第8話 魔女とデート
皿の上に並んだこんがりきつね色をしたオニギリ。
おこげから漂う焦げたショウユの匂い。
味噌汁から立ちのぼる湯気に混じった鰹出汁の香り。
「……いただきます」
ハノーヴァス王国の習慣もあって、七歳のときに覚醒してから一度も言わなかった言葉であったが、ロブは無意識の内に、小さく呟いていた。
今生で初めて食べる日本料理であった。
一口食べるごとに、一口啜るごとに、在りし日の記憶の断片がぼんやりと浮かび上がっては、また消えていった。それを追いかけるように、ロブは一口、また一口と食べ続けた。
ロブはあっという間にヤキオニギリ定食を食べ終え、最後に湯飲み茶碗のお茶を啜って一呼吸入れた。
「カイト王は地球、いや日本人――」
そう話し掛けようとしたロブであったが、意外な光景を見つけてしまった。
アルセリアが真剣な表情で、ヤキオニギリを黙々と食べていた。一口が小さいせいか、その食べ方はまるでリスのようである。
ロブは庭先に入り込んだ小動物を見守るような心境でその姿を眺めていたのだが、ヤキオニギリを食べ終わったアルセリアはロブの視線に気づくと、こほんと一つ咳払いをした。
「……何か?」
「ん? 別に。いや、一つ聞きたい。カイト王は日本人か?」
「……いえ。類似点はあるようですが、違います」
カイトが元いた世界は近年になって連盟に参加し、カイトがかつて召喚被害にあっていたのだという確認が取れていた。
「そうか……」
神妙な面持ちで立ち上がったロブに、気の毒そうな目を向けるアルセリアであったが――。
「おねえさんっ、おにぎり持ち帰りで十個。半分は焼きおにぎりにしてくれ」
存外気にしてなさそうなロブの様子に、アルセリアはなんとなく半眼になってしまう。
「やだねえ、おねえさんなんて言われる歳じゃないよ。まあ、一個おまけしておくよ。漬け物はいいのかい?」
「嫌いなんだ」
「あんまり好き嫌いすんじゃないよ?」
「こればっかりはなぁ」
食堂のおばちゃんに叱られて、うへへと笑って誤魔化すロブ。
おばちゃんもそれ以上言う気はないらしく、手早く持ち帰り用のオニギリを用意し、ロブに渡した。
そのあともロブの希望によって、アルセリアの案内は大幅な変更を余儀なくされ、市場でコメやショウユを買うことになってしまった。
***
背負い袋に入れたコメやショウユの重みに今生の幸せを謳歌していたロブであったが、今は肘に感じる柔らかな感触に鼻の下を伸ばしていた。
淡褐色の肌に羊の毛のような長い金髪、困り眉と気怠げな眼差し。重力に負けるぎりぎりのところで保たれた豊満な胸にくびれたウエスト、張りのある臀部。
『界越えの魔女』ベルタ・アンデールであった。
界境列車で稼いだ金を使い、ロブは市場でコメやショウユといった日本を思わせる品物を買い込んでホクホクしていたのだが、いつのまにかアルセリアとはぐれてしまった。
市場が混雑していたためにはぐれてしまったともいえるし、夢中で買い込んでいたためにアルセリアを見失ったともいえる。なんせ、アルセリアは小柄である。
ただそれでも、ロブはなんとなくはぐれ方に違和感を覚えていたのだが、地面から数センチ上をふわふわ飛んでいるベルタとばったり出会ったことで、その理由ははっきりとした。
「何かしたか?」
「ほんの少し、人の流れを誘導しただけよ? 誰にも迷惑はかけてないわぁ」
ベルタはごくごく自然な所作で、ロブに腕を絡ませる。
「……俺が迷惑してるとは考えないのか?」
「それくらいはいいじゃない?」
肘に感じる柔らかさに、ロブはついつい油断しそうになった。
「ちゃんと謝ってきたわよ?」
ロブの警戒感が薄れないことを察したベルタは、その豊満な胸元から水晶玉を取り出す。
そんなところにどうやって入っていたんだと問う暇もなく、そこに映像が浮かび上がった。
使い魔の犬たちが、あのめちゃくちゃになった路地のお店で手伝いをしていた。
愛嬌を振りまき、お客さんを捕まえている。
その様子を後ろで見ている店主たちの顔も綻んでいた。
「アタシの使い魔なんだから、アタシが働いているのも同じよ?」
それならまあ、と言ってしまうくらいにはだらしないロブは、ベルタに誘われるまま、歩き出す。
ベルタの誘導で辿り着いたのは、貴族街であった。
本来であれば入れるはずのない場所であったが、ベルタが物憂げな表情をするだけで門番は通してしまった。
「認識阻害を使って、とある貴族の未亡人に見せているだけよ?」
つまり、ロブの肘に腕を絡め、ふよふよ浮いているのはベルタであるが、周囲からはしかるべき存在に見えているということであった。
「それならなんであのときは使ってなかったんだよ」
「疲れるもの。それに、一人なら逃げるのは難しくないのよ」
『界越え』で飛べるのは一人だけ。
「ところで、今日はなんの用だ?」
ロブは今さらな質問を投げかける。
「アナタ、魔王殺しの勇者なんですってね。そんな人の怒りを買ったままなんて、恐くて眠れなくなってしまうわ」
じっと見上げてくる目は僅かに潤み、ロブには嘘など感じられなかった。
「……もうそんなに有名なのか?」
ベルタを相手に駆け引きなどできそうもないと即座に判断したロブは、開き直って今を楽しむことにした。
「いいえ。まだ異界連盟の幹部と界境列車の乗客だけよ。乗客は契約で縛られているから、アナタが連盟本部に保護されるまでは誰にも話せないのよ?」
「随分詳しいな」
「あら、あの可愛らしい娘からアタシのこと、聞いてないのね?」
シープリック。電界羊人種とも言われることのあるこの種族は、生身で電脳世界に直接アクセスすることすらできるとされている。ただ、希少種族であり、未だにベルタ他数名しか存在が確認されておらず、出身世界も判明していなかった。
そのうえベルタは『界越え』の技術を持ち、魔女と称されるほどに魔法にも造詣が深い。完全に隔離されている情報を除けば、ベルタが得られない情報などほとんど存在しなかった。
「羨ましいな。できることが多そうで」
「アタシは戦えないもの。魔王を殺すことなんてできないわ」
「魔王を殺したところで、それで終わりだ。潰しは一切利かない」
「アナタならどこでも歓迎すると思うけど?」
ロブは苦笑を一つ浮かべるだけで、なにも返さなかった。
魔王を殺すことに特化し、ようやく魔王を倒した。
だが今、その力も劣化していた。
理由は不明であったが、あの世界の神が異能を半減させたのではないかとロブは考えていた。
魔王がいなくなったあの世界では、『無限銃砲』は過剰な力だったのだろう、と。
「なんならどこか紹介してもいいのよ?」
「裏家業は御免だな」
ロブは、そこまで落ちぶれる気にはなれなかった。
「失礼しちゃうわ。きちんとしたところよ? まあ、いいわ。……あら?」
昼の日中、貴族屋敷の下働きの者たちが粛々と仕事をこなすだけの貴族街で、ベルタがとある屋敷に目を留めた。
バルコニーの手すりに身を預けて、どこへとも知れぬ遠くに視線を彷徨わせている女が一人。
その女はベルタに気づくと、さっと屋敷の中へと引っ込んでしまった。
「知り合いか?」
「以前、少しだけね。こんなところにいるとは思わなかったわ」
ベルタが今使っている認識阻害の術式は、同じ人物を二度騙すことはできないものであった。
面倒だからという理由で無精をしたせいともいえる。
「あの娘はごく普通の街娘だったはずだけど……そう。奴隷になってしまったのね」
女の首に首輪があったことをロブも確かに見ていた、が。
「奴隷は廃止されたんじゃなかったのか?」
「犯罪奴隷なのよ。といっても、あの様子だと嵌められたんだろうけど」
顰めっ面をしているロブの眉間を解すように撫でてから、ベルタは続けた。
「この国の貴族が比較的まともなのは事実よ? でもね、どこの世界にも悪党ってのがいるものよ」
なんの罪もない者たちを犯罪奴隷に落とすシステムは至って簡単なもので、濡れ衣を被せて逮捕し、あとは犯罪奴隷を扱う貴族が便宜を図る、というものであった。
犯罪奴隷の扱いが法で厳しく定められているとはいえ、抜け道などいくらでもあり、ああして街娘が食いものにされることがままあった。
「奴隷なんぞ残しておくから悪いんだよ」
「そういえば、アナタも奴隷制度をやめさせたのよね。すごいわぁ」
魔王を倒すために、奴隷制度を廃止した。
それも一面の事実であったが、ロブが奴隷制度を心底嫌っていたというのも理由の一つであった。
一歩間違えれば自分も奴隷に落ちていたかもしれないという実体験と、日本にいた頃の倫理観が奴隷制廃止へとロブを突き動かした。
「……本当になんでも知ってるんだな」
ロブとてベルタが言っていることがすべて事実だとは思っていない。ただ、一部の貴族が犯罪奴隷の制度を悪用する可能性は十分にありえると考えていた。
「現地調査員は魔王討伐直後から潜入していたみたいって……あらぁ、妨害術式もかけておいたのだけど……足、速いのね?」
いつのまにか、背後にアルセリアがいた。
白磁の肌に珠のような汗を掻きながらも、無言で大剣のごとき枷を振り下ろしてくる。
「乱暴ねえ」
ベルタはふわりと後退し、ロブに一度だけ手を振って、消失した。
残されたロブは、アルセリアの責めるような、悔しいような視線に晒される。
「おっと、もう時間だな」
「……まだ、発車予定時刻には十分な猶予が――」
アルセリアの言葉を最後まで聞くことなく、ロブが逃げるように駅へと走りだすと、アルセリアも決して見失わないとばかりに猛追した。
そうしてシンクレアの塔一階、プラットホームに戻ってきたのだが、もう時間だと急いで戻ったはずのロブがのんびりと駅弁など選んでいるのだから、アルセリアとしては憤懣やるかたない。
何か一言でもと口を開きかけたところで、それは別の大声にかき消された。
「――『フェイクエリクサー』の所持と密輸の疑いで逮捕する」
界境列車のラウンジでロブの相手をしていた四腕の未亡人が、騎士らしき大柄な男に腕を捕まれていた。