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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

不老の魔女は幸せな夢を見る

作者: 僕(語り部)

 


 木々が生い茂り、森の中に差し込む光は、一筋の光の柱となって森に立っている。

 流れる川の水も、その光に反射し、きらきらとその清らかさを放っている。

 その川辺のひと際大きな岩に座る一人の少女がいた。身長150センチにも満たない小柄な少女は、自身の体より大きな本を膝の上に広げ、自然の中で呼吸していた。

 ぴちょん、と音を立てて、川から一匹の魚が跳ねる。しかし少女はそんな魚には見向きもせずに、ひたすらにその本を読み続けていた。

 白いワンピースは、特殊な製法で編まれたことがよく分かるほど、煌びやかな輝きを放っており、「無垢」の二文字がこれほど似合う者はいないと、誰しもが口にすることだろう。

 いや、そんなことはない。

 この少女を見て、誰しもが口にするその言葉は、「無垢」なんていう清らかな二文字ではない。

 誰もが恨み、蔑み、嫌い、憎み、呪った忌み名「魔女」の二文字だ。


 この少女は、魔女だ。


 齢15歳にも満たない容姿をしているが、その実は100を超える化け物だ。

 不老の魔法によって保たれるその瑞々しいまでの容姿は、どこをどう見ても魔法に染まった老婆には見えない。

 少女に老いは存在しないのだ。


 風が木々の隙間の縫うように進み、川辺を吹き抜ける。

 少女の本のページがパラパラとめくれ、少女は片手で風によって震える本を抑えた。そこで初めて少女は顔をあげた。

 吹き抜けていく風がいたずらに少女の長い髪を撫でていく。純白のワンピースに同化しそうなほどの真っ白な長髪は、一本一本がさらさらと風に流れる。

 どこかで鳥の鳴き声が聞こえた。

 少女は、少し微笑み、また本に目を落としたのだった。



 ♦  ♢  ♦



 魔女は、人間を嫌っている。

 魔女自身も人間であるのだけれど、自分を迫害したその他大勢の人間を、魔女は嫌った。

 誰よりもこの世界の魔法に長け、誰よりもこの世界の摂理を超えた少女は、その魔女という忌み名とともに、この世界の人間を心の底から嫌悪した。

 王都から遠く離れた森の奥。そこにひっそりと建つ一軒の家がある。その家は、魔法による結界で守られ、他の人間はそこに家があるということなど、認識すらできない。

 そんな小さな家で一人、少女は住んでいた。

 動物たちと会話し、森の植物たちと共に少女は一人で生きていた。しかし、少女にとってそれは悲しいことでも辛いことでもない。むしろ、幸せなことだった。

 動物たちの純粋な心に、植物たちの健気な姿に、少女は心を癒していた。


 そんな魔女がある日の夜、家のそばで、魔法の開発に必要な材料を森で採集しているときのことがだった。

 森を走り抜けていくイノシシたちの姿を見て、魔女は不審に思った。

 何かがこの森に入ってきている。


 この森は王都から遠い。もちろん、人間も植物採集や動物を狩るために出入りすることはあったが、ここ数年は滅法いなくなっていた。

 言うまでもなく、魔女がこの森にいるからである。

 魔女が住むこの森は、魔女の森と呼ばれ、王都では侵入禁止区域として指定されるほど危険な場所とされている。

 その静けさを取り戻した森に、今不審に森がざわめいている。


 魔女がその原因を調べようと思うのに、そう時間はかからなかった。


「ねぇ、あなたたち」


 凜とした、鈴の音のような綺麗な声色が、魔女の口から発せられた。その声の先には、少女より数メートル上にいる木の枝に止まったフクロウ達である。

 フクロウ達は、魔女の声に反応し、魔女を見下ろした。フクロウの黄色い瞳が、闇夜の中、魔女を捉える。


「この騒ぎ、何が起こっているのかわかる?」


 ホー、と一匹のフクロウが鳴く。それに続くように、他のフクロウ達がホーホーホーと共鳴するように鳴き声を上げる。

 魔女はそれを聞きながら、うん、と頷いた。


「そう、人間が来たの。でも、動物たちや植物を襲っているわけではないのね?」


 魔女はフクロウの鳴き声が、言葉であることを理解している。

 フクロウ達もまた、魔女の言葉がよく分かった。警戒することもなく、今の森の様子をつらつらと魔女に伝える。何十年もこの森に棲むこの魔女が、自分たちの仲間であることを、知っているからだ。


「複数の人間が、一人の子供を連れている……ね。ふぅん」


 魔女はなんとなく納得がいった。伊達に100年以上も生きていない。その情報だけでなんとなく事態は把握できた。


「人さらいか」


 ここは王都より遠く離れているし、魔女の森と呼ばれ人々に恐れられる場所だ。逃げ込むには最適だろう。

 人間から、逃げるには最適だっただろう。


「私たちの平穏を邪魔する奴らが来たのね。追い払ってあげましょうか?」


 魔女の言葉にフクロウ達は一斉に鳴いた。

 その様子に魔女は静かに微笑んだ。

 魔女は、その場にしゃがみ、足元に集まってきていたネズミやリスたちのうち、一匹のリスを掌に乗せた。きゅっ、と小さくリスが鳴く。

 魔女は静かに言った。


「すぐ追い払うわ。二度とここに来れないように」


 そう言うや否や、魔女は姿を消した。闇夜に溶け込むように、一瞬にしてその姿が消えた。

 しかし、その場にいる動物たちはそれを自然と受け入れる。魔女が突然姿を消すなど日常茶飯事だからだ。

 魔法による瞬間移動など、お手のものなのだ。


 魔女が動物たちから聞いた場所は、森の中に自然とできた小さな洞窟の中だった。

 奥行は20メートルほどの大した大きさでないこの洞窟の中に、その人さらい達がいるとのことだった。

 魔女は、その洞窟の前で魔法を展開し、人の気配を感じる洞窟に向けて、炎の魔法を発動しようとした。

 この小さな洞窟の中に炎など投げ込まれたものなら、中の人間は、焼け焦げながら、猛烈な炎によって酸素が失われ酸欠になり、逃げることも満足にできないことだろう。

 もう二度と、この森に入ってこないように、


 ――ここで、消し炭にしてやろう。


 魔女が炎を放とうとしたその瞬間だった。

 洞窟から、泣き声が聞こえた。

 赤子の泣き声だった。


 魔女は、止まった。なぜかはわからない。誰が攫われていようと、所詮は人間。魔女にとっては邪魔な存在だ。

 一緒に焼き殺すはずだった魔法は、魔女の手の中で消えた。


 魔女は、その赤子の泣き声を聞きながら、ゆっくりと洞窟の中に歩を進めた。

 洞窟の中に入ってくる魔女に気づいた人さらいの人間が、魔女に近づく。真っ暗な洞窟では、その人間たちから魔女の姿は見えない。

 だが、魔女には見えていた。フードをかぶり、小汚い服装をした男が数名。赤子を抱えている者、ナイフを片手にこちらに近づいてくる者。すべてが見えていた。

 魔女は、魔力を込めた右手を振った。


 泣き止まない赤子を抱いた魔女が洞窟から出てくるのは、すぐ後のことだった。

 赤子を胸に抱きながら、魔女は洞窟内に炎の魔法を打ち込んだ。

 洞窟内の肉片が腐って腐敗臭を漂わせないように、骨になるまで燃やすためだ。

 魔女は洞窟の中が真っ赤に燃えさかる様子を尻目に、赤子を見下ろした。わんわんと泣き続ける生後3か月前後の小さな赤子。

 まだ生えそろっていない金髪は、絹糸のように輝いている。なんとなく、高位の貴族の子どもであるように感じた。

 魔女は赤子をあやしながら、帰途についた。

 赤子のあやし方など分かりやしない。

 だが、昔に読んだ本の物語に何度も出てきた赤子をあやす母親なる存在を思い出しながら、それの真似をするように魔女は赤子の体をゆすった。


 魔女は、100年生きてきて、初めて赤子を抱いたのだ。


 ♦  ♢  ♦



 赤子を家に連れ帰った日から、魔女の生活は一変した。

 ゆったりと川辺で本を読む時間は失われ、魔法の開発に時間をたっぷりかけることもできなくなった。

 赤子の世話というのは、魔女が思うより圧倒的に苦労を要した。

 赤子の食事はミルクだ。だが、もちろん魔女の胸からミルクが出ることはない。必然的にミルクを作る必要があった。

 だが、この森の奥の家にミルクを作る材料があるわけでもなく、森で材料が集まるわけでもなく、仮にあったとしても製造にも時間がかかるのは明白だった。

 だが、赤子は泣く。そして、腹が満たせないと死んでしまう。

 魔女は魔法で姿を変化させ、ミルクを手に入れるために、何十年ぶりかの王都へ赴いた。


 赤子はよく泣いた。朝も昼も夜も、泣いた。

 赤子が泣くのはお腹が空いたときだけでないと、魔女はやっと理解したが、解決策がわからなかった。ただただ、胸に抱き、よしよしとあやすことしか出来なかった。

 だが、幸いなことに魔女には魔法があった。世界の摂理を覆す魔法があった。

 満足とは言えないこの生活環境において、赤子が体一つ壊すことなく、成長していったのは、ひとえに魔女の魔法による結界のおかげだった。体に害をなす病原体や、体内部に起こる異変を、常に排除し続けたからだ。


 魔女があまり外に出なくなったことを不思議に思った動物たちは、よく魔女の家に来た。

 窓から様子を見るリスたち。木の上から見守る鳥たち。扉の前に座り込む狼たち。どの動物たちも魔女とその赤子のことを心配していた。


 魔女は毎日が大変だった。

 言葉に表せれないほど大変だった。もう二度と関わらないと思っていた人間と王都で何度も会話した。

 王都内で大きな事件が起こっているらしく、騒然としている王都で、何度も何度も魔女は人間と会話をした。それは、赤子を育てるために、必要なことだったからだ。

 少しずつ大きくなる赤子が、ミルクではなく「離乳食」なるものを食すようになった時期など、魔女はもう混乱した。

 赤子が食べられるものと食べられないものの区別など、魔女には分からなかったからだ。

 魔女は、人間に頼り、その知識を借りた。

 それこそ、魔女には屈辱的だった。自分を蔑み、呪った人間たちとまた会話をしなければならないことに憤りを感じていたし、こんなことをするくらいなら、赤子を殺してしまおうとさえ何度も思った。

 だが、魔女は、赤子を殺せず、人間に知恵を借りた。

 それがなぜなのか、魔女自身もわからないままだった。


 時はあっという間に流れた。

 魔女の生活が大きく変化してからはや10年。

 今や当たり前になった朝食の時間。魔女は一人の少年と二人で食卓についていた。言うまでもなく、少年は10年前に魔女が救った赤子だ。

 伸びた金髪は後頭部でまとめ上げられ、泣いてばかりだった赤子は、今はよく笑う少年になった。

 瞳はエメラルドグリーンで彩られ、顔立ちは高貴な気配を十分に醸し出していた。


「母さん」


 少年は魔女のことをそう呼ぶ。


「今日は、川釣りに行ってくる」


 山菜を口に運びながら笑う少年に、魔女は微笑みながら頷く。


「行っておいで。ジークはほんと川釣りが好きだね」


 魔女は少年にジークと名付けた。

 ジークが育つにつれ、変わる生活リズム。その流れに、最初こそ魔女は戸惑い、困惑したけれど、今ではすっかりそれも板につき、ジークの成長を見ることが日課となっていた。

 魔女は、いつしか読まなくなった本を、そろそろ読み始めてもいい頃合いかもしれないと、ジークの成長した姿を見ながら、最近では思うようになりつつあった。

 止まってしまった魔法の研究も、これからはしていける。

 そうだ、魔法の研究にジークを手伝わせよう。私の息子なんだから、きっと魔法も好きになる。

 そんなことを思ってしまうほどだ。


 もちろん、ジークは魔女の実の息子ではないし、ジーク自身もそのことには当に気づいていた。そもそも、魔女はそれを隠したりはしなかった。

 それでもジークは魔女を「母さん」と呼ぶ。魔女もそれを心地よく受け入れていた。


 ジークが川釣りに出かけ、魔女は家事を一通りこなした後、大きな椅子にゆっくりと腰かけた。視線を部屋の端に向けると、いつの日か王都で購入した赤子用のゆりかごが置いてあった。ついこの間までは、あのゆりかごの中で泣き続けていた子が、今では元気よく川釣りに行っている。

 無意識に微笑んでしまっていることに、魔女は気づいてはいなかった。


 コンコン。

 そんな魔女の耳に、窓を叩く音が聞こえた。いや、正確には叩くというより、つつくような音だ。

 魔女は音のする部屋の小窓に視線を向けると、そこには一羽の小鳥が必死にくちばしで窓をつついていた。

 魔女はすぐさま魔法で小窓を開けて、小鳥を招き入れる。小鳥は魔女の指に止まるりピーピーと鳴き続ける。なにかを訴えかけるように、伝えるように、必死に。

 その鳴き声に耳を傾けていた魔女の顔が、どんどん蒼白になっていく。小鳥が訴えている内容が、魔女をそうさせているのだ。

 魔女はすぐに魔法を唱え、川辺へ移動した。


 ――ジークが危ない。


 その小鳥の悲痛な訴えは、魔女を焦らせるには十分のことだった。


 魔女が川辺へ魔法で移動したときには、ジークは複数の人間に取り囲まれ、そのうちの二人に体を押さえつけられていた。

 魔女は咄嗟に魔法を放とうと力を籠め、ぐっと思いとどまる。

 今ここで大きな魔法を使うと、ジークにも被害が出ることがわかったからだ。魔女は右手でピストルの形を作り、突き出した人差し指に力を込めた。

 ジークを囲んでいる人間のうち、一人の頭が魔法の弾丸で貫かれ、即死した。


「む、出たな! 構えろ!」


 特に大柄で、立派な鎧を着た男が、魔女に気づくと大声を上げた。

 それに合わせて、他の人間たちも魔女と正面を向き合い、腰に下げている剣を引き抜いた。

 鎧、剣の柄に刻まれた紋章を見て、魔女はすぐにこの人間たちが何者なのか理解した。

 ここ数年の間、何度も何度も行った王都で、嫌でも視界に入ってきた紋章だったからだ。


「王都の騎士が、何の用だ」


 魔女は冷たい声色でそう言いながら、指先を一人の男に向けた。

 その男の顔が一瞬恐怖に変わった瞬間、その目からは感情が消え失せた。額から脳を突き抜けた魔法が、男の命を奪ったからだ。


「今すぐ、ジークを置いて失せなさい。全員殺すわよ」


 魔女の言葉に、最初に叫んだ男が答える。


「ジークとは、この方のことか!」


 男は押さえつけられているジークに手を向ける。


「勝手に名前などつけよって……この方は現国王のご子息。アルス様で間違いない! 10年前に人さらいによって攫われてから行方不明となっていたが、やっと見つけたのだ! まさか貴様のような魔女が裏で糸を引いていたとはな!!」

「違う! 母さんは違う!」


 男の言葉にジークが叫ぶ。

 男はその様子にひどくつらそうな顔をした。


「なんと、ここまで洗脳されてしまっているとは……」


 本気で憐れむ男を見つつ、魔女は考える。

 ジークが現国王の息子。つまり、王子だ。次期国王継承者の一人である。その事実に、魔女は決して驚きはしなかった。それは、ジークの成長を見ながら、うすうす気づいていたことだったからだ。

 その頭髪、顔立ち、身にまとう雰囲気。すべてが何か高貴のオーラに包まれていたからだ。

 ジークが大きくなる前、魔女が王都に行くたびに、王都では騒ぎが起こっていた。詳しい内容は魔女にとって興味のないことだったが、あれは間違いなくジークの誘拐事件のことに違いなかったのだ。

 すべてが魔女の中で当てはまっていく。だが、それが――


 ――それが、一体なんだというんだ。


 数分後には、ジーク以外の人間は、その場で息絶えていた。

 全員例外なく、頭を魔法で抜かれ、真っ赤な鮮血を地面に広げながら、死んでいた。


「母さん、ごめん」


 ジークは、その光景を目にしても、何もひるむことなく、ただ謝って魔女に抱き着いた。

 魔女は黙って抱きしめ返し、なぜ謝るのかを問うた。


「本当の息子じゃなくて、ごめん」


 なんでそれをジークが魔女に謝るのか。魔女は結局分からないままで、「馬鹿なこと言うんじゃないよ。帰ろう」とジークの手を引いた。

 男たちの死骸に動物たちが近づく。「やめときなよ、そんな腐ってる肉片」と嘲笑する魔女を尻目に、動物たちは死骸を食べ始めた。

 魔女は自然の中に、薄汚い人間の一部が入ってくる感覚に、怖気がした。



 ♦  ♢  ♦



 それから5年。ジークは立派に育った。

 身長は魔女を簡単に超え、もはや見た目は魔女と同じ年である。

 ジーク自身もその魔法の研究に参加するようになり、魔女はより一層、毎日の魔法の研究に没頭した。

 今ではジークが家事のほとんどを行い、魔女がジークに世話をされているような、そんな状態にすらなっていた。

 それでも毎日は充実していた。一人ではない当たり前に、魔女は身を委ね、ジークとの毎日を幸せに暮らしていた。


 そんな毎日の中、ある日の夜。魔女は察知した。

 空気の振動を、森のざわめきを、動物の悲鳴を。

 この感覚を知っている。何十年も前に、この森に棲みだしたころ、私を殺そうと討伐隊が組まれ、この森にやってきた時だ。

 森が不安を叫び、動物が困惑し、そして、私の魔法の結界が破壊された。


「ジーク!! 隠れなさい!」


 魔女はそう叫ぶと、家を飛び出した。

 だが、家の周りには何十人では収まらない、何百人の人間が魔女を家ごと取り囲んでいた。

 そのうちの一人の男が魔女の前に出てきた。豪華な鎧からこの軍を率いているのが、この人間だとすぐに魔女は理解した。


「お初にお目にかかる。私は王国騎士団長のフィリウスと申します。魔女よ、アルス様を返していただきたい」

「返すも何も、お前たちが守れなかったあの子を、私が守り通してきた。それだけの話だ。お前たちには守れない者を私は守った。お前たちに返す道理はない」


 魔女の言葉にフィリウスは眉を顰めた。

 周りの騎士たちからも「ふざけるなよ」と小さな悪態が魔女に聞こえてくる。ちらっと視線をそちらに向けると、その騎士はびくっと体を震わせた。


「そういうわけにはいかないのです。人さらいからアルス様をお守りいただいたあなたには、最大の感謝を伝えさせていただきたい。ですが、アルス様は次期国王になりえるお方。あの方がいなかれば、王都は混乱に陥ります。あなたのことも悪いようにはいたしません。どうか返していただきたい」

「くどいぞ。王都がどうなろうと私の知るところではない。失せろ」

「……そうですか……」


 それでは、と男は片手を振り上げた。

 瞬間、魔女は魔法の結界を自身の周りに発生させた。万物も通さない防御の魔法だ。男が一体どういうつもりで腕を上げたかは魔女には分からなかったが、結界を張っておくべきと本能が判断した。

 そして、その判断は間違いではなかった。周りを取り囲んでいた騎士たちが一斉に背中に隠していた弓から魔女に向かって矢を放ってきたのだ。

 矢は魔女に届くことなく結界にはじかれる。

 魔女はそのまま魔法を展開。周りのすべてを焼き尽くそうと力を籠める。

 だが、その魔法は発動されることはなかった。

 魔女は自身の身に起きたことを、理解できずに立ち尽くした。


 ――魔女の右腕が切り落とされていたからだ。


「魔女。お前の結界は私の剣を止めることは出来ない」


 そう落ち着いた声でいうフィリウスは、いつの間にか剣を抜き、魔女の右腕を切り落としてた。

 やってくる激痛に魔法で脳内にドーパミンを大量分泌させ、痛みをごまかす。そのまま脳内で魔法を詠唱し、痛覚を遮断した。


「なるほど、ね」


 右腕がなくなったことで、重心が左にずれ、魔女はその場に崩れ落ちる。

 魔女にとって魔法で瞬間移動し、逃げることは可能だが、家の中にいるジークを置いてこの場から逃げることは出来なかった。

 フィリウスの剣が喉元に突き付けられる。魔女は不老であっても不死ではない。この剣が魔女の首を掻っ切れば、間違いなく魔女は絶命するだろう。

 魔女は静かに笑った。今日までの15年が充実していたことを、こんな時だというのに思い出したからだ。

 私が死んでも、王子であるジークは、幸せな暮らしができるはずだ。そう思うと、なんだかこのまま殺されてもいい気がした。

 私が守ったあの子が幸せなら、私は――。魔女はそう思い、目をつむった。


「母さんから剣をどけろ!」


 魔女の落ちかけた意識が一瞬で覚醒した。


「今母さんを殺せば、僕も舌を噛み切って死ぬぞ!」


 ジークの大声が森の中で響く。

 ジークの姿を確認したフィリウスは、すぐに魔女に突き付けていた剣を鞘に納め、頭を垂れた。


「アルス様。ご無事でなによりでございます」

「黙れ! 僕の名前はアルスじゃない! ジークだ!」


 ジーク、どうして……。

 魔女が声を漏らす。だが、それはジークには届かない。右腕から失われる大量の血が否応なく、魔女の意識を掠め取る。閉じていく視界で、ただ魔女は、息子の無事だけを祈った。



 ♦  ♢  ♦



 魔女が目を覚ますと、そこは家のベッドの上だった。

 やけに静かな家の天井を見上げながら、魔女はぼーっと混乱している記憶を整理した。起き上がろうと腕を動かすと、右腕が無いことに気が付いた。だが、傷口がふさがれ、右腕の切断面は肉がモリモリと生え、傷口をふさいでいた。

 この治癒は、どうみても魔法だった。


「助けられた……のかな」


 あの時、意識を無くした魔女を殺すことは容易だったはずだ。

 にもかかわらず、こうして治療までされてベッドに寝かされているところから、生かされたのだとすぐ理解できた。

 人間に生かされたことに虫唾が走った。

 だが、この命がもし、ジークが繋いでくれたものであったなら。魔女はそう思うとどうしても今の生き永らえた命を無下にできなかった。


 月日が流れた。

 どれほどの日が過ぎたから、魔女はもう分からなかった。あの日、ジークを失った日から、魔女は何を考えることもなく、毎日を生きた。

 動物の声を、植物の姿を、森のざわめきを、はるか昔から自分がしてきたことを、ただ繰り返し、毎日を生きた。

 ただ思い出すのは何十年も前、気まぐれで助けた一人の赤子。ジークのことだ。

 200年近く生きて、私が生きていると感じたのは、ジークと過ごした15年間だけだった。

 誰かを恨まず、憎まず、ただ愛した。

 その15年間は、魔女にとって、人生の宝物だった。


 いつものように採集に出かけようと家を出た。

 そこには、一人の青年が立っていた。

 流れる金髪に、エメラルドグリーンの瞳。忘れもしないジークの面影を持つ青年だ。

 魔女は目を見開いた。なにかの魔法で幻を見ているのかもしれない、そんなことまで思った。

 立ち尽くす魔女に、青年は声をかけた。


「曾お祖母様ですか」


 曾お祖母様。

 その言葉に、魔女は彼がジークの孫なのだと気づいた。このジークに似た面影は、血の繋がりによるものなのだ。

 もうそんなに月日が流れていたことに、魔女は空を見上げた。

 木々の隙間から見える空は、あの15年の時間と変わらない清々しいほどの青空だ。


「ずっと探しておりました。私はアルスお爺様の孫のジークと申します」

「……!?」


 魔女は青年を再度見た。今度は信じられないものを見るような目で、睨みつけた。

 魔女にとってその名前はジーク一人だけに与えた名前。その名前を名乗られることは、まるでジークを冒涜しているように感じたからだ。

 そんな魔女にジークは怯むことなく続けた。


「正確には私はジーク二世。ジークはお父様のことで、お爺様が特別な名前として命名したものと聞いております」


 つまり、ジークが自分の息子にジークと名付けたということ。魔女からもらった名前を自分の息子に託したのだろう。

 魔女はそこでジークが騎士たちからアルスと呼ばれていたことを思い出した。おそらくあの後、国に連れ戻されたジークはアルスとして人生を歩んだはずだ。

 そのアルスは、自分の息子にジークと名付けたのだろう。


「一度、あなたにお会いしたかった。アルスお爺様が、父上がいつもお話ししてくれるあなたに、会いたかった」


 一歩、ジーク二世が魔女に近づく。


「本当に不老なのですね。本当にお若い。私と同じくらいに見えます」


 そう笑うジーク二世の顔は、魔女には皮肉なまでにジークとそっくりに見えた。

 目頭が熱くなる。それを誤魔化すように、魔女は顔を伏せながら質問を振った。


「ジー……あなたのお爺さんはまだ元気?」


 ジークと呼びそうになったのをなんとか飲み込む。


「お爺様は昨年、死去されました」


 その言葉にゆっくりと魔女はジーク二世を見た。

 だが、その目にはジーク二世ではなく、笑っている昔のジークの姿が映る。

 ジークが死んだ。孫まで生まれ、ここまで大きくなるまで生きていたということは、大往生だったに違いない。

 気がつけば魔女は泣いていた。声もなく、両目から涙を流していた。


「あの子は……」


 魔女は絞り出すように声を紡いだ。


「あの子は、幸せに逝ったのね?」


 その言葉に青年は力強く頷いた。

 魔女の胸から色んなものが溢れ出た。様々な感情が今までの記憶が、これまでの人生が、これまでの想いが、ジークとの幸せが、涙となって森の地面を濡らした。

 200年の長い時間が全て浄化されていくような、そんな感覚に魔女はただひたすらに泣いた。自分が救った赤子が、自分の愛した息子が、魔女の与えた名前を自身の息子に託し、幸せに逝った。

 その事実にただ涙が止まらなかった。

 小鳥がリスがイノシシが狼が、沢山の動物と鳥が魔女のそばに駆け寄る。彼女を慈しむように守るように。

 その様子をジーク二世はただ暖かく見守った。これほど動物たちに愛される彼女の心はどれほど無垢なのだろうと。


 森が魔女の涙を吸い、一緒に悲しむようにざわめいた。




 森の中の小さな家の中。

 そのベッドに眠る老婆がいた。

 白いワンピースに身を包み、真っ白に輝く頭髪が広がり、真っ白な肌には年相応の皺が寄っていた。

 ただ、それでも美しかった。

 動物に囲まれながら、植物に労られながら、森に包まれながら、老婆は静かに息を引き取った。

 森の中で狼の遠吠えが鳴り響いた。フクロウが鳴いた、イノシシが走った、小鳥は飛んだ。

 老婆の死を、森全体に広げるために動物たちは走った。


 静かに眠った老婆を見た者は口を揃えて言うだろう。

 誰しもが彼女の姿を見て、言うのだ。


 なんて、「無垢」な人間なのだろうと。




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