとうございました」
「これからもユウちゃ……弟をよろしくお願いします」
「ふふっ。お任せください」
穏やかな笑みを浮かべ、福王寺先生はそう言った。プライベートなとき中心に、教師としてどうかと思う言動があるけど、先生が担任で良かったと思う。
俺達は1年2組の教室を出る。俺の一つ後ろ……細田と父親と思われる男性に挨拶をして、昇降口へ向かう。
「三者面談、無事に終わって良かったね」
「そうだな。芹花姉さんの文理選択の話を聞けたし、姉さんと出席できて良かったよ。今回はありがとう」
「いえいえ。姉として当然のことをしただけだよ」
芹花姉さんは明るい笑顔でそう言ってくれる。途中、「ほっぺにキスしてあげる」と言うほどにブラコンを発揮した場面もあったけど、隣にいてくれたことは安心できた。
「ユウちゃん。家に帰ったら、お母さんの看病と家のことをしないとね」
「そうだな。体調が良くなったら三者面談のことを話そう」
「そうしようか。……ねえ、ユウちゃん。相合い傘をしながら帰りたいな」
「姉さんなら言うと思っていたよ。分かった」
「ありがとう!」
こんなにも嬉しそうにするなんて。芹花姉さんのブラコンの強さが窺える。
校舎を出ると、今も雨がシトシトと降っている。
芹花姉さんの首から提げていた来校者の札を事務室に返し、約束通り、俺の傘で姉さんと相合い傘をして帰路に就く。その際、傘を持つ俺の手を姉さんが握ってくる。ジメジメしていて暑いけど、姉さんの温もりは悪くない。姉さんはニコニコだ。
三者面談も無事に終わったので、夏休みがグッと近づいた感じがしたのであった。
特別編7 おわり
これにてこの特別編は終わりです。最後まで読んでいただきありがとうございました。
次の話から夏休み編です。1学期の終業式の日からの話になります。