第7話 勇者はだらける
アルセリアは困っていた。
『魔王殺しの勇者』ロブを護送中に、各世界に常駐している現地調査員に相談することなく『界越えの魔女』ベルタ・アンデールを追跡。その結果、取り逃がし、現地に損害を与えてしまった。
これだけならば、どうにか始末書で済む。
だが、ベルタと対峙したときに垣間見えたロブの考え方を放置しておいていいのか。
アルセリアは端末のマニュアルを隅から隅まで目を通したが、そういったケースの対処法は当然ない。
ごちっとテーブルに突っ伏してしまいそうになるが、今は任務中ということで堪える。
――ぴこんっ
電子音と共に端末に送られてきたのは、キューバスから全車室に当てた今後のスケジュールであった。
アルセリアは生真面目にそれを読み込んでいき、とある文章に目を留めた。
『当列車内時間で十日後、四百十二番世界、クラム大陸エントワール王国シンクレアの塔。連盟の歴史にも名を残す勇者王が……』
アルセリアは端末から資料を探し出し、没頭した。
そんなアルセリアを探るように、ロブは車窓の窓に映ったその横顔をちらちらと窺っていた。
『無限銃砲』が『夢幻銃砲』に劣化していることをアルセリアが、連盟が知ればどうなるのか。
アルセリアが最初に宣言したように、一般人として保護してくれるのか。それとも、戦力としてあてにしていた者が役立たずとわかって冷遇するのか。
酷薄な貴族社会を見てきたロブからすれば、保護を前提になど考えられるはずもなく、万が一のためにとこっそり銃と銃弾を手に入れようとした。敵か味方かもわからぬ相手に手の内を隠すのは当然であった。
アルセリアの『品性下劣の卑劣漢という調査結果はありませんでした』という言葉からも、ハノーヴァス王国でのことはある程度知られていると考えるほうが妥当で。
そこに、銃が欲しいなどと言ってしまえば、なぜ『無限銃砲』があるのに銃を欲するのかと疑問を持たれ、それを端緒に異能の劣化という事実に思い至られてしまうかもしれない。
――と、そんな風にそんな風にロブは神経質に考えていたのだが、考えすぎだったのかもしれない。
ロブは何気なく、尋ねてみた。
「こっちの銃を手に入れることはできないか?」
「現状、正式な連盟の身分証明がないため許可は下りないかと思います」
「異能はいいのか?」
「本来は異能も届け出義務がありますが、自衛の範囲内ならば問題にはなりません。ただ、そんなことにならないよう、わたしがいますので、安心してください」
アルセリアはなんの疑いも抱いていない様子であっさりとそう答え、再び手元の端末に没頭してしまった。
ロブは少し、気が抜けた。
開き直って転生先の異世界から逃げ出したが、異世界連盟全界機関などという組織を即座に信用などできるものではない。
ただ、アルセリアという一個人は、信用してもいいかもしれない。
生真面目で不器用。意外と……いやかなり猪突猛進。それをマニュアル対応で補おうとして、失敗しがち。
これで裏があったなら、相当の役者で、そんな役者なら騙されても仕方ないとロブは割り切ることにした。
騙されたら、残弾をことごとく撃ちきって暴れてやる、という物騒な脳筋思考も手伝って、すっかり開き直ることにした。
そういうわけで、ロブはこっそり車室を抜け出した。
いつもならば聴取りの時間であるが、アルセリアは何かに没頭している。
そう、邪魔をしてはいけない。
ラウンジにいたのは楚々とした四腕の未亡人。
歓迎会の際、最初に花束をくれた子供たちの母親で、亡き夫の莫大な遺産を相続し、夫が乗る予定であったこの界境列車に乗っていた。
子供たちもいるようで、ロブのもとへ駆け寄ってきた。
「ねーねーきょうはどんなおはなし?」
「あのあと、にんぎょさんはどうなったの?」
「この子たちに無理に付き合わなくてもいいですよ?」
「子供は嫌いじゃない」
だらしない顔でそんなことを言ってしまえば、嘘だと丸わかりであるのだが、だからといって子供を適当にあしらっているわけでもなかった。
「あ~っとそうだな。海から追い出された人魚たちは泡になって消えてしまった……なんてことはなく、魔法で足を得ると銃を持ち、勇猛な戦士たちが恐れるほどに猛然と戦った。あれは、恐ろしかったな」
子供向けとはいえないかもしれないが、違う文化で育った子供たちは楽しげに聞いていた。
そうして夜も更けていくと、すっかり子供たちは眠ってしまう。
未亡人は子供たちを車室に寝かせると戻ってきて、今度はロブの相手をした。
酒を呑み、ああでもない、こうでもないと話すだけ。
ロブに当然下心はあったが、酒が進むほどに酔いつぶれ、何事もなくそれでお開きとなる。
ロブが酔いつぶれると、聴取りをすっぽかされたアルセリアが迎えに来た。
「ご迷惑をおかけしました」
アルセリアがそう言うと、未亡人は首を横に振った。
「夫が亡くなってもう随分と経ちますが、それでも子供が寝てしまうと寂しいものでして。こうして話しているだけでも気が紛れます」
そう言って微笑み、未亡人は車室に戻っていた。
小さな身体におぶさるように引きずられているロブに、アルセリアが呟く。
「……勇者の名を自ら貶めるようなことは控えてはどうですか」
返答など返って来ないと思っていたが、しばらくしてロブが答えた。
「……うまい飯とうまい酒。打算なく、美人さんにちやほやされることなんてなかったからなあ」
ハノーヴァス王国は王制と貴族制が蔓延る魔法世界。
貴族も庶民もどうしたって打算が絡む。それが普通ではあるのだが、勇者の子種や財産、権力目当てが透けて見える相手に褒められても嬉しくはない。
そんなことが日常茶飯事の世界でロブは、いつしか数少ない無償の賛辞も素直に喜べなくなっていた。
「……本当に打算がないとでも?」
「ないなあ。金も権力もない逃亡者に縋るような身分じゃないだろ。あったとしても、些細なものさ。暇を持て余している子供に話をしてくれ、とかな」
アルセリアは小さく溜め息をつき、車室に戻るとロブをベッドに放り込んだ。
それから連日、ロブは聴取りをすっぽかし、二階ラウンジで奢られて、呑み潰れ、アルセリアに引きづられてベッドに放り込まれる。そして夕食前に目を覚まし、また二階ラウンジのタダ酒で酔いつぶれる。
ロブは警戒し続けることに疲れていた。
十五年も緊張を強いられたのだからもういいだろう。魔王を倒したあとの二年間、大陸各地で魔族の残党を倒しながら、そんな風に過ごしてきたのだ。今さら取り繕うのは面倒であった。
***
『まもなく、四百十二番世界、クラム大陸エントワール王国シンクレアの塔に到着します』
車掌の涼やかな声に、ロブはベッドから這い出るように梯子を下り、窓の外に目を向ける。
そこにあったのは『石造りの壁』。まるでトンネルの中にいるように薄暗かった。
「この世界の駅はシンクレアの塔と呼ばれる建物の一階部分にあり、それによって界境列車の存在を秘匿しています」
「塔の中、か。もはや列車じゃないような気もするが、今さらか」
淡々としたアルセリアの説明に感想を漏らしながら、ロブは寝惚け眼でぼーと石造りの壁を見つめていた。
界境列車は塔の内壁をなぞるように降りていき、ついに一階のプラットホームに到着する。
ロブの機先を制するように、アルセリアがさっと立ち上がった。
「安全を考えれば降りないほうがいいのですが、それでは息が詰まるというのも理解できます。勝手にどこかへ行かれてしまうのも困りますから、今日はわたしが案内します。ふらふらせずについて来てください」
急遽作成したらしい紙の資料を片手に、決然とした様子でそう言い放った。
「お、おう」
妙に気合いの入っているアルセリアに、日頃怠惰な生活をして世話をかけている自覚のあったロブは、多少の負い目もあってか気圧された様子で同意した。
界境列車を降り、プラットホームを抜けると、審査所がある。
この世界では界境列車の存在は王族や貴族、一部の商人にしか明かされていないため、色々と手続きがあった。
持ち込み物の制限や界境列車の秘匿に関する誓約書、法令遵守の契約書など多岐にわたる。
それらを無事済ませ、エントワール王国王都に降り立ったロブであったが、しばし足が止まってしまった。
清潔感溢れる中世ファンタジー世界とでも呼べるような風景がそこにはあった。
人やエルフ、ドワーフといった異種族が混在し、笑顔を見せ、見る限りでは奴隷もいない。
もしうまくやれていたら、ハノーヴァス王国もこうなっていたのかもしれない。
そう思えばこそ、ロブの足は止まってしまったのである。
「――この国は二百年以上も前に召喚された勇者により建国されました。そして、カイト・スメラギは初代国王であり、連盟の調査員でもありました」
召喚された当初から『全魔法適性』を持ち、あらゆる武術に通じ、さらには『神具創造』という最強クラスの異能を持っていた。
近隣の異種族と融和を果たして『魔王』を討伐し、かつて小国であったエントワール王国を発展させ、西方からの帝国の侵略を阻み、大陸の半分を領土とした。
「元いた世界の科学技術をいくつも公開しましたが、この世界の文化を発展させることを重要視し、見事にその基盤を築き上げました。連盟もそれを尊重し、治療技術や食料生産技術を限定的な援助に留め、カイト王と適切な関係を築き上げています。ときにはカイト王の力を借りて別の世界の魔王を討伐することもありました。連盟とカイト王の友誼は、カイト王が没するまで続いたといわれています」
アルセリアは誇らしげに、蕩々と語った。
だが、その間のロブはというと、魂の底から郷愁をかき立てられるような香ばしい匂いに、周囲をキョロキョロ見回していた。
「……そうして庶民にまで広く教育の門戸が開かれ、奴隷制度も犯罪奴隷以外はすべて廃止されました。魔法文明は比較的、王族や貴族階級が君臨して発展していくことが多く、身分制度による不条理も多く残っていることが多いのですが、この国では……」
真面目に話を聞いている風ではないロブに、思ったように上手くいかない苛立ちを覚えたアルセリアであったが、香ばしい匂いは気になるようで、手元の資料をちらりと確認する。
「……この匂いはヤキオニギリです。カイト王がこの世界に自生していた植物にコメとダイズと名づけ、品種改り――」
アルセリアの言葉を最後まで聞くことなく、ロブはふらふらと匂いの方向へと行ってしまう。
「わ、わかりました。きちんと案内しますので、ふらふらとどこかへ行かないでください!」
想定外の事態に、アルセリアは万全に練り上げた予定の変更を余儀なくされ、近くにあった食堂街へとロブを案内することになってしまったのであった。